2008年7月25日 (金)

道元の冒険

先週土曜日(7/19)に、渋谷シアターコクーンに行きまして、「道元の冒険」を見ました。
チクタクさんが選択して手配をしてくれました。
感謝。
選択理由は、私が押している女優、栗山千明さんの初舞台だからです。
主演は阿部寛、演出は蜷川幸雄です。
蜷川氏は「キルビルvol.1」を見て、栗山千明を気に入ったそうです。
19時スタートで3時間強の舞台は、半病人の私には辛かったのですが、面白かったです。
というか、色々なシーンを思い起こすと面白かったです。
その場は、後半になってからは、体力的にきつかったですが。

それは兎も角、カーテンコールが良かった。
4回あったのですが、4回目には降りていく緞帳の裾から、かがみ込んで客席に手を振る栗山千明。
満面の笑みでした。
初舞台で楽しめているようで良いですね。
当人、普段の役と違って明るいですから。
アニメを語らなければ。
舞台の評価も上々らしいです。
ちょっと発声に難があるかもしれませんが。
これを糧にして、成長できると良いですね。
次に映画が楽しみです。

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2007年8月22日 (水)

栗山千明特集第三弾「バトルロワイアル」

さて、長くあいてしまいましたが、女優特集三人目、栗山千明の第三弾です。
高見広春(たかみ こうしゅん)原作の映画化作品「バトルロワイアル」です。

1997年、第5回日本ホラー小説大賞の最終選考作品ですが、中学生どうしが国家命令により、最後の一人になるまで、お互い殺し合いをするという衝撃的な内容のため、審査員に猛烈な非難を受けました。
かなり感情的です。

「非常に不愉快」
「こう言う事を考える作者が嫌い」
「賞の為には絶対マイナス」

これは新井素子が、その文体故にコンクールで物議を醸したのと並び称される出来事ですが、こちらの方が明らかに感情的なもので、審査員全員が敵に回りました。
しかし、このことが口コミで広まり、「このミステリーがすごい! 1999」にて「いったいどんな小説なんだ、ぜひ読んでみたい」という声が沸きあがり、1999年についに太田出版より出版され、ベストセラーとなりました。

そして、高見氏は「十分稼いだのでもう新作を書くつもりはない」そうです。

で、映画版ですが、「オリジナル版」と長尺の「特別編」がありますが、後者は人物の背景が描かれていて、分かりやすくなっています。

原作は元々「三年B組金八先生」のパロディとして発想されたそうですが、どちらかと言うと「信じあうこと」がテーマの青春小説という感があります。

映画は深作欣二監督の実質的な遺作ですが、まったくの深作作品といっていいでしょう。
鳥肌が立ちました。
取り憑かれたように何度も何度もDVDを見ました。

深作監督は昭和一桁の生まれです。
この世代の方々は、敗戦時の体験によって大人への不信感を持っている方が多いようです。
昨日まではばりばりの軍国主義者というか全体主義者だった大人が、敗戦により民主主義者であり人道主義者に豹変した。
何人かの人に聞きましたが、かなりショックだったそうです。

この作品は、その逆を描きます。
人道主義者だと思っていた大人が、急に殺し合いを命じます。

原作も映画も、中学生が殺し合うこと自体には意味がありません。
一応の意味づけはされていますが(理由は異なりますが、中学生に対する一種の抑止策です)、効果がないことは明白で、このお話しが夢物語であることを主張する設定になっています。
全国の中学校の中の一クラス(原作では都道府県毎に一クラスずつ)が選ばれるだけですから、何の抑止力にもなりません。

配役はかなり年齢無視で、良い役者を揃えています。
山本太郎が良かったです。
飄々としながら影があって。

でも、何といっても痺れたのは千草貴子役の栗山千明です。
原作でも印象的な役であり、シーンなのですが、映画の場合、深作監督はこのシーンを撮るために、映画化したのだと確信しました。

以下ネタバレです。

陸上競技選手の千草貴子は、異常な状況の中でも一人練習を続けます。
そこに彼女に思いを寄せる男子生徒が現れ、自暴自棄になり無理やり思いを遂げようとします。
逃げる千草に向かってボウガンの矢が放たれる。
原作では、矢は千草の太ももを貫いて、千草は倒れます(映画はかすっただけ)。
その時、木の葉で頬を切ります。
千草は逆上します。
  原作のこのシーンは凄い。
  打ち抜かれた太もものことは気にもしない。
「私の顔を傷つけたね。私の全存在を賭けて、あんたを否定してやる」
千草は男子生徒をナイフで、滅多刺しにします。
返り血を浴びた千草は、相馬光子(柴咲コウ)にピストルで撃たれます。
やっと逃げたところに幼馴染みの男子生徒が通りかかります。
彼は千草を座らせて肩を抱きます。
「好きな人に告白したいんだ」
「私じゃないよね」
「違う・・・・・・」
「そう、もう暫くこうしていて。もうすぐ終るから」
千草は絶命する。


深作監督は何を描きたかったのか。
今風のキレルことを描いたとも取れます。
しかし、そうではないでしょう。
どの様な状況下でも、自分の信じる道をひた走る千草貴子。
それを邪魔された時、身を挺して阿修羅のように戦う千草貴子。
そして、また元の愛らしい少女に戻る千種貴子。
深作監督にとっての一つの理想、純粋な魂の表現だったと感じました。

このシーンには取り憑かれました。

踊らされるな、自ら踊れ。

栗山千明の演技も凄かった。
演技指導はまったくなかったそうです。
監督も満足だったのでしょう。

まあ、これで今日まで続く、栗山千明の印象ができあがったわけでもあるのですが。

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2007年6月14日 (木)

「愛の遊覧船」、このタイトルバックって

Yahoo!動画の「愛の遊覧船」、キャストが大分入れ替わりました。
ペ・ドゥナの警備マネジャーを始めとして、演芸、客室のマネジャーも変わりました。
この3人の絡みは面白かったので残念です。
驚いたことに、主演の副船長も交代しました。
その他も含めて半数が交代です。
いずれも唐突に。
まあ、TVドラマには、年度の切れ目などではよくある話ですが、これだけ変わるのは珍しいのでは。
で、今の状態は、誰が主役か分からなくなっています。
毎回交代という感じですね。
それにしても、ペ・ドゥナと交代した警備マネジャー、最初は硬かったのですが、最近は良い味出してます。
まあ、自分のことを「情け容赦のない・・・・・・」と名乗るはご愛敬でしょうか(新しい副船長も、自分のことを「マムシの・・・・・・」と名乗りましたが)。
相変わらずテンポのいい、軽い笑いを提供してくれています。
ただ、それにしても、タイトルバックが以前のままなのですが、大分経っているのに何故?
出演していない人達の名前と顔が連綿と。
まさかYahoo!動画のために編集しているわけはないでしょうから、元々そうなのでしょうね。
韓国では、そういうことって許されるのでしょうか。
日本なら、苦情殺到でしょうが。

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2007年6月 3日 (日)

「子猫をお願い」、その心理的風景

最近は、「子猫をお願い」がお願いがお気に入りです。
「バトルロワイヤル」、「スウィングガールズ」、「リンダ リンダ リンダ」と、メイキャストが若い映画、そして、(深作欣二氏以外は)監督も若い映画に取り憑かれています。
年齢や映画の傾向のためではありません。
心が揺さぶられるような気がするのです。
特に「子猫をお願い」は、清々しさとともに、今まで見た映画の中で、最も切ない気持ちにさせてくれます。

さて、「子猫をお願い」を観賞後の41歳の女性の感想がネットにありました。
興味深い内容ですので、抜粋要約します。

この女性は、映画の五人のように商業高校を卒業して社会に出た。
映画のヘジュのように、企業に就職し、ヘジュのような仕事をしてきて、気付けば21年の歳月が経っていた。
その間、自分では成長したとの認識はあっても、会社からは評価されず、仕事の内容にも変化はなかった。

40歳になった人間が、自分の人生を振り返って「私があと20歳若かったら、きっと何でも出来るのに」と言うのは、ただの言い訳に過ぎない。
40歳になって何も出来ない人間は、20歳若くてもきっと現状に満足しているか、不満があってもあえて変えようとはしていないはずだ。
40歳になって「私があと20歳若かったら、きっと何でも出来るのに」と言うような人間は、60歳になった時、やはり「私があと20歳若かったら、きっと何でも出来るのに」と言っているのだと思う。

現状に不満があるのに、映画の中の彼女たちは「それ」を変えようとしなかった。
まだ20歳なのだから、やろうと思えば何だって出来るのに、今、目の前にある現実が全てと思っている。
しかし、最後にテヒは「それ」を変える方法を自分自身の力で見つけ、無限大の可能性を抱えて、新しい世界へ旅立って行く。
見ていてすがすがしさを感じたラストシーンだった。そして、少しだけ彼女を羨ましくも感じた。

「子猫をお願い」は「リンダ リンダ リンダ」同様、メインキャストと同年配よりも上の世代の共感を呼んでいるようです。
「子猫をお願い」のラストシーンは賛否両論があります。
否定的な意見は、結局何の方向性も打ち出していない点に不満としているようです。
肯定的な意見は、少なくともテヒとジヨンの脱皮を良しとします。
私は、肯定的ですが、その理由は心理的風景の安定にあります。

心理的風景とは、小説家、J・G・バラードの言葉で、外的環境に対する人間の心理やそれを表す言動を指すといっていいでしょう。
バラードは初期に、人類の破滅の過程や破滅後の世界を舞台に、主人公の心の変化を描いていました。
決してヒーローは登場せず、結局破滅的環境に変化は起きない。
しかし、主人公の心理的風景は変わっていきます。
破滅した世界に適応し、力強く生き続けます。
適応とは、安穏とした行為ではなく、環境に対応するために戦い、勝ち取って行くものです。
抗えないのは制約条件のみ。
自ら切り開ける部分は、切り開いていくのです。
現実の世界の環境適応もまったく同じでしょう。
その後、バラードは、破滅から特異現象、テクノロジーの進歩、そして戦争(太陽の帝国)へと主題を変えていきますが、描かれているのは(小説的に)魅力的な環境とそれへの適応です。

この映画では、メインキャストは、何らかの環境適応を果たすための一歩を踏み出します。
引用した女性の言うとおり、モラトリアム(または思考停止)からの脱皮こそが、環境適応への第一歩で、それを描くことが、この映画の眼目だと思います。
それには、本来年齢など関係ないのです(まあ、年と共に行動は制約されますが、残念ながら)。
そして、最後に子猫を預かるのは中国系の双子。
彼女たちは、映画の最初から、ある意味環境に適応しており、心理的風景が安定しています。
心理的風景はあくまで主観です。
双子は路上でアクセサリーを売って、生計を立てています。
経済的には不安定な生活と言わざる得ないでしょう。
中国系韓国人の社会的立場は調べましたが分かりませんでした。
しかし、少数民族であり、ハンデはあるのかもしれません。
それでも、二人は助け合って、生活を楽しみながら生きている。
長期的には兎も角、心理的な環境適応は果たしているといえるでしょう。
そして、子猫は庇護すべきものの象徴でしょう。
五人の中で、それを持てるのは、双子だけなのです。

そして、ラストシーン。
季節は冬のはずなのに、テヒとジヨンはTシャツ姿です。
これから旅立つ二人の心理的風景を絵にしたシーンでしょう。
スタートラインに立つとき、心は軽くないと。

様々な解釈が成り立つ、それが良い映画の証しでもあると思います
初の長編映画にして商業映画を傑作にまとめあげた監督に脱帽です。
残念ながら、興行的には成功とはいえなかったので、その後の映画製作では、資金面での苦労が多いと聞きます。
それに負けずに、また良作を製作できることを期待しています。

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2007年5月22日 (火)

「リンダ リンダ リンダ」、もう二つのメイキング・フィルム

今日は作業に没頭していました。
やけに空腹感を憶え、時計を見たら15時です。
こんな時間に何故? と思ったら、昼食を摂るのを忘れていました。
こういうことは時々ありますが、久しぶりでした。

投資は、まあ、休むも相場状態です。

さて、最近の映画のDVDには、メイキング・フィルムがお約束ですね。
映画を撮っているときから、メイキング・フィルム班がいて、映画にもクレジットされています。
ですが、今回のお話しは、そういった、いわば公式のメイキング・フィルムではなく、出演者によるメイキング・フィルムです。
「リンダ リンダ リンダ」の主演、ペ・ドゥナの公式サイトには、ビデオ・アルバムというコンテンツがあって、彼女にまつわる色々なビデオが納められています。
その中には、「リンダ リンダ リンダ」の予告編、日本公開版と韓国公開版とともに、ペ・ドゥナ編集版が二本納められています。
といっても、メイキング・フィルム班による撮影のうち、公式版で使われなかった部分を編集したもののようです。
で、これがなかなか良いんです。
まず、本編でカットされたシーンが幾つか入っています。
それから、雨の中の(人工の雨)撮影シーン。
何よりもメイン・キャスト四人の素顔とおぼしきシーンが多く納められています。
撮影の合間もありますが、公式版にはなかった打ち上げのシーンが、みんなリラックスしていて、良い表情です。
多分、打ち上げの余興でしょう。
四人の私服の演奏。
映画と違って、みんな、嬉しそうで、弾けた演奏をしています。
まあ、やはり、ペ・ドゥナは、お茶目だけれど、ちょっと大人っぽいですけどね。
それと香椎由宇は、ビデオだと物凄く綺麗です。
何というか、卒業アルバムを見ているような、メイキング・フィルムなんです。
出演者にしたら、これを見ると撮影当時を思い出すんだろうなと思わせます。
ペ・ドゥナは、映画作りを学んでいる大学生でもありますから、良い経験でしょうし、実際、一本の短編ドキュメンタリーを見ているような感じです。
公式版は、綺麗に整いすぎていましたが、こちらの方が、映画製作に興味がある私としては魅力的でした。
この映画は2006年に韓国でも公開されていますから、宣伝のために、このメイキング・フィルムが製作されたのでしょうか。
だとしたら、こういう宣伝の仕方もいいものですね。

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2007年5月10日 (木)

ペ・ドゥナ最新情報

久々映画ネタ。
国際映画祭での受賞対象作品の演出やドキュメンタリーが多い是枝裕和監督が、ペ・ドゥナにオファーを出したそうです。
直に会って交渉したとか。
ドゥナへの当て書きの激しいラブストーリー(どういう意味だろう?)だそうで、ドゥナ前向きとか。
ドゥナが演じた、ラブストーリーの主役は「春の日のクマは好きですか?」のみです。
   準主役の「TUBE」は味付け程度でした。
   でも、「復讐者に憐れみを」のエレベーターのシーンは良か
   った。
   布で覆われたドゥナを載せたストレッチャーが立てられいる。
   シン・ハギュンが、警官に見えないように、布に手を入れて
   ドゥナの手を握る。
   ドゥナの体を覆う布がはずれて、上体が見えてくる。
   無惨なドゥナの姿と悲しみを堪えるハギュンの姿、更に事務
   的な周囲の警官とのコントラストの妙。
   不気味と言えば不気味なんですが、切ないシーンでした。
   ちなみに、ドゥナは死体です。
本格的なラブストーリーを演じたいようですから(といっても、ありふれたストーリーなら出ないでしょう)、丁度良いかも知れません。
それにラブストーリーの方が、配収も見込めるでしょう。
そろそろ主演でヒット作は欲しいでしょうから。

監督は、元々ポン・ジュノ監督など韓国の監督と俳優に強い関心を持っており、普段からインタビューで「韓国の俳優の中では、自分だけの世界を持つペ・ドゥナが魅力がある」と話しているそうです。
製作陣受けは抜群ですね、相変わらず。

実現すれば、来年2月にクランクインするそうですから、公開は年末か来春以降ですね。
楽しみが出来ました。
長く待つことになりますが、映画なので仕方ありません。

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2007年4月29日 (日)

ペ・ドゥナの大学関連

カテゴリ違いかも知れませんが。
以前、お話しした、ペ・ドゥナの大学入学の件で、一部不正確なところがあったようです。
彼女は、漢陽大学演劇映画科に所属していましたが、2002年4月に除籍処分を受けています。
入学以来、映画出演のため、一年通学して、一年休学というふうに、休学を二回しました。
そして、2001年秋に授業登録はしたものの、「復讐者に憐れみを」の撮影で殆ど授業に出ることが出来なくなります。
そのため、大学から警告を受けることになります。
更に、「TUBE」の撮影のため、もはや通学が困難になります。
そこで、休学を申し出たのですが、三回以上の休学はできないという学則が壁になりました。
結局、大学は、学業をないがしろにしたとの理由で、除籍処分を下しました。
ペ・ドゥナのコメントとして伝えられているのは、
「来年末(2003年末)まで、映画撮影スケジュールが詰まっているなど、学業を正常に続けることができない、という判断によって学校側と協議、除籍を受け入れた。
 これは 暫定的な除籍で、学則によって2~3年後、3年生で復学してまた勉強するようになる。
 もちろん映画をあきらめればいいが、そんなことはできないこと。大学が芸能人に対する特別な思いやりを容認しないなど、他の学校に比べて厳格でどうしようもなかった」
というものです。

大学側は、例外は認めないということで、代わりに除籍、復学という手段を提供したのでしょうね。
彼女にすれば、評価が高いので、映画の主演が続いていましたが、興行的な成功はしていない頃ですからね。
仕事を中断すると復帰できるできるとは限らないと考えるでょう。
仕方のない選択でしょうね。

私も以前、大学に半期通った後で、怪我のため入院して、休学したことがあります。
私の場合は、もともと辞めるつまりだったので、そのまま中退しました。
でも、同期の学生仲間のアドヴァイスで、籍だけ学年末まで置いておきました。
学費の納入が半期単位なのですが、学年の途中で退学すると、後期分も支払うことになります。
でも、前期終了時に休学して、学年末に退学すると、後期分の授業料は請求されないということでした。
結果、その通りになりましたが、妙な制度ですね。

で、彼女は、昨年秋、建国大学の2007年度1学期(9月が新学期)演技優秀者特別選考に合格ししました。
多分、日本の大学の自己推薦入試にあたるのでしょうね。
芸術文化学部芸術学科に入学し、映画芸術を専攻するそうです。
「実際の演技に役立つ演技理論を学ぶほか、映画評論についても勉強したい。
 年上の新入生なだけに、学生の皆さんに気を遣わせてしまうのではないかと心配だが、いい映画、いい演技を見せることで、大学に貢献できたらと思う」
とコメントしているそうです。
何か、リアル「リンダ リンダ リンダ」ですね。
もっとも、彼女は韓国では知名度が高いですが、同じ学生になれば周りも気にならなくなるでしょう(日本では、そんな感じらしいですが)。
それに、他にも現役の俳優が入学したそうですから、建国大学は兼業に理解があるのでしょう。
でも、両立となると、毎年、受講する科目を絞って、長い期間をかけるしかないないような気がします。
こういうことは、可能なのでしょうかね。
ま、いずれにせよ、両立できればいいですね。

それから、彼女は「グエムル」の後、TVドラマに出演しましたが、かなり評価は高かったようで、知名度も広がったようです。
次の作品もTVドラマのヒロインに決まったそうです。
今は「グエムル」の余勢をかって、知名度をあげるのでしょうか。
私としては、新作映画を見たいのですが。

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2007年4月25日 (水)

意外なわりにベタかも、でもいいじゃない

以前、少しお話しした、Yahoo!動画の韓国ドラマ「愛の遊覧船」の第17話「愛しの人 僕の花嫁」を見ました。
船上結婚式を挙げる新婚夫婦の話です。

新郎はかつらで髪がないのを新婦に内緒にしています。
しかし、学生時代にバイトした、かつらの公告が雑誌に載っている。
クルーが、その雑誌を回収するコメディです。
別に髪がなくてもいいじゃない、とは思いますが、本人にしたら大問題ではあるでしょう。
で、軽くスラップスティック的展開になるわけですが、こういう話は、どうやって納めるのか問題なわけで。
そちらに興味を持って見てました。

う。
不覚にも感動してしまった。
成程。
そう来たか。
意外は意外だけど、ベタといえば、まあベタ。
でも、さらっと爽やか。
後味が良くて、いいなぁ。
TVドラマならこうあって欲しいという展開かな。

ペ・ドゥナ、今回はあまり目立ちませんが、なかなか存在感はありました。

でも、韓国の女優って、綺麗系が多いですね。
このドラマに出演している女優陣も、ドゥナを除いて皆綺麗系です。
そういう国民性というか、好みの傾向なんでしょうか?
ぺ・ドゥナみたいな可愛い系って見ませんね。
日本だと、むしろ可愛い系主体な気がしますが。

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2007年4月15日 (日)

ペ・ドゥナ特集番外編

ペ・ドゥナが大学に入学したそうです。
彼女は映画に本格的に進出した頃に、一度中退しているそうですが、今度はそことは違う大学だそうです。
それは兎も角、彼女の女優のスタートはTVドラマですが、Yahoo動画でTV女優時代の作品が無料鑑賞できます。
2000年の作品で「愛の遊覧船」というタイトルです。
この作品は少々変わっていて、キャストの俳優名が、そのまま役名になっています。
メインキャストが10人近くいますが、半数程度は若手っぽいので、若手俳優の名前を売る目的かもしれません。
ただ、ストーリーでメインを張るのが、若手ばかりというわけではありませんが。
遊覧船のクルーのシットコムで、ちょっと古風な感じですが、テンポが良くて、構成もしっかりしていて、なかなかの良作です。
また、見たところなかなか良い俳優を使っているようで、オーバーアクトせず、きっちりと見せてくれますし、キャラクターが立っています。
大げさな笑いをとるのではなく、ちょっとほっとさせてくれる作品です。
日本では見なくなったタイプと言えるでしょう。
この当時のペ・ドゥナは、20か21歳で、映画女優になってからとはだいぶ顔つきが違います。
ややふっくらしていて、可愛らしい感じです。
「リンダ リンダ リンダ」の時は24から25歳でしたが、もっと若いときに、あの映画を撮っていたら、かなり雰囲気の違う作品になっていたことが分かります。
まあ、20歳代半ばでの出演で正解だったと思います。
あまり可愛すぎるのは、あの映画には合わないと思います。
そういえば、ペ・ドゥナは韓国では、男性にあまり人気がないそうですが、最近昔の大学入試の願書の写真がネットに流出したそうで、その可愛さが評判になっているとか。
これって、本人は複雑な心境でしょうね。
まあ、それはそれとして、今年は久々にTVドラマに復帰して、在日コリアン役で高評価を得たそうです。
映画の次回作に期待が持てます。
いえ、興行成績で。
女優として評価は高くても、たまには主演でヒットしないと辛いでしょうから。
韓国では相対的には女優の地位が低いとも聞いていますので。
それに、また、日本映画への出演も期待したいところです。

そういえば、今日は上野樹里の新作ドラマのスタートですね。
またまたコメディらしいですね。
何かTVづいているし、コメディづいてますね。
良い映画で見てみたい女優なんですが。

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2007年4月14日 (土)

栗山千明特集番外編

今日は、まったりしたかったので、久々にプロジェクタをセットして、久々に「六番目の小夜子」を見ました。
全編一気に見るのに6時間かかりますが、やはり良いものは良い。
見直すたびに発見があります。
今回は特に「小夜子は自分をうつす鏡」という言葉に引かれました。
「自分を見つめることは勇気がいる」という、古尾谷雅人の台詞と対をなしています。
自分を見つめて、環境に適応するために調整していく必要がある。
だから「小夜子はどこにでもいる」のでしょう。

しかし、若手の俳優陣は良いですね。
現在も活躍している俳優が結構います。
印象的な加藤役の山崎育三郎は、その後、目にすることがなかったのですが、現在ではミュージカル俳優として、歌手として活躍していることを、最近知りました。
不器用で、弱々しくて、でも実は優しさと強さを合わせ持つ、加藤役とはイメージが繋がりませんが。

「六番目の小夜子」にしろ、「スウィングガールズ」にしろ、無名の若手俳優が多く出演している作品は、その後の俳優達の活躍が追えて、何だか楽しい気分にさせてくれます。

そういえば、本作の主演の一人、栗山千明が連続ドラマのヒロインを、初めて演じていますね。
ラブコメらしいですね。
それも初めてですね。
何か鉄道マニアのOLで、興奮すると茨城弁が飛び出す役らしいですね。
栗山千明は、茨城県土浦の出身ですから、それも抜擢された理由なのでしょうか。
本人は周囲が引くほどのアニメ・マニアですから、鉄道マニアの感覚も理解しやすいかもしれませんし。
ただ、台詞のない演技が光る女優ですからね。
アップの多い、TVドラマ向きの女優ではない気はします。
良い映画に出会って欲しいものです。
とはいへ、彼女をキャスティングするくらいですから、一筋縄ではいかない役なのでしょう。
今回は人も殺されず、彼女も死なないのでしょう。
美しさと個性的な役作りで勝負でしょうか。
そういう役も良いかな。
実は見ていないので、来週にでも見てみますか。
憶えていたら。

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2007年3月23日 (金)

栗山千明特集第2弾・・・・・・でも反則、しかもネタバレ

よ~し、頭がはっきりしてきたところで、行きますか。
ということで、誰も待ってはいないでしょうが、女優特集続行です。
3人目は「栗山千明」です。
やはり私はカルトかなぁ。
え~、第1弾は「死国」でした。
で、第2弾はTVドラマ「六番目の小夜子」ですから、反則ですねぇ。
しかも、重要な点はバラします。

これはNHKのドラマで、30分12回計6時間。
もはや伝説と化した名作です。
根強いファンが大勢いますね。
2000年の作品で、映画のように脚本が事前にできあがった上で撮影されたものです。
人気があるんで、1~2年おきに再放送されています。
最後の再放送は2年前だったかな、元日に6時間連続放送をしたらしい。
一気に見ると楽しいんですが、疲れます(私はDVDで)。
   実は何度も一気見してますが。

原作は恩田陸の同名小説で、1992年の彼女のデビュー作です。
こちらは長らく幻の名作といわれていたそうな(売れなくて、すぐ絶版だったから)。
現在は加筆版が入手できます。

ある高校(ドラマでは中学校)に伝わる「小夜子伝説」。
3年に1度、小夜子に選ばれた者は、正体を知られずに、3つの指令を成功させなければならない。
成功すれば「小夜子の祝福」が得られる。
活きた学校伝説です。
その小夜子の座を奪い合うお話し(奪い合う相手は謎の人物)であり、小夜子伝説の謎を解明するお話しでもあります。

ドラマ版で注目すべきなのは、この物語が極めてリアルに学校伝説のからくりを説明している点です。
人は何故学校伝説を信じるのか。
実際に成功した小夜子は一人だけ。
小夜子周辺で起きたショッキングなアクシデント。
針小棒大に伝わる小夜子の年の災い。

成功がなければ伝わらない、災いがなければ魅力がない。

ってとこかな、うまいなぁ

TVドラマで、シーリアル(全体が一つのストーリーになっているもの。連続ドラマと同義なんでしょうか)は短編連作形式です。
30分の短編として起承転結があって、盛り上げなければならない。
そして6時間通しても盛り上げなければならない。
でも、幸いにして1週間おきなので、多少の不自然は気付かれない。
んですね。
放映時は。
でもDVDで一気見すると、気付きます。
矛盾に。
登場人物が知らないはずがないことを知らない。
急に登場人物間の距離感が変わる。
何か設定、ずれてないか?
ま、しょうがない。
作り辛そうだもん。

でも、それを踏まえても良いものは良い。
登場人物のキャラクターが魅力的で、よく立ってる。
謎の総ては語らず、見る者に預けることで、よりミステリアスになり、解釈も多様になる。
表面上複雑なストーリーだけど、裏から見ればシンプル。
それに魅力的なシーンを吊る。
   何せ、素人の中学生をエキストラに千人近く使って、その中に
   俳優を混ぜて撮ったシーンがあるんです。
   エキストラは何が起きるか知らない。
   で、真っ暗闇の中、ぶっつけ本番で「呼びかけ」という形式の
   芝居をするんです(リレー形式で台詞を述べていくもの)。
   タイトルは「六番目の小夜子」で、小夜子伝説の歴史が語られる。
   そして、俳優の順番が来た。
   「私は来た」
   「ここに」
   「来た」
   ここで、俳優が煽ってパニックを作り出すという荒技。
   事故がなくて良かったですね。
   このシーンのファンは多いらしい。
こういう作りもありでしょう。

原作の主役は、津村沙世子。
高校3年生にして、ちょっと変わった転校生。
勝ち気で負けず嫌い。
自分が女であることを意識して、心理的に男との違いが生じてきたことに戸惑い、男に嫉妬する。

ドラマの主役は二人。
まずは、潮田玲。
中学2年生で、活発、好奇心旺盛、少年みたいな女の子。
玲に象徴されるように、ドラマ版のキャラクターはユニセックスな言動が目立つ。
   そのために高校から中学校に設定を変えたのでしょう。
   まあ、高校生が学校伝説を真に受けるというのに違和感が
   あったとも思えます。
原作にはない役。
演じるのは、鈴木杏。
当時小学校6年生。
ユニセックスな役にはぴったり。
実年齢より年上役多いし。
もう一人が、津村沙世子。
原作と異なり、極めてミステリアスで、不思議な少女。
登場人物の中では最も女性的かもしれない。
演じるのは、栗山千明。
目の強さ、全開。
この役は彼女でないと難しいでしょう。

松本まりか演じる花宮雅子は面白い。
原作では語り部だが、ドラマでは普通に脇役と思える役・・・・・・途中までは。
何故番宣写真のセンターが彼女なのか。
見終わると納得する、影の主役。
表情が豊かで(伏線を表情で表してる)、いっちゃった演技もうまい。

男性陣での私の一押しは、溝口役の鳥居紀彦。
原作は男っぽい設定なのに、ドラマではオカマっぽい設定。
女性的な感じなんですが、女の子の多い家庭の一人息子かな。
ユニセックスの一つの象徴なんでしょう。
良い感じで演じてます。

で、昔NHKで人気を博した「少年ミステリー・シリーズ」のオマージュとして描かれた原作を、やはりそのファンだったスタッフによって作成されたのがドラマ版なんです。
同じ学校伝説をテーマとしながら、原作とドラマの設定の違いは、小説と映像との違い以上に、原作者と脚本家のメッセージの違いなのでしょう。
メッセージの違いが、原作がファンタジーなのに対して、ドラマは(ファンタジー色の強い)ミステリーとなりました。

原作にはないのですが、ドラマを象徴する設定があります。
二人の人間が自らを変えたくて、小夜子になろうとした。
もう一人は逆境を小夜子の呪いのせいにした。
更にもう一人は逆境を小夜子に勝つために乗り越えた。
「小夜子なんて、どこにもいない」
「小夜子は、どこにでもいる」
人の希望の象徴にして、人の弱さの象徴。
そして、もう一人。
小夜子によって、新しいドラマと自分の可能性を見つけた。

ドラマは、小夜子伝説の終焉をもって、メインプロットを終えます。
小夜子伝説の真の仕掛人を暗示して。
そして、転校を繰り返して孤独だった沙世子と玲の友情、沙世子とクラスメートの友情が描かれ、別れが描かれます。
   私も転校が多かったな。
   沙世子が最初に言うように、新学期になれば忘れ去られる存在
   だったんだろうな。
   どうでもいいけど。
そして、すべてが終ったと思われたとき、別の場所、別の学校で、「小夜子伝説」は繰り返される。
このラストは、ぞくっと来る。
ここの解釈は、見た人によって様々です。
   津村沙世子妖怪説なんてのもある。
   意外に説得力があるんです。
でも、
「小夜子は、どこにでもいる」
というメッセージでしょう。

最後に特筆すべきは音楽です。
cobaが担当しています(彼も「少年ミステリー・シリーズ」のファンだそうです)。
劇伴自体を心理描写のサポートとして使い、雰囲気を盛り上げています。
しかも、歌詞付き劇伴、フランス語風。
何って歌っているのか、話題になりました。
実は、
意味のない歌詞(音触を優先)だったり、
フランス語の歌詞を逆回転させたり
というもの。
凝ってます。

そのうち、また一気見しようかな。
体力のあるときに。

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2007年3月10日 (土)

全面ネタバレ第1弾

少し復活したので、お話しをします。
これまで、ネタバレに注意をしながら、お話ししてきましたが、そういうのってストレスが溜まるのんですよね。
で、ネタバレ全開をやることにしました。
第1回は「スウィングガールズ」です。再び。
ということで、まだ見ていなくて、これから見ようという方は、ここから先に進むか否かは、ご自分の意思に従ってください。

東北某所(限りなく山形県米沢市)の高校生がビッグバンドジャズを組んで、結果音楽祭(といっても内容はお披露目会)に出場する話しです。
大部分が目標もなく、ダラダラと若さを持て余している女子高生。
彼女たちが偶然ジャズと出会い、何かを達成する喜びを分かったのかなぁ? という映画です。

監督は、「ウォーターボーイズ」で大ブレイクした矢口史靖氏。
元々の動機は、女子高生がジャズを演奏するということに興味があったからとか。
で、実際行ってみると、普段さえない外見の女子高生(まあ制服ですし、お年頃でぷくぷくですし)が、楽器を持つと格好良く豹変する。
それで、格好悪い奴がラストで格好良くなるカタルシスを描くことに。

まあ、従来、高校ならどこでも吹奏楽部はあるでしょう。
ただ、近年部員が集まらなくなってきているそうです。
大体25人以上はいないと、普通に吹奏楽の演奏をすることが出来ないんだとか。
でも、ビッグバンドだとそんなに人数がいらないということで、転向する高校が増えているんですって。
ビッグバンドに明確な定義はないようでうすが、広義には8人くらいからそう呼ばれるみたいです。
で、17人前後でフルバンドと呼ばれるそうです。
映画はフルバンドである"Swing Girles and a boy" のお話しです。

普段ならここから下の殆どは暗転させてます。

メインプロットは、
高校野球の応援をする吹奏楽部がアクシンデントで、ほほ全滅、
無理矢理補習中の女子高生を引っ張り込む、
人数が足りないのでビッグバンドジャズに変更、
何とか吹奏楽部復活、
ジャズがやりたいから楽器代を稼ぐ、
師匠に巡り会ってうまくなる、
そしてカタルシス
というベタな展開。
   絵にも描けないじゃなくて、絵にも描けるし、論理式でも書
   けるような。
   昭和30年代なら、観客を涙に誘えそうではある。
で、最後に格好良くするためには、それまで格好悪くすればいいと、コネタ満載。

また、練習で苦労しているシーンも殆どない。
だって、音楽祭までは格好悪くないと。
個人個人が苦労しているシーンは、貫地谷しほり演じる良江が、トランペットのハイトーンに四苦八苦しているシーンで代表させています。
これは良かった。
良江はみんなの頑張りの記号です。
   でも、ここのねずみネタ・・・・・・面白いんですが、リアリティ
   なし、ゼロ。
   監督、そこまでして、貫地谷を格好悪くしたいんでしょうか?
   それともシリアスシーンに何か怨みがあるとか?
あと、豊富なコネタ群、概ねギャグではないんです(まあ一部にはありますが)。
現実的なシーンなのに可笑しい。
この映画、割と感情移入はしやすいんですが、それでも可笑しい。
間が良いんですね。
タイミングの外し方が。

といっても、多くの力業は使ってます。
殆ど笑いじゃないところで。
   って、本当はこういうのまずいんじゃないかなぁ。
   メインプロットが力業って。
吹奏楽部は演奏の途中で食事する。
   平和的に吹奏楽部を全滅させるには仕方がないけど。
   交通事故ってわけにもいかないし(それじゃ短期間に復活
   できない)。
ずっと吹いてなかったのに、友子(上野樹里)が、まともにサクソフォンを吹く。
もっとブランクがある、多くの人達がいきなり、ちゃんと演奏する。
   この二つは効果優先でしょうね。
工場修理工が楽器を修理する。
   展開的にコヤマが欲しかったんでしょう。
工場修理工が、いきなり舞台装置を操作する。
   他にやってくれる人がいなし、やってくれないと盛り上がりが
   足りないかもと思ったんでしょう。
   たしかに、これがないと、引きで撮った場合、ソロを演奏する
   個々が目立たなくはなったでしょうね。

こう挙げると、よく最後まで観客を引っ張れたもんです。
演出力、高いですね。

また、全部で17人ですから大所帯なんですが、結構キャラクターが立っているのも良い。
特にメインの五人、上野樹里、貫地谷しほり、本仮屋ユイカ、豊島由佳梨、平岡祐太のキャラクターは皆秀逸でした。
そもそも、トラブルメイカー友子に対し、ちょっと一般常識はないけどトラブシューターの香織(本仮屋ユイカ)がいて、あとは引きずり回されるというシンプルな構成なんですが、それぞれが個性豊かなんで、見る者を飽きさせない。
とともに、上野樹里の負担を軽くしています。
友子というのは、かなりとんでもない人で、端から見てる分には面白いですが、近くにはいて欲しくないタイプです。
何せ行動するときに自分の願望達成以外考えていない。
野生動物でも、あんたより客観的に考えてるだろうという人ですから。
その割には行動的と言えば行動的というか、「(根拠のない)自信」たっぷりなんで、周りがついて行ってしまう。
これって、悲劇というしかない。
宇宙は友子に合わせてくれませんから。

皆でお弁当を届ければ補習をさぼれる。
届ければいいんだよな。
   直射日光が厳しい。
   頭をお弁当で日景にする。
   お弁当が傷む。
お弁当は届けた。
補習もさぼれた。
めでたし、めでたし・・・・・・じゃないでしょう。

このキャラクター、映画的には、凄く魅力的です。
でも、このキャラクターに頼り切ったら、映画はとんでもないことになるでしょう。
そんなことをしたら、飛ばすだけ飛ばすしかなくなって、「友子はあとどんなとんでもないことをすればいいんだ」になってしまう。
   スラップスティックコメディならまだしも。
まったくリアリティが感じられなくなるでしょう。
そこは他のキャストが、しっかりキャラクターが立っていて、役割が与えられ、負担が分散されました。

映画って、(多くの場合)登場人物のキャラクターとそれにあった行動、そして、それを演じきる俳優。
つまりは俳優が重要なんだなぁ、と思わせてくれます。
   まあ、「○ビルマン」と「○ャシャーン」を比較すれば、
   それは歴然ですが。

しかし、上野樹里、貫地谷しほり、本仮屋ユイカは良かった。
豊島由佳梨のやる気なさそうなのに、何げに一生懸命練習しているところを自然に演じたのも。
おもちゃがあると夢中になるタイプでしょうか。
中沢なつきもいいですね。
妙にボス感が出ていた。
それと平岡祐太、純朴だけどちょっと品のある田舎のお兄ちゃん(ボンボンとも言う)をやるとうまいですね。

そして、最後の演奏シーン。
   実はこのシーン、撮影では前の方の時期なんですね。
   まあ、ああいうラストなんで、安心して芝居をして貰うため
   には、追い込みの練習は大変になっても、早く撮った方が、
   ガールズの為にはいいんでしょうね。
ここで、そこまで練習シーンがないのが効いてきます。
観客も"Swing Girles and a boy"の実力を知らないんですね。
ここまで一度もまともに演奏を聞いてませんから。
何か、知ってる子達が演奏するよ。
あの子達大丈夫かなぁ。
という気分。
映画の観客を音楽祭の観客に擬しているわけです。
多分観客の心境に一番近い登場人物は、木野花演じるスーパーの店長なんでしょうね。
監督、凄まじい力業もかなり使いましたが、押さえるところは押さえてらっしゃる。
カタルシスに直接繋がるところは。
それが魅力の源泉なんでしょうか?
キャラ立ちとともに。

で、みんな芝居してます。
演奏しながら。
自在に演奏できるレベルじゃないのに。
や~。
役者って、本当に凄いですね。

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2007年3月 5日 (月)

ペ・ドゥナ特集補足

8作に渡ってお話ししてきました。
ペ・ドゥナの演じる役柄とは、個性的で、真っ直ぐで、現状に満足せず、何かを探し求めているというものが大部分ですが、各キャラクターはかなり違います。
振り返ってみると、作品によって、顔の印象もかなり違います。
独特の表情演技、走る、被り物といった印象も残りますが、実際は一部の作品の印象が強いためでしょう。
ペ・ドゥナが作品を選んでいる面、作品が彼女を選んでいる面、両方あるのでしょうが、いずれも標準以上のレベルの作品です。

特に、
「ほえる犬は噛まない」、
「子猫をお願い」、
「復讐者に憐れみを」、
「リンダ リンダ リンダ」
は、良質の作品です。
こうあげると、「リンダ リンダ リンダ」以外は、フランス映画っぽいかもしれません。「リンダ リンダ リンダ」はATGっぽいというか、ATGにありそうでなさそうな作品かな。
また、いずれも、ペ・ドゥナの役をそのまま他の女優が演じるというのは、ちょっと想像できないですね。
丁度「スウィングガールズ」の鈴木友子役と上野樹里の関係のように。
もっともペ・ドゥナの場合は、役と本人の個性の重なる部分はごく一部でしょうが。

とはいへ、良質な作品で、主演、準主演を続けながら、興行的には恵まれてはいませんでした。
映画関係者、評論家、女性ファンには評判がいいそうですが、男性受けしないそうです。
ペ・ドゥナは「私の顔は韓国男性に好かれない」と言っています。
役柄が多様なのも、ペ・ドゥナをブランド化しにくくし、興業成績に結びつかないのかもしれません。
作品の質と彼女の実力が評価されているために、出演作のオファーは多いようですが。

まあ、「グエムル」はやっと大ヒットしたというところでしょう。
「グエムル」のインタビューの一部では、かなり興行成績を意識していましたし(当然か)、一番怖いのは観客と答えているものもありました。
彼女の愛する作品と興行成績(つまり大衆の嗜好)のズレを感じているのかもしれません。

何故あの役を彼女なのか、と思っていましたが、シリアス、コメディ両方の演技力が要求される役だということもありますが、過酷で危険で不衛生な撮影環境で長期間(8ヶ月だったかな)耐えられる女優ということも合わせると、あまり候補者がいなかったのかもしれません。
橋のかなり高い位置の張りの上を走るシーンで、背中越しの絵なので、背中は凛々しく演じたが、前を見ると涙がぼろぼろ落ちていたとか。
こういう役者は信頼されるんでしょうね。

彼女は面白い人らしくて、何か意見があっても、直接監督に言えないそうです。
むしろ、映画は監督のものという意識が強く、監督にへばりついて意見を聞くそうです。でも、当然自分の意見はありますから、そういうときは、休憩時間にやって見るそうです。
それをたまたま監督が目にすると採用されるとか。
なんか面倒な性格といえばいえますね。
そいえば、「ほえる犬は噛まない」では、張り切るとというか、勇気を出すところでは、黄色いパーカのフードを被って紐を締めるんですが、あれは衣装合わせのときに、彼女がやって見せて、監督が気に入ったものだそうです。
被り物女優誕生の瞬間です。
マンションの廊下でのチェイスでは効果的でした、本人が延々走っているんですが、スクリーンで存在感を一層アピールできますから。
この演出は良かったです。
人間が走るっていうことが、あんなにスリリングになるんだって。
で、マンションの屋上で、勇気を出して犯人と対決というときにも、それをやるんですが、背景に同じ格好をした多くの人がいて、紙吹雪をまきながら応援してるんです。
彼女の心理描写ですね。
映画の場合、絵にしないと分からないので。
これを見て思い出したんですが、ある俳優のお父さん(自営業で裕福らしい)が、お姉さんが好きで、たまに不倫旅行などしていたそうなんです。
で、自動車での旅行なんですが、誤って崖から転落したんですね、海の中に。
そうなると車内は浸水です。
お父さん、何を思ったか「大丈夫、大丈夫、また買ってやる」って、お姉さんは別に着ている着物の心配はしていないと思うんですが。
でも、その時、お父さんの頭の中で、「ジェイムズ・ボンドのテーマ」が流れたんですね。
それで、気分が落ち着いたというか、勇気が出たというか。
冷静にお姉さんを落ち着かせ、車内が海水で満たされるの待って、窓を開けて、まず、お姉さんを出してから、自分も出たそうです。
   車内が海水で満たされると、車外との気圧が一致して、窓が
   開けられるらしい。
で、車を引き上げて貰って、その前でピースサインをして、記念撮影したとか。

それはそうと、「グエムル」は多くの国(20カ国強らしい)でヒットしたようですね。
まあ韓国以外では、年間トップ10に入るようなヒットではないですが、合計ではかなりの収益を上げているようです。
また、ハリウッドがリメイク権を買ったようです。
どうも怪物映画という扱いは受けていないようですね。
やはり、日本はプロモーションを失敗したんでしょうか。
それとも日本人だけ好みが違うのか。
カンヌ映画祭に正式出展していて、賞でも取っていれば違ったのかもしれませんが。
   映画祭は一般に、公開済の映画でないとコンクールの対象に
   ならないんです。
   日本映画でも、「羅生門」などは、最初国内での観客動員が
   少なかったそうですが、映画祭でグランプリを取ってから、
   急に延びたそうです。

ペ・ドゥナは「グエムル」のあと、久々にTVドラマに出演したそうです。
在日韓国人役で、ネイティブという設定で日本語を駆使したらしいですよ。
   韓国の場合、特に高齢者は日本語がうまい人が多いので、
   誤魔化しが効かないでしょうから、大変だったでしょうね。
   日本語はうまくなったんでしょうか。
「リンダ リンダ リンダ」で、日本映画のオファーが増えているそうです。
他にいないタイプの女優ですから、得意の語学習得能力を活かして、色々な国の映画に出演するのも良いかもしれませんね。
これからも、見ていたい女優です。

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ペ・ドゥナ特集第8弾「春の日のクマは好きですか?」

では、ペ・ドゥナ特集一応最後の作品になります。

が、その前に映画の分類の話しを蒸し返しちゃいます。
実は長年の疑問があるんですね。
これは、私が映画を便宜的にシリアス映画とコメディ映画に分けた理由というか由来でもあるんです。
USの映画賞で権威のあるものを挙げるとすると、
アカデミー賞(映像科学アカデミーつまり映画製作サイドが選ぶ)、
ゴールデングローブ賞(ハリウッド外国人映画記者協会が選ぶ)、
ニューヨーク映画批評家協会賞(選者はそのまんま)
が代表的でしょう。
で、この中のゴールデングローブ賞は、映画の賞とTVの賞があるんですが、いずれもドラマ(Drama)部門とミュージカル・コメディ(Musical or Comedy)部門に分けて選出しているんですね。
   Drama というのは、広義にはドキュメンタリーではなく、創作
   されたストーリーによるものという意味ですが、狭義にはシリ
   アスなストーリーのものという意味です。
理由は分からなくもないんです。
アカデミー賞であれ、ニューヨーク映画批評家協会賞であれ、ミュージカル映画やコメディ映画が受賞することは、極めて稀だからです。
もっと、「ミュージカル映画やコメディ映画にも名誉を」というのは。
でも、ドラマかコメディか、判断に困るものも中にはありますからね。
多分、何らかの基準はあるんでしょうが。

それでは、最後は「春の日のクマは好きですか?」です。
ロムコム(ロマンティックコメディ)のラブ・コメディです。
ロムコムとは、非現実的な状況設定を背景にしたコメディです。
ラブ・コメはこれに入ります(あの恋愛世界はまともじゃない)。
この種の作品は、ペ・ドゥナとしては初めてです。
「TUBE」と「リンダ リンダ リンダ」の間に出演しました。

がさつで、不器用で、恋に恋する女性ヒョンチェの物語です。
ヒョンチェは、母を早くに亡くして、父親に育てられました。
この父親がかなりユニーク、服装も性格も。
で、父親は小説家なんですが、病院に入院しているので、ヒョンチェが頼まれて、図書館に画集を借りに行くんです。
その画集の中に求愛のメッセージが書かれていることに気付くんですね。
それと次のメッセージが書かれている、画集の図書番号とページが。
そして、画集を借り続けるわけです。
で、そのメッセージは誰宛か?
どうもヒョンチェの特徴が書き続けられている。
ヒョンチェは自分宛だと確信して、まだ見ぬ人に恋をするわけです。
そこに、高校時代の友人で、兵役から戻ってきた男性との交流が絡みます。

冒頭から描かれるヒョンチェのがさつさが並はずれています。
これが、ロマンへの誘いか。
洒落たタイトルバックの映像が意味深で、エンドロールとリンクしていて、これはお伽噺ですよといっているみたい。

誰がメッセージを書いているか、色々候補者が現れてミステリー仕立てといえば、ミステリー仕立てです。
ただ、途中で気付きますけどね、大体。
でも、メッセージを書き込んでいる方法が分からない。
普通では書き込めるはずがないんですね。
だって、借りる前に先回り出来なきゃ行けないから。
まあ、この仕組みというのが、また・・・・・・そう来ますか、ないとは断言できないけど。

難点は、図書館の画集にメッセージを書くという不道徳さ、かな。
どうも鉛筆書きっぽいんですけどね。
韓国映画で、よく韓国人がルールを守らないと揶揄されますが、さすがにこれはやらないみたいですね。
ま、これはこれで、やりそうな人っちゃ、人なんですけどね。
うまいことはうまい。

全体的に見れば、お伽噺としては、良く出来ていると思います。
大きな波乱もない代わり、まあまあ許せる範囲のご都合主義かな。
ここは軽くネタバレ
終ってみるとラブストーリーが一つじゃなかった、っていうのは良いですね。
ラストシーン二連発は、爽やかです。

ただ、通常のラブコメの、過剰な演出と、あり得ないくらい起伏に富んで、あり得ないくらいのご都合主義のストーリーに慣れていると、物足りないかもしれません。
   あれって、あまりのご都合主義の猛攻撃に、観客の感覚が麻痺
   するんでしょうね・・・・・・それはそれで快感、と経験者は語る。
あと、スタイリッシュな映像、インテリア、服などもお伽噺にふさわしく心地よいですね。
   小物とか下着とかは、ペ・ドゥナの私物を多く使っているそうです。
背景もストーリーもお伽噺風なんですが、登場人物も少しそうかもしれません。
ペ・ドゥナ演じるヒョンチェは、あり得ないくらいがさつな上に、夢想癖有り。
ちょっと我儘で、可愛いけど、子供っぽい。
設定は幾つだ、と言いたくなるくらい。
同級生が高校卒業後すぐ兵役に行って、昨年除隊したということなので、22~23歳くらいですかね。
そのくらいだといるのかな?
ああいう人。
あそこまでとは行かなくても。
絶滅寸前でも。
で、元同級生(要は同窓生か)が、ヒョンチェをずっと好きなんですね。
で、さすがお伽噺、あり得ないくらい何でもヒョンチェの我儘を受け入れるんです。
しかも、純真、気弱、でもがさつ。
この二人、端から見て、お似合いと言えばお似合いなんですが、不安にもなります。
まあ、ロムコムだから。
それとヒョンチェの父親が良い。
かなり個性的。

それと驚くのは、ペ・ドゥナの可愛らしさ、愛らしさ。
こんな表情豊かな演技は始めて見ます。
これがペ・ドゥナ?
っていうレベル。
女優って怖い。
いや、演出と撮り方も合わせてでしょうね。
   何でも、監督に今までで一番可愛く撮ると言われたとか。

それから注意事項として、字幕版だと意味が分からなくなる部分が出てくるかもしれません。
吹き替え版の方が、スムーズに設定やストーリーを理解できるでしょう。
字幕がおかしいというわけではないんですが、狭い部分の設定が若干入り組んでいるので、字幕を読む作業の負担が、理解の妨げになるかもしれません。
それに、この映画は絵をじっくり楽しんだ方が良いでしょう。

え~、ペ・ドゥナ曰く、「ヒョンチェは自分によく似ている」そうです。
夢想的なところがです。
がさつなところではありません。
この作品を持って、自分と等身大の役(自分に近い役という意味でしょう)は今後演じないそうです。
この後は、舞台を経て、「リンダ リンダ リンダ」、「グエムル」と出演して行きます。

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2007年3月 4日 (日)

ペ・ドゥナ特集第7弾「頑張れグムスン」

え~と次行きます。
あ、その前にシリアス・コメディ論争(いつから論争になったんだ?)について一言。
シリアス映画とコメディ映画の分類は、私が便宜的に付けたものです。
でも、"serious play (シリアスな劇)"や"catagory of comedy (コメディに分類される)"といった表現は実際に欧米でも使わるようです。
全体的な分類に使うわけではないと思いますが。
シーンや演技をserious とかcomedy という言葉で表すこともされているようです。
また、シリアス映画とかコメディ映画という表現も、少なくとも日本の評論家レベルまでは普通に使われていますので、通じることは通じます。
ただ、こういう無秩序な分類って、便利は便利ですが、あくまで説明の手間を省くためだけに使いたいですね。
他のサイトでは、何か分類の議論に血道をあげている人達もいますね。
それより映画の中身の話しをした方が、建設的だと思いますが。
まあ、分類してみた私の言う事じゃないか。

で、「頑張れグムスン」です。
この映画は、クライムコメディ(犯罪喜劇)にして、スラップスティク・コメディ(ドタバタ喜劇)です。
   クライムコメディ(crime comedy)が正しい英語かどうかは知
   りませんが、日本では古くから使われている言葉のような気が
   します。
   犯罪小説と訳される"crime fiction"や犯罪ドラマと訳される
   "crime drama"は通じる英語らしいです。
   あ、英語に拘っている理由は、和製英語はなるべく使いたく
   ないからです(日本発の概念で英語圏にない言葉は別として)。
背景は日常的なんです。
できちゃった結婚した新婚さんの話しで、あまりお酒が飲めない夫が、新婚故に飲まされて、ぼられて人質になるんです。
それを助けるために妻が、お金を持って行くんですが、店が分からない。
   大体店のオーナーも一人ではたどり着けないくらい分かりに
   くい場所にある。
   つまり泥酔者専門店。
で、うろうろしている妻が、犯罪組織の抗争に巻き込まれるわけです。
といっても抗争のきっかけを作るのも彼女なんですが。
ま、シリアスな話題もありますが、印象的には、殆どコントと追い駆けっこですね。
   ところで、コント(conte)という言葉はフランス語です。
   たしか「劇」という意味だったと思います。
   日本のコントは、英語の"comedy skit(コメディの寸劇)"が
   これに当たると思います。
面白いのは、夫はあまり飲めないんですが、上司は「俺の酒が飲めないのか」のり、一気飲みはあるし、これ2000年公開なんですが、この頃こんなことがあったんでしょうね。
それに、深夜の繁華街の危うさ、援助交際、嫁舅の力関係など、韓国映画特有の風刺も効いています。
でも、何といっても、真っ向スラップスティックコメディって、久しぶりに見ました。
それも、構成・展開がうまくて、上質なのを見られるとは、ちょっと驚き。
これ、日本じゃ企画が通らないんじゃないかな。

そう言えば、私はフランス映画の「ラン・ローラ・ラン」って好きなんです。
コメディじゃなくて実験映画的なんですが。
人が走る映画が好きなんでしょうか。

ペ・ドゥナは主役グムスン。
元バレーボールのトップアタッカーで、できちゃった結婚した一児の母。
ちょっと猫かぶりで、子供っぽい、ずぼらな主婦という役。
ペ・ドゥナの如何にも新婚そうな、甘えたような表情が似合う。
この役設定は妙にリアル。
普通にこういう性格の人はいますね。
というか多いですね(断言)。
で、赤ちゃんを負ぶって繁華街の裏道を疾走。
身体能力も運動能力も高い設定なので、それが見ていて面白い。
演じる方は大変でしょうが。
   実際のペ・ドゥナ曰く、
   「私、運動神経ないんです。かわす(避ける)動きがうまく出来ない」
   だそうです。
   だから走るシーンは多いけど、いつもまっすぐ走る設定なんだ。
   でも、フォームは綺麗です。前作で鍛えられたか。

脇役陣も芸達者で、かなり妙な役をきまじめに演じています。

夫も大活躍なんですが、飲めないはずが、大変身って。
東アジア人は一定の割合で、お酒が駄目な人がいます。
アルコールを分解すると、アルデヒド(二日酔いの素)という毒に変わるんですね。
普通の人はアルデヒドも分解できる酵素を持っているんですが、持っていない人もいるんですね。
何万年か前に中央アジアで生まれた一人の人が、突然変異でアルデヒドが分解できなかったそうで、その人の子孫が東アジアに伝播したそうです。
日本人って、結構な割合でアルデヒドが分解できないらしいので、その人の子孫は大繁栄中なんですね。
ちなみに東アジア人以外は大丈夫だそうです。
お酒が嫌いとか、慣れていないので飲めないとかいう人はいるらしいですが。
ま、それは兎も角、東アジア人なら飲めないのも不思議はないということを逆手に取った設定が使われます。
ベタですけど、ストーリーの流れに乗っているし、悪徳業者に一矢報いていて、結構痛快です。
気の弱わそうな人に、あんまり飲ませちゃ行けません。
いつ豹変するか・・・・・・。

あまり考えなくても済む話し(深読みすれば出来そうですが)なので、笑いっぱなしで見るのも良いですよ。
こういうペ・ドゥナの映画は、これだけですし。
この作品は、「ほえる犬は噛まない」以来のコメディです。
間に三作のノン・コメディを挟んでいます。

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「ペ・ドゥナ特集 今後の展開」のコメントへのコメントの続き

前回は論点がずれてしまいましたね。
コメントの趣旨は、シリアスとコメディが対極ではないという点でした。
シリアス(Serious)とは、真面目な様、荘厳な様、重大な様、大きい様とかいった意味ですね。
serious の付く言葉を幾つか挙げてみましょう。
serious music クラッシク音楽
serious literature 純文学
a serious matter 重大問題
serious maney 大金
とですね。
まあ、後半は別にして、前半の用法を参考にすると、serious movie の対義語はpopular movie になりますね(映画に関しては、そういう用法は聞いたことがありませんが)。
一方、コメディ(comedy)は、喜劇、滑稽劇という意味です。
面白いのは、辞書で"comedy"の対義語を調べると"tragedy"とされている点です。
元々の意味からすれば正しいのですが、現在のcomedyの意味からすると違和感があります。
いずれにせよ、言葉として両者が対極でないというのはその通りです。
では、何故敢えてその様に一旦定義したかというと、ある映画を評して「シリアスか、コメディか明確にした方が良い」なんて言われることがあるからです。
これは作品の主眼を笑いに置くか、置かないかはっきりした方が分かりやすい、ということを言っているのでしょう。
今回は私なりの定義なので、単語自体に意味はなく、定義付けすれば良いだろうというのもありました。

カットした部分を、その少し前から紹介します。

映像、演劇、小説などが色々なジャンル分けされて呼ばれますが、それらの分類にしっかりした定義があるわけではありませんし、分類体系があるわけでもありません。
通説と呼ばれるものすらないでしょう。
これはジャンル分けに限らず手法などにもいえます。
例えば「アドリブ」という言葉をどう定義するか。
映画のコメンタリを聞いていると、監督によって「アドリブ」の定義が異なっていることに気付きます。
実際、アドリブ論なんて議論もあるようです。
自然科学でも社会科学でも、一般的にはまず言葉の定義をしてから議論するでしょう。
言葉で議論するのですから、同じ言葉を同じ意味として使わなければ議論にならないか、酷く効率が悪いでしょう。
ところが芸術の世界では用語の論争みたいなレベルの議論までされます。
まあ、恐らく使われている用語が自然発生的な起源のものが多いんでしょうね。
どうも「靴の上から足を掻く」ようで居心地が悪いんですが。
もっとも、たまに社会科学の分野でも、そんな議論を見かけますが。

で、私自身、本来の意味では、シリアスとコメディが対義語だと思ってはいません。
たんに上野樹里とペ・ドゥナのお話しをする際に便利だったから、便宜的に使っただけです。

私がコメディ映画を見ると思い出す言葉を引用します(正確ではありませんが)。

楳図かずお氏曰く、
「ホラーとギャグの違いは、視点やタイミングの違いだけ」
榎本 健一(エノケン)氏曰く、
「喜劇ってぇのはよう、シゲキ(悲劇)だと思ってやれ! 」
山田洋次氏曰く、
「莫迦みたいな奴が、莫迦なことをやったって、面白くも何ともないんだ。莫迦みたいな奴が、まじめにやってるのが面白いんだ」

エノケン氏の言葉は稽古中の言葉だったと思います。
山田洋次氏の言葉は、「幸福の黄色いハンカチ」で武田鉄矢氏に言った言葉ですね。

で、一度は映画全体を指す分類ではなく、各シーンを指す言葉を使おうかと持ったんですね。
コメディリリーフ(comedy relief)という言葉を。
ただ、これは、「緊張度の高い場面の間に、笑いを誘う場面を挟む手法、あるいはその手法を担う俳優のこと」なので、笑いを主体とした映画の場合に使う言葉ではないので断念しました。

ということで、結論の出ないお話しでした。
こういうのは居心地悪い。
頭の体操にはなって面白いんですが、私の場合はね。

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「ペ・ドゥナ特集 今後の展開」のコメントへのコメント

「ペ・ドゥナ特集 今後の展開」へのチクタクさんのコメントにご返答します。

あの時もお話ししましたが、私自身、映画の分類自体に興味がありません。
ただ、作品によって、リアリティのあり方や、その度合いをどこに求めるかは重視しています。
例えば設定自体にリアリティを求めるのか、物語世界に中にとどめたリアリティを求めるのかといったことですね。
まあ、これすら正確には定義できませんが。

ま、私が分類を試みたのは、上野樹里とペ・ドゥナの作品を分析する上で、都合が良かったからにすぎません。
要は作品の多様性を表現するためです。
なんとなくの分類っぽいものより、無理矢理体系化したというところでしょうか。
   困るのは次に取り上げる女優の場合、この分類では分析でき
   ないんです。

で、元々かなり長かったのをかなり切ったので、言葉足らずにはなりましたね。
以下はカットした部分の一部です。
構成が変わってしまったので、そのままでは入りませんが。

「スウィングガールズ」もコメディです(監督がそう言っているし、私もそう思う)が、何なんだろう。シットコム"的"映画かな。
ラストのカタルシスに向かって、単純なメインプロットを引いて、後はコネタを山のように吊った作品です。
矢口監督は、ラストのカタルシス、つまり格好悪い人達が、格好良く変身する様を描きたかったわけで、格好悪さを表す手法としてコメディを使ったわけです。
そのためでしょうか、笑いの部分は、ほとんどスケッチ・コメディといえます。
   何度見ても乱暴な作りの映画ですが・・・・・・魅力的です。
   バランスが良いんですね。
「スウィングガールズ」のように、多くのコメディ映画は、メインテーマがあって、しっかりしたストーリーラインもある中に笑いを入れている形式ですね(チャップリンの映画もそうです)。
ですから、映画によっては、観客が必ずしも「笑うことを主目的にしている映画」とは感じないかもしれしれません。
まあ、作り手自体が、あるテーマに対して、作品のトーンをシリアスにするか、コメディにするか決めているところもあるようです。
また、同一のストーリーラインあるいは脚本でさへ、シリアスにもコメディにも演出することが可能な場合もあります。

とはいえ、映画の場合は、多くの作品は、乱暴な分類でも大体は可能だとは思いますが、やはり分類自体に意味はないでしょう。
また、映画と舞台劇では、脚本の作りも演出方法も違いますし、通常は動員すべき観客数も違いますから、映画の方が分かりやすいものが多いんでしょうね。
舞台劇は冒険的な演出方法を取りやすいのかもしれません。
   私は舞台劇に詳しくないので、よく分かりませんが。

それと「喜ばす劇」の下りはジョークだったんですが、前後を削ったのでジョークになってませんね。
気付かなかった。
ちなみに原文です。

では、コメディ(Comedy)とは何か?
元々は悲劇(Tragedy)の対義語ですね。
非悲劇です。
これは発音しにくいな。
で、喜劇かな。
喜劇とはよく言ったものです。
「悲しませる劇」に対して「喜ばせる劇」ですね。
別に喜ばせなくても、悲しくさせる目的以外なら良いんですけどね。

結局、重要なのはテーマで、Tragedy であれ、Comedy であれ、演出手法に過ぎないと思います。
勿論、泣かせること、笑わせることに徹することも含めてのテーマですが。

しかし、blog がというか、連載形式というのは難しいですね。
アップするのが細切れになる点が。
裏話をしますと、「ペ・ドゥナ特集」に関連するお話しは、13回で完結するんです。
作品の分析は、その都度していますが、特集としての構成は一括して考えているので、一回一回を見ると、内容が不十分な気がします。
変な汗が出そう。

何か、今回は内容が真面目に過ぎたかな?

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2007年3月 3日 (土)

ペ・ドゥナ特集第6弾「ほえる犬は噛まない」

ということで、お待たせしました。
   あまり待ってる人はいないか。
本格的スタートです。
   随分引っ張りました。
今回の作品は「ほえる犬は噛まない」です。
   英語タイトル、
   "Barking Dogs Never Bite"
   の直訳ですね。
タイトルの意味は、「口やかましい奴ほど、実行力や実力がない」という感じですか。
原題は「フランダースの犬」です。
   タイトルに意味はないらしい。
日本のアニメの主題歌を歌うシーン(コリア語で)があり、ラストでもアレンジした曲が流れます。
ペ・ドゥナの初主演映画であり、本人はデビュー作だと思っているそうです。
   よっぽど貞子(相当)役が嫌だったんでしょうか。
映画はシットコムです。
主人公は何棟かからなる大型マンションの管理事務所の経理担当事務員ヒョンナム(ペ・ドゥナ)と、そこに住む大学の非常勤講師ユンジュ(イ・ソンジュ)です。
ストーリーはそのマンションで起きる、犬の連続行方不明事件(3件起きます)の進行と解決するためのヒョンナムの奮闘、そして顛末が縦糸、ユンジュの色々な葛藤が横糸です。
ミステリー仕立てですが、名探偵の事件解決物語じゃありません。

この映画を見ながら、「暗闇でドッキリ(A SHOT IN THE DARK)」という映画を思い出しました。
クルーゾー警部シリーズ(ピンクパンサー・シリーズともいわれる)の第二作目です。
こちらは連続殺人らしき事件をクルーゾー警部が解明していくミステリー仕立てのコメディです。
おそらくシリーズの最高傑作でしょう。
この作品のユニークさは、一見連続殺人に見える事件が、物凄く狭い人間関係の中で起きた、別々の殺人事件の集合である点です。
つまり、同じ事象でも視点によって見え方が違うという面白さですね。
ま、最大の魅力はクルーゾー警部の無茶苦茶さと、何故かそれでも事件を解決してしまう展開の妙ですかね(ちなみにシリーズで最初に事件を解決した作品です)。

「ほえる犬は噛まない」も「暗闇でドッキリ」的な展開を見せるのですが、謎解きなどなく、全般的な印象としては緩い感じのコメディ・プラス・アルファというところでしょうか。
日本映画に比べれば、かなりゆったりした展開に感じられるかもしれませんが、むしろ頻度は少ないけど、緩急の振幅がかなり大きいといえますね。
また、コメディ一辺倒ではなく、シリアスなシーンの割合が高いのが特徴です。
ですから、今見ているシーンがどっちに転ぶか分からないという緊張感もあります。
また、時々入るスラップスティック(ドタバタ喜劇)なシーンが強く印象に残るので、結構動的な印象も受けます。
設定も構成も展開もかなり緻密に作り込まれています。
ヘタをするとかなりビジーになりかねないんですが、スムーズに流れてます。
演出がいいんでしょう。

主人公ユンジュは、まっすぐで、視野が狭いけど、正義感に溢れる若い女性で、日々の生活に物足りなさを感じています。
彼女のヒロインは、銀行強盗と激しい取っ組み合いをして捕まえた女子銀行員(実話です。日本でもニュースになりました)です。
いつか自分もTVに出たい(そっちかよ)と夢見ています。
でこにでもいそうで、あんまりいないかもという人。
ペ・ドゥナのコメディでの基本パターンの誕生ですか。
一方、ユンジュは優秀だが要領の悪い非常勤講師。
要領が悪くて大学教授になれない。
どう要領が悪いかというと、学長に賄賂を贈ることを思いつかない・・・・・・って、そっちですか。
韓国の人は自国には賄賂がはびこっていると感じているらしい。
つまりは自虐ネタ。
奥さんが稼いでいて、頭があがらないのが悔しいのか、奥さんに対して子供じみた行動を取ったりする。

印象的なシーンを幾つかお話ししましょう。

冒頭、ユンジュは、教授になれないのは要領が悪いせいだと、先輩に指摘される。
気が滅入ったところに、うるさい犬の鳴き声。
ペット禁止なのに。
わき上がる殺意。
すべての発端がそこにあった。

ん~、ごく普通の舞台に、ちょっとずれた行動。
典型的なシットコムです。
シットコム宣言って感じ。
でも、この気持ち分かりますね。
一発で映画の世界に入り込みます。

また、ある少女は、行方不明になった犬を探すために、ポスターを作ります。
マンションの敷地内にポスターを貼るためには、管理事務所の許可がいります。
それで管理事務所に承認を貰いに行きます。
ヒョンナムはあっさり承認印を押した上に、少女のかわりにポスターを貼ってあげます。
親切な事務員さん・・・・・・じゃなくて、そもそもペット禁止でしょ!!
これも自虐ネタらしいです。細かいルールを守らない人が多い上に、それを不思議に思わないということを誇張しているんですね。
まあ韓国に限った話しじゃないけど。

というような比較的緩いネタの一方でスラップスティック。
これもペ・ドゥナの代名詞、疾走の誕生。
巨大マンションでの犯人追跡シーン、これが巡り巡ってクライマックスに・・・・・・。

そして、笑いだけではなく、一時の感情で行った行為が、人を傷つけてしまったことへの深い悲しみも描かれます(ここの表情は良かった)。

そして、あの騒ぎは何だったの?
少女の涙は何だったの?

何か、無理に笑わせようとしているシーンって、殆どないんですね。
ちょっとした視点のズレなんですよ。
でも、やたら可笑しいんですね。
それと見終わって、爽やかかというと・・・・・・そうでもない。
考えさせられるんですね、色々。

あれだけ風刺がてんこ盛りだと、そりゃまあ。

そう、ありそうで、なかった映画っていう感じでしょうか。

で、そいう映画なので、オーバーアクションとかは取れないんですね。
演技も淡々としているんです。
というか淡々としていないと変ですから。
そこで活きるのが、ペ・ドゥナの表情演技です。
これ便利ですね。
特に顔は真顔なんですが、眼を大きく見開いて、眼球がくるくる動くやつ。
本人は真剣なんですが、見てる方は可笑しい。
   そういえば、元CXアナウンサーの木佐彩子さんがやってました。
   失敗すると、体は固まってるのに、眼だけぐるんぐるん回る感じ。
   あれって可笑しいんですよね。
   真剣であればあるほど。
それを含めてペ・ドゥナの存在感とうまさを感じました。
それと小動物みたいに見えますね。
凄く小柄に感じます。
背が高いのに。
   どっかのblog で、「リンダ リンダ リンダ」の話しで、
   「ペ・ドゥナが背が高いのに驚いた。『ほえる犬は噛まない』
   では小柄だったのに。成長したんでしょうか」
   って、普通二十歳過ぎた女性の背は伸びない。
周囲の俳優が大柄なのもあるでしょうが、自分を小柄に見せる術? を心得ている感じがします。
ようく見ると工夫しているようですね。
例えば、椅子に座ったときに立て膝を立ててるんですね。
そうすると背中が曲がって小柄に見えます。

そうそう、それと忘れてならないブラック・ユーモア。
これがきついっちゃ、きついんです。
でも笑いを引き起こすための具になってるんですね(もはや、隠し味やスパイスのレベルじゃないんです)。
怒る人は怒るでしょうね。

ついては、ちょっと予備知識が必要なんです。
食生活について・・・・・・犬肉食ってやつです(ん~~)。
出てくるんですね。
で、現在の日本、まあ韓国も同じですが、犬に対する一般的な認識は愛玩動物でしょう。
でも、犬を食べるという習慣自体は世界的には珍しくないんですね。
元来、東アジアや東南アジアではごく普通だったようです。
今でも普通のところもあるでしょう。
中国は有名ですね。
欧州でも高地では珍しくないそうです。
日本にもそういう時代はあったそうです。
というか、地方によっては、戦後までそういう習慣があったそうです。
例えば、ドイツのブタの丸焼きみたいな、犬の丸焼きとか。
どうも、犬に対する見方は元来二分されているようなんです。
狩猟民族では、狩猟の道具というか仲間というか。
この延長線上で愛玩動物になったようです。
で、農耕民族の場合は食料ですね。
飼いやすい家畜ではありますからね。
で、欧州的な生活様式が、世界中に広まったことに付随して、犬が愛玩動物であるという認識も広まったようです。
日本でも、愛玩動物という考え方が普及したのは、明治以降のようです。

で、この映画の舞台、韓国の事情ですが、韓国も犬肉食の国として知られています。
ただ、既に「犬は愛玩動物」という考えが浸透しており、高齢者を別とすれば、感覚的には一般的な日本人と同じだそうです。。
   まあ、今でも犬肉料理を出す料理屋さんはあるらしいですが
   (日本にもあるとか)。
ですから、若い年齢層だと違和感満載らしいですが。
このことを知らないと、ブラックユーモアがホラーになってしまいます。

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ペ・ドゥナ特集次の展開

ということで(どういうことだ? とお約束)、ペドゥナ特集コメディ編に移ります。
ところで、私はシリアス編とコメディ編と分けていますが、どういう基準かをまずお話ししますね。
映像、演劇、小説などが色々なジャンル分けされて呼ばれますが、それらの分類にしっかりした定義があるわけではありませんし、分類体系があるわけでもありません。
通説と呼ばれるものすらないでしょう。
では、コメディ(Comedy)とは何か?
元々は悲劇(Tragedy)の対義語ですね。
喜劇とはよく言ったものです。
「悲しませる劇」に対して「喜ばせる劇」ですね。
まあ、現在ではコメディは「人を笑わせることを主体としたもの」といえるでしょう(喜劇はもっと広い概念でしょうね。人情喜劇なんてのがありますね)。
つまり、テーマが何であれ、笑いの要素の強いものですね。
また、コメディとは作品の全体を表したり、笑いをとるシーンを表したりします。

で、まあ、少なくとも現在の映画事情から考えて、悲劇と喜劇という分類はそぐわないので、「コメディ」と「シリアス(つまりコメディ以外)」に分けたわけです。

え~、代表的なコメディ映画には、「スラップスティック・コメディ」、「ロマンティック・コメディ」、「スケッチ・コメディ」、「シットコム(シチュエーション・コメディ)があります。
但し、それでコメディの全部ではありません。
コメディの代表的なタイプに名前が付いているだけです。
それぞれの定義は、この後お話しする作品毎にお話しします。
一度に説明すると長くなるので。
ちなみに、ペ・ドゥナの作品では、
「ほえる犬は噛まない」が「シットコム」、
「頑張れ! グムソン」が「スラップスティック・コメディ」、
「春の日のクマは好きですか? 」が「ロマンティック・コメディ」
ですね。
「スケッチ・コメディ」はないかな。
   「スケッチ・コメディ」とは、簡単にいうとショート・コント
   やネタの集合体です。
   後期の「クルーザー警部(ピンクパンサー)シリーズ」とか。

今までお話ししたコメディを分類してみましょう。
「ゲロッパ! 」も「亀は意外に速く泳ぐ」も「スウィングガールズ」も、「シットコム」です。
「シットコム」とは、観客にとって馴染みの深い状況設定を背景として、現実的または非現実的な出来事を起こして笑いを取るものです。
元々ラジオやTVの言葉ですが、映画や演劇でも使われるようです。
で、本来は、
同じ設定で、一話完結(これを「シリーズ」といいます)だが、前後につながりのないものをいいます。
代表的なのは、(マンガですが)高橋留美子の「うる星やつら」ですね。
日常生活に宇宙人を配置して、前の回で家が爆発しても、次の回ではなかったことになってる。
   ちなみに「宇宙戦艦ヤマト」で有名な「不死身の第3艦橋」は
   違います。
   技術的限界です(元オタク、じゃないマニアのクスくん情報)。
「ゲロッパ! 」のヤクザの状況には馴染みがありませんが、親子関係とか日常の風景が舞台です。

また、コメディは、同時に青春映画であり、サスペンス映画であり、ホラー映画ですらありえます。
つまりクロスオーバーですね。
だからこんな分類に意味はないんですが、リアリティをどこまで求めるかに違いがあります。
要するに、コメディは、かなり「イっちゃって良し」とするわけです。

さて、「リンダ リンダ リンダ」がコメディかどうか。
私は一種のシットコムだと思います。
ATG張りの突き放した映像で学園祭までの三日間を描く中で、日常生活にある可笑しさを描いていると思います。
同じような光景を、それなりに身に覚えがあったり、見たことがあったりする訳ですが、あらためて凝縮された三日間に散りばめられると・・・・・・何か笑える。
見方をずらすのではなく、見せつけられると可笑しい、そういうタイプのコメディかな。
そういえば、楳図かずお氏が、
「ホラーとギャグの違いは、視点やタイミングの違いだけ」
みたいなことをおっしゃってました。
シリアスも視点やタイミングをずらすとコメディになるんでしょう。

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2007年2月28日 (水)

ペ・ドゥナ特集 次に行く前に

ペ・ドゥナ特集「シリアス編」が終了したわけですが、ちょっとおさらい。
彼女の映画出演作は次の10作です。

リング(韓国版)(1999):どうも記憶から消したいらしい
ほえる犬は噛まない(2000)
プライベートレッスン 青い体験(2000)
子猫をお願い(2001)
復讐者に憐れみを(2002)
頑張れ!グムスン(2002)
TUBE(2003)
春の日のクマは好きですか(2003)
リンダ リンダ リンダ (2005)
グエムル 漢江の怪物(2006)

シリアス編で取り上げたのは4作です。

子猫をお願い
復讐者に憐れみを
TUBE
グエムル 漢江の怪物

「リング(韓国版)」と「プライベートレッスン 青い体験」もシリアスのようですが、未見ですし、題材的に今のところ見る気がないので。

最初に取り上げた「リンダ リンダ リンダ」はシリアスとは別枠です。

で、今現在私は、未見の作品を除いて全作品を見ています。
本編の記事を書いているのは見終わってすぐなんですが、アップするのは他の話題との関係などで、間を置いている場合があります。
それとアップする前に、今後見る方のために参考情報を調べて加えたりしていますが、ああいう部分は後から付け足しています。
ちなみにグダグダになったものは、書いてすぐアップしたものです(疲れているときにはやるもんじゃありませんね)。
また、実際の見た順番は「リンダ リンダ リンダ」と「グエムル」を除くと、出演順に見ていますので、特集の順番とは異なっています。
それについては、今後、他の映画との比較などをお話ししたいので、そうなったんです。

作品については、それぞれのところでお話ししているので、今回は作品の中のペ・ドゥナについて、お話ししましょう。

あ、でも私は演技経験も演出経験もありませんので。
まあ、講演活動はしてたので、お客さんに聞いて頂く、理解して頂くことに関しては勉強しましてけど、芝居とは別物ですからね。
専門分野についての書き物も、脚本とは趣旨も書き方も違いますし。
それなりの量の小説や脚本は読んでますし、多少は書いてますが(勝手な話しです)。
あとは独学で、心理学、記号論、小説や脚本の書き方、演技論、演出論、映画の製作過程の初歩の初歩なんかを囓りましたけど、仕事に応用するためと趣味で。
撮影と照明の初歩の初歩も囓っておこうかと思ったこともありますが、ただの映画好きにしてはやりすぎかなぁ、と思って止めました。
でも、そのうち・・・・・・。
なので、主に存在感とか表現のスムーズさが中心で、あとは「演じるって、こんな感じかなぁ」という想像でお話ししますね。

と長々と言い訳した後に本題です。

ペ・ドゥナは役どころが、作品によってかなり違うので、受ける印象もかなり違いますが、コメディの方が基本的な気質が似ているような気がします。
一方、シリアスの場合は、かなりバラバラです。
作品によって設定が極端に違うせいでしょう。
「子猫をお願い」のニートは、不思議な感覚の女の子で、コメディのときの気質に近いですが、ほとばしるような積極性はありません。
積極的ではあっても、どこか受け身な部分があります。
感情の機微はありますけど、性格は一定していますから演じやすいんでしょうか?
ただ地味な分、存在感は出しにくそうで、やはり俳優を選ぶ役でしょうね。
「復讐者に憐れみを」は、シーンによって、直情的、冷静、冷酷、優しさ、という様々な面を見せながら、実はかなり頭が良いと思える社会主義活動家で、
   登場シーンで社会主義活動家だと分かるのですが、前半の中盤
   で「打倒、共産党。韓国男子は強いぞ」みたいな歌を歌って、
   子供と遊ぶシーンに驚きました。
   彼女は社会主義者でもそっち寄りなんで。
   「子猫をお願い」でも似たシーンがあるので、韓国ではあの
   歌を歌うことに意味はないのかもしれません。
ファームファタールの役です。
   「運命の女」、通常登場人物の人生を変えるほどの影響力を
   もたらす役のこと。
   悪女っぽい場合が多いでしょうかね。この作品はちょっと違
   いますが。
コメディを見た後だと、これを演じきっているのには、少々驚きます。
かなり難しい役だと思います。
   そういえば、この映画を「ホラー映画」として傑作だと、
   表している人がいましたが、私も納得できます。
   切れた人間の方が、頭が良いだけ怖そうですもの。
でも、話しは違いますが、メイキングを付けるのも良い面ばかりじゃないですね。
ペ・ドゥナって、拷問されるシーンで、笑いっぱなしでNG連発してました。
笑い上戸だそうです。
そうか、それって可哀想だな。
「TUBE」は、メロドラマのヒロイン。
愛情表現のシーンが大幅カットされたとかで、困ったものです。
でも、良いシーンは多かったな。
   ドゥナのシーンにかかわらず、この映画はシーン毎には良い
   シーンが多かったですね。
   説明不足とシークエンスの繋ぎの悪さが問題ですが。
時間稼ぎに殴られた後、微笑むのは良かった。
   相手を屈服させるだけが強さじゃない。
影があって寂しげな役は、少なくとも映画では初めてですが、些細な表情の変化が印象的でした。
   ヘッドホンを外すシーンや地下鉄でテロリストを見つける
   シーンなんか。
「グエムル」では、家族想い、姪想いのアスリートで、抜けてるときと、凛々しいときのギャップが激しい役。
考えてみるとスムーズに演じるのは結構難しそう。
きっと両方の性格が交互に出てたら大変だったでしょうね。
前半、繋ぎ、後半でスムーズに変化させてました。
演出のテクニックでしょうね。
そうそう、インタビューで、
「合同葬儀のシーンで、転げ回って泣き叫ぶんですが、周りの演技がコミカルになっていて、可笑しくて笑い出しそうになって大変だった」
というようなことを言ってましたね。
あのシーン自体は、結構リアルなんですけど、
   感情が噴出した人って、周りが見えてないんで、例えば服が乱
   れたりしても、実際に気にしないんですよね。
   で、そばにいる冷静な人が直してあげる、っていうのは見たこ
   とがありますね。
   っていうか、私が冷静な人役をやったこともありますね。
引いて見るとおかしな姿でしょうね。
実際ちょっと浮いてたし。

こう見てみると、地味だけど存在感の必要な役や、複雑な役を演じていますね。
ステレオタイプは嫌いなんですね。

で、ペ・ドゥナの特徴は大きな目です。
   インタビューで目が大きいと苦労することもあると訴えてました。
コメディでは、眼を見開いて眼球を動かす表情演技が印象的です。
でもシリアスではやりませんね。
たとえ笑いを取るところでもやりません。
実際にはああいう表情をする人はいますけどね。
インタビューを受けているときのペ・ドゥナもやってますし。
映画の雰囲気に合わないということかな。
実際と映画の中のリアリティは違いますからね。
とはいうものの、「TUBE」ではありました。
微妙に眼をくるっと回すところが。
刑事にタバコの火を付てあげようとして、断られて驚くシーンです。
   伏線として重要なシーンですね。
一瞬にして戸惑いを表していて印象的でした。
テンポのあるシーンで、一瞬にして感情の動きが分かるのは、途切れなくていいですね
この時の控えめな表情演技は、考えてみれば「リンダ リンダ リンダ」でやってました。
使い方も効果も違いますが。

それと良く走らされる。
もう、トレードマークです。

まあ、それは兎も角。

こう見比べて、思い返してみると、やはりペ・ドゥナはうまいですね。
シリアスでの主演は「子猫をお願い」だけで、あとは準主演ですが、控えめながらきっちり存在感を出していますね。
人気や好業成績だけを考えれば、コメディの方が楽なんでしょうが、敢えてシリアスに挑む(というか意外にもシリアスの方が多い)のは、息の長い女優を目指しているからなんでしょうね。
それに演技上はシリアスとコメディに大きな差はないらしいですし。

やはり個性的な俳優はいい。
アクが強いという意味じゃありませんよ。

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2007年2月27日 (火)

「TUBE」再び

今回は次に行こうかと思ったのですが、「TUBE」の吹き替え版を見ましたので、その話しをします。
字幕版では二ヶ所勘違いをしていました。
まず、ペ・ドゥナはスリの役ですが、助演でもう一人笑いを取る役のスリのお兄さんが出てきます。
このお兄さん、字幕版ではドゥナの手下のように感じられたのですが、立場が逆でした。
ドゥナは借金の担保にバイオリンを押さえられていたんですね。
字幕ではその説明がなく、ドゥナの方が態度が大きいので勘違いしました。
まあ、お兄さんに貫禄がまったくないせいもありますが。
次にクライマスシーンです。
これはネタバレです。
刑事が先頭車両に残ったのは、バッテリを起動させるレバーを離すと、動力が止まるためのようですね。
地下鉄の仕様については実際のものに合わせているそうですから、本物の車両の仕様なんでしょう。

では、コメンタリも見ますね。

コメンタリを見ました。
監督、プロデューサー、刑事役のキム・ソックンが出演しています。
が・・・・・・何なんでしょう、これ。
監督の大反省大会。
途中で思わず、
「何で愚痴ばっかりなんだ」
と独り言を言ってしまいました。
同時にソックンがコメンタリでも同じことを言ってまして、一人で笑ってしまいました。
韓国映画のコメンタリは初めてですが、監督曰く、
「コメンタリってみんなそうなんじゃない? 」
あとの二人無言。
でも、あとの二人も影響されて来て、みんなで大反省大会。
コメンタリは国によって特色があります。
USは監督が一人で、演出意図を話し続けます。
特殊効果がウリの場合は、別途そのスタッフのコメンタリが付く場合があります。
日本の場合は、監督、プロデューサー、俳優の座談会みたいな場合が多いですね。
演出意図の説明の割合は、監督によってまちまちです。
で、韓国映画は愚痴って・・・・・・監督、多分違うと思いますよ。

え~印象的だったのは、韓国では興行的に成功したんだと思いますが、観客からはかなりのシーンで突っ込みが入ったそうです。
シーンがリアルではないというのもありますが、もっと細かい点や、群衆劇の割に登場人物の背景描写が、全般的に少ないという点を指摘されたそうです。
群衆劇については、丹念に撮影したんだそうですが、かなりカットしてしまったそうです。
でも、ソックンまで色々突っ込んでどうする。

で、クライマックスのネタバレ。
韓国では、バッテリが尽きた時点で、何故飛び降りないかが話題になったそうです。
どうも刑事が最後にタバコを吸うシーンは、元々なかったんじゃないかな。
レバーを持ったまま爆発だったような話しぶりでした。

やはり愚痴を聞くのは疲れる。
面白かったけど。

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2007年2月26日 (月)

あらためてペ・ドゥナ特集第5弾

何か、またグダグダを書いてしまいました。
読みにくくて済みませんでした。疲れていたようで。
少し整理して書きますね。

作品は、
「TUBE」
イギリス英語で地下鉄ですね。
パニック映画(英語では"Disaster Movie")です。
字面的な意味でパニック映画と呼べそうな映画は、かなり古くからあります。
しかし、パニック映画という名称が出てきたのは「ポセイドン・アドベンチャー」からでしょう。
極限状態の中での群像劇かつ「グランドホテル形式」といえます。
映画としては、これに先立つ「大空港」が元祖といえるでしょうね。
そして、「タワーリング・インフェルノ」で頂点に達したといえるでしょう。
大体自然災害が絡む作品が多いですね。
一方、群像劇の要素はあるもののグランドホテル形式ではないものもあります。
「スピード」で確立したといっていい、グランドホテル形式ではない、いわば「暴走機関車形式」のパニック映画です。
   「スピード」の原点は、黒沢明監督原案の「暴走機関車」で、
   この案を元に「新幹線大爆破」と「スピード」が製作されたとか。
このタイプは犯罪に起因する作品が多く、人間ドラマの部分も、犯人部分のみか、せいぜい主演者部分程度に限られます。
最近はCGの発達で、低予算でも作成できるようになり、子供時代にパニック映画に親しんでいたプロデューサーや監督によりパニック映画が結構製作されていますが、暴走機関車形式になっていますね。
   例えば、「ポセイドン・アドベンチャー」の登場人物は、
   殆ど特技らしいものを持ち合わせていない人物達で、彼らの
   サバイバルに彼らの人生模様を合わせて描いています。
   しかし、リメイク版である「ポセイドン」は、登場人物が特技を
   持った人達で(全員ではありませんが)、災害の起きた時間帯を
   切り取ったような形式になっています。
いずれにせよ、パニック映画は、飛行機やエレベータといった日常的な空間での極限状態を描いて、観客に追体験させ恐怖を煽るため、リアルに描かれれます。

で、「TUBE」も暴走機関車形式のパニック映画といえるでしょう。
ただ、この映画の場合、主眼が衝撃的なアクションシーンに置かれており、リアリティを犠牲にしています。

冒頭は、テロリストの空港での迫力ある銃撃戦で掴みを取っています。
元総理とテロリストに関する機密文書の強奪ですが、このシーンは全般的にリアリティに欠けていてます。
スタイリッシュに描かれており、衝撃的かつ迫力満点ですが、あまりにリスクの高い襲撃方法です。
「この後かなり無茶をします」という合図でしょうか。

その後は、テロリストの地下鉄ハイジャック。
その中でのテロリストの元総理への復讐と、そのテロリストに妻を殺された所轄の刑事の対決を暴走する地下鉄の中で描いています。
これが縦糸。
横糸は、暴走する地下鉄を救おうとする地下鉄指令センターでのドラマです。

暴走する地下鉄の迫力ある映像、テロリストと刑事の激しい格闘シーン、地下鉄指令センターの緊迫感、それらがうまく融合して良い出来だと思います。
これらのシーンは、概ねリアリティがあるんですが、ところどころリアリティ無視の映像が挟まれます。
主にテロリストの能力の部分です。
このテロリストは、軍の特殊部隊出身で、元総理に裏切られた設定で、戦闘能力が尋常でなく高いんです。
実際、特殊部隊の人の能力は高いらしく、民間警察や一般の兵士などとは比べものにならないらしいです。
とはいえ、数的不利の状態では、戦闘能力だけでなく、不意打ちなどの作戦能力もあってのことです。
真っ向向かい合っての数的不利では無理があるはず。
ここら辺を映画は無視します。
効果優先でしょうか。

人間ドラマ部分に関しては、テロリストと刑事に絞られます(周辺のキャラクターの可小津的なエピソードも若干入りますが)。
このテロリストには、復讐を志すだけの十分な理由があります。
ただ、復讐がすべてに優先するような行動を取り、無関係な人間まで大量に巻き込んでいきます。
しかし、見た目は冷静で、怪物並みの戦闘能力。
ここの演出は良いんですが、途中から切れたほうが説得力があったかも。
切れて異常な戦闘能力だと観客が飲み込みやすいかもしれません(まあ、実はその方がリアルじゃないんでしょうが)。
一方、刑事はテロリストに対し恨み骨髄です。
復讐しようとしているわけではありませんが、命を捨てるくらいの覚悟はあります。
ちょっと設定が違いますが、ダーティ・ハリーの心境に近い気がします。
   ダーティ・ハリーでは、彼の妻が何の落ち度もないのに、
   (確か)酒酔い運転の車と衝突して命を落としています。
   それで、ハリーは犯罪者全体や犯罪全体を憎み続けるんです。
この二人の人間ドラマ部分はスムーズで、アクションシーンともうまく融合して、良い出来だと思います。

ところで、おそらく、この映画は元々メインの二人以外の登場人物の過去も描く予定だったのではないかと思います。
そう思う理由はペ・ドゥナの設定です。
たまたま見かけた刑事の寂しそうな雰囲気に惹かれたスリで、刑事の協力者になり、恋に落ちる役です。
彼女は何故かいつもバイオリンケースを背負っています。
結構大きい物なので目に付くんです。
どういう意味があるんだろう、何に使われるんだろう、と思っていると、何も使われず映画は終ります。
この点は、ペ・ドゥナがインタビューで説明しています。
バイオリンは父親の唯一の形見で、それをいわば人質に取られて、やむなくスリをさせられている設定で、そのためケースのみを肌身離さず持ち歩いているということです。
まあ、この設定も無理がある気はしますが。
多分編集の段階で、メインストリーム以外を切って、スピード感を優先させたんでしょうね。
もし、撮影前にエピソードを切ったのなら、バイオリンケースも描かれなかったでしょうから。

最近のハリウッド映画の場合、女性の(ヒロイン的でなく)ヒーロー的なシーンを無理矢理作る傾向があります。
スムーズに入れる分には良いんですが、マッチョなシーンに細い女優、というのもあります。
その点、この映画のペ・ドゥナは十分ストーリーに貢献する役ですし、刑事の危機的状況をペ・ドゥナの体格に合った方法で救います。
   地下鉄のような狭い場所の設定では、カット数が多くなるので、
   感情の維持が難しいそうです。
   でも、女優なんですから、相手役に本気で殴るよう要求するのは
   ・・・・・・。

また、韓国映画定番の国家権力をあまりに信用しない部分も描かれています。
元総理がテロリストの持つ秘密文書を葬るために無茶な命令を出します。
   最後に報いを受けるだろうことが地味に描かれています。
それに従う人々、反発する人々。
韓国の人は一般に、結局国はあてにならず、自分の身は自分で守ると考えているんだそうです。

この映画が、全般的に見て魅力溢れたものであることは間違いないでしょうし、暴走機関車形式のパニック映画として及第点だと思います。

惜しいのはラストシーンでの刑事の行動が分かりにくい点ですね。
暴走の果てに、このままでは某所に突っ込んでしまい、ソウル中に被害が及ぶということで、その解決が図られるのですが、ここの説明が十分ではなく、刑事の行動が分かりにくいんです。
私は小説でこういう話しに慣れているので、意味が分かって違和感はなかったんですが、慣れてないときついかもしれません。

ここからネタバレ
クライマックスでは、地下鉄は2両だけになっていますね。
先頭車両には爆弾があります。
爆弾はリモコン操作か、(一旦リモコンで起動させた後、中断させた場合に)地下鉄車両の動力が止まると、時限装置が作動します。
それで、残された乗客を2両目に乗せて先頭車両から切り離します。
そして送電を切る。
2両目は惰性で前進した後止まることになりますが、爆発の衝撃の圏外におく必要がある。
先頭車両には非常用のバッテリがあり、しばらく自力走行ができる。
そこで、切り離し後、バッテリのスイッチを押して、先頭車両を前進させる。

スイッチを押すために誰かが残らなければならない。
バッテリが尽きれば先頭車両は爆発する。
押した時点では、2両目との距離が開いているし、走行スピードは140キロ、まあ一か八か飛び降りて爆風が来ないことを祈るか、あきらめるか。
この設定を映画の中の説明用CGと字幕で、ほんの一瞬で理解するのは普通難しいですよ。

ペ・ドゥナについていえば、この作品に出たのも彼女らしいかな。
彼女は恋愛物に出演したことがないので、経験したかったんでしょう。
でも、普通の甘ったるい恋愛物は嫌だったんでしょう。
まあ、もう少し役を掘り下げるシーンが欲しかったんですが。
監督が新人(「シュリ」の脚本家)なので、興業優先だったんでしょうか。
でも、次回作に繋がる演技だったと思います。

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ペ・ドゥナ特集第5弾「TUBE」

ペ・ドゥナ特集シリアス編の最後です。
「TUBE」
イギリス英語で地下鉄ですね。
分類上はパニック映画(英語では"Disaster Movie")でしょう。
字面的な意味でパニック映画と呼べそうな映画は、かなり古くからあります。
しかし、パニック映画という名称が出てきたのは「ポセイドン・アドベンチャー」からでしょう。
アーウィン・アレンの製作による、この映画は「グランドホテル形式」がありふれた一つの場所を舞台にしていたものを推し進めて、極限状態の中での「グランドホテル」を描き出しました。
映画としては、これに先立つ「大空港」が元祖といえるでしょうね。
そして、同じくアレン製作の「タワーリング・インフェルノ」で頂点に達したといえるでしょう。
最近はCGの発達で、低予算でも作成できるようになり、子供時代にパニック映画に親しんでいたプロデューサーや監督により結構製作されていますが、「グランドホテル形式」とは言い難い内容になってきているようです。
   例えば、「ポセイドン・アドベンチャー」の登場人物は、
   殆ど特技らしいものを持ち合わせていない人物達で、彼らの
   サバイバルに彼らの人生模様を合わせて描いています。
   しかし、リメイク版である「ポセイドン」は、登場人物が特技を
   持った人達で(全員ではありませんが)、災害の起きた時間帯を
   切り取ったような形式になっています。
「TUBE」は、グランドホテル形式ではないパニック映画といえるでしょう。

出だしは、元特殊部隊員のテロリストの空港での迫力ある銃撃戦で掴みを取っています。
このシーンは全般的にリアリティに欠けていてますが、「この後かなり無茶をします」という合図でしょうか。
   リアリティを求めるなら、あまりにリスクの高い襲撃です。
その後は、テロリストの元総理への復讐と、そのテロリストに妻を殺された所轄の刑事の対決を暴走する地下鉄の中で描いています。
これが縦糸。
横糸は、暴走する地下鉄を救おうとする地下鉄指令センターでのドラマです。
全般的にはなかなかうまく作り上げられている映画でしょう。

舞台が地下鉄に入ってからは、暴走する地下鉄の迫力ある映像、テロリストと刑事の格闘シーンともに良い出来だと思います。
リアリティを求めると、突っ込みどころは満載ですが、シュワルツネッガーの映画ほどではないかな。
二人の人間ドラマ部分もスムーズで、良い出来だと思います。
韓国映画特有の国家権力をあまりに信用しない部分も描かれています。
元総理がテロリストの持つ秘密文書を葬るために無茶な命令を出します。
   最後に報いを受けるだろうことが地味に描かれています。

おそらく、この映画は元々メインの二人以外の登場人物の過去も描く予定だったのではないかと思います。
そう思う理由はペ・ドゥナの設定です。
たまたま見かけた刑事の寂しそうな雰囲気に惹かれたスリで、刑事の協力者になる役です。
彼女は何故かいつもバイオリンケースを背負っています。
結構大きい物なので目に付くんです。
どういう意味があるんだろう、何に使われるんだろう、と思っていると、何も使われず映画は終ります。
この点は、ペ・ドゥナがインタビューで説明しています。
バイオリンは父親の唯一の形見で、それをいわば人質に取られて、やむなくスリをさせられている設定で、そのためケースのみを肌身離さず持ち歩いているということです。
まあ、この設定も無理がある気はしますが。
多分編集の段階で、メインストリーム以外を切って、スピード感を優先させたんでしょうね。
もし、撮影前にエピソードを切ったのなら、バイオリンケースも描かれなかったでしょうから。

最近のハリウッド映画の場合、女性の(ヒロイン的でなく)ヒーロー的なシーンを無理矢理作る傾向があります。
スムーズに入れる分には良いんですが、マッチョなシーンに細い女優、というのもあります。
その点、この映画のペ・ドゥナは十分ストーリーに貢献する役ですし、刑事の危機的状況をペ・ドゥナの体格に合った方法で救います。
   地下鉄のような狭い場所の設定では、カット数が多くなるので、
   感情の維持が難しいそうです。
   でも、女優なんですから、相手役に本気で殴るよう要求するのは
   ・・・・・・。

この映画が、全般的に見て魅力溢れたものであることは間違いないでしょうし、パニック映画として及第点だと思います。。
惜しいのはラストシーンでの刑事の行動が分かりにくい点ですね。
暴走の果てに、このままでは某所に突っ込んでしまい、ソウル中に被害が及ぶということで、その解決が図られるのですが、ここの説明が十分ではなく、刑事の行動が分かりにくいんです。
私は小説でこういう話しに慣れているので、意味が分かって違和感はなかったんですが、慣れてないときついかもしれません。

ペ・ドゥナについていえば、この作品に出たのも彼女らしいかな。
彼女は恋愛物に出演したことがないので、経験したかったんでしょう。
でも、普通の甘ったるい恋愛物は嫌だったんでしょう。
次回作に繋がる演技だったと思います。

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2007年2月24日 (土)

ペ・ドゥナ特集第4弾「復讐者に憐れみを」

ペ・ドゥナは、シリアス映画とコメディ映画とをバランスを取って出演しているようです。
「30歳からが女優としての本領、それまでは修行」といい切っていますから、幅広く演じるためにそうしているのでしょう。
どちらかというと興行成績を狙うよりも、脚本と監督を厳選しているようです。
だから質の高い作品ばかりに出演しているのでしょう。
まあ、それでもヒット作は必要ですが(映画に出演できなくなる)。
それは兎も角、私としては、まずシリアス映画に集中して行きます。
コメディはその後で。

で、今回は「復讐者に憐れみを」です。
実際はその前の「プライベートレッスン 青い体験 」、「子猫をお願い」に続いて三作続けてのシリアスです。
「復讐者に憐れみを」は本格的なハードボイルドで、かつ残酷シーンも多くR18(成人指定)です。
主演はソン・ガンホとシン・ハギュンの「JSA」コンビ、監督も「JSA」のパク・チャヌクで、復讐三部作と呼ばれる作品群の第一作です。
ペ・ドゥナは準主演。

ストーリーは前半と後半で視点と展開が異なります。
シン・ハギュン演じる聾唖者のリュは、重い腎臓病の姉と暮らしています。
勤めているのは電気関係の会社。
その会社の社長がソン・ガンホ演じるドンジン。
リュは不況で解雇されます。
ドンジンにしてみれば、何人か解雇しないと会社が潰れるので苦渋の選択です。
退職金で姉の腎臓を移植をすべく、違法な臓器密売業者に渡りをつけて騙されます。
そこへドナーが現われますが、手術費用がもうない。
恋人のペ・ドゥナ演じるヨンミに焚きつけられて、ドンジンの娘を誘拐します。
ヨンミ曰く「良い誘拐」で、金を受け取ったら、すぐ娘は帰す。
「みんな良い誘拐のことを知らないから、誘拐は悪いことだって言うのよ」
って、おいおい。
でも、誘拐に気付いた姉は自殺、娘は事故死します。
リュは耳が聞こえないので、川に落ちた娘の窮状に気付かなかった。
ここまではリュ視点でストーリーは展開します。
映画半ばで娘の火葬シーン。
これを境に主にドンジンの視点に切り替わります。
そして、多重復讐劇。
ドンジンはリュを狙う。
リュは臓器密売業者を狙う。
彼らの復讐は心情的には必然で、結末がハッピーエンドになることはありえない。
   これは興行的には、かなりの難題です。
で、ドンジンは私財を投げ打って(といっても、そもそも倒産しそうな会社を閉めてですが)刑事を買収して情報を掴むことに成功。
ヨンミの元に出向き拷問。
ドンジンは電気技術者あがりの叩き上げなので、この後は特技を活かしていきます。
ドンジンは実は娘がリュとヨンミに懐いていたことを写真で知りますが、激情に駆られ道を踏み外していきます。
殺人が殺人を呼ぶ。
一方リュも復讐に邁進。
そして、復讐が復讐を呼び続ける。
最後のシーンは強烈です。
断末魔のうめき・・・・・・。
この演出は凄いけど、興行成績はあきらめたんでしょうか?

で、この映画、多分「JSA」の成功がなければ映画化できなかったでしょう。
「JSA」の撮影中に、この映画の話しが出たときに、ソン・ガンホは映画化できないと思ったそうです。
兎に角、最初から最後まで悲惨な映画なんですね。
(狭義の)ハードボイルドなので当然ですが、緩むところがないし、テンポも早い。
韓国では通常こういう映画は製作できないそうです。
観客は映画館を出るときに暗い気持ちになりますから、興行的には厳しい。
   ちなみにハリウッドでも製作できないでしょう。
   アンハッピーエンドの脚本は、ハッピーエンドに書き直さないと、
   プロデューサーのOKは出ないそうです。
それで、ソン・ガンホはしつこいオファーも3度断ったそうで、4回目にOKしたとか。
「こういうのも挑戦する価値があるだろう」だったとか。
推測ですが観客動員力のあるソン・ガンホの参加は必須だったのでしょう。
シン・ハギュンとペ・ドゥナが一回目のオファーで快諾したのは若手だったからでしょうか。
   メイキングを見ると、ソン・ガンホやスタッフまでが、
   ハギュンとドゥナの関係を持ち出してました。
   二人はこの映画の途中から恋仲だった時期があるということですが、
   確実にプロモーションに利用しようとしてますね。
   ヒットしにくい映画なので必死という感じです。
このソン・ガンホとシン・ハギュンはいい人役で売ってましたが、今回は途中から非情に徹する役を静かに熱演します。
ペ・ドゥナは、それこそいい人以外演じていなかった(映画第一作の韓国版「リング」の貞子相当の役は別として。本人は忘れたがってるし)のに、独特な価値観を持った特異かつ危険な女性を演じています。
左翼思想に傾倒しているようですが、どうも過去の行動から現在の行動までが、用意周到なのか間抜けなのか分からない、ミステリアスな存在です。
しかも、ある意味、とことん優しく、とことん格好悪い。
これがラストでの最後の悲劇で効いてきます。

この映画は労働者階級と資本家階級の対立という構図を持ちますが、結局両者は対等な存在にならざるを得ず、復讐劇に置いても対等な関係になっていきます。
   労働者階級も資本家階級好景気なら経済的に恵まれるが、
   不況ならともに困窮する。
そして、この映画にはヒーローは存在せず、悪人と呼べるのも臓器密売業者のみ。
ドンジンは善人でも悪人でもない、娘を愛する叩き上げの経営者、視野が狭すぎるのが悲劇の元。
リュは気の優しいく、ユーモアを解さないけど、意外に冷静な融通の効かない善人、考えが浅いのが悲劇の元。
ヨンミは敵と見なせば非情になるが、普段は心優しく無邪気な人、短絡直情が悲劇の元。
胸が痛くなる設定です。

本作はハードボイルド映画の傑作といえるでしょう。
また、作りが精密かつ巧妙。
振りはすべて落とし、しかもすべてが効果的です。
まさに計算され尽くされたと言って良いでしょう。

でも、やはり興行的には失敗したそうです(ソン・ガンホ曰く)。
評論家は絶賛したそうですが。
そりゃそうでしょうね。

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2007年2月23日 (金)

メディアミックス「死国」という形

メディアミックスを始めたのは角川春樹氏のようです。
もう30年以上前のようですね。
忘れ去られていた推理小説家の横溝正史氏を掘り起こし、角川映画として金田一耕助ブームを作り出し、原作も売りまくったのが始まりらしい。
   金田一耕助の復活自体は、アートシアター・ギルドという
   芸術指向の映画製作会社によってなされました。
   「本陣殺人事件」という、原作上もたしか金田一シリーズの
   第一作だったはず。
   金田一耕助には、若き日の中尾彬が扮しています。
   角川版とは趣は違いますが極めて良い映画です。
現在ではメディアミックスは当たり前になっていますね。

で、今回の話題は原作小説、映画、コミックとメディアミックスを展開した「死国」です。
以前お話ししたとおり映画「死国」はホラー映画としてプロモーションしたため、概ね不評だったといって良いでしょう。
ただ、現在はDVD化されて、ホラー映画という呪縛からは離れて見る人も増えているようです。
それは兎も角、映画はストーリー的には概ね原作を踏襲しています。
都会の生活に疲れた比奈子(夏川結衣)が、疲れを癒すためか、一時逃避のためか、故郷の四国に帰っていきます。
彼女には文也と莎代里という仲の良い幼馴染みがいました。
莎代里は代々伝承されている一種の巫女という特殊な存在でしたが、いつも三人一緒に遊んでいました。
でも、莎代里(栗山千明)は、二人の目の前で溺死しました。
それが比奈子と文也の心の傷となっていました。
比奈子は故郷に帰り、文也(筒井道隆)と再会し、行動をともにします。
その頃、莎代里の母(根岸季衣)が、莎代里を蘇らせる儀式を終えようとしていた。

前半はたしかにホラー調というより怪奇調。
暗がりに不気味な少女が・・・・・・みたいな。
いわば、莎代里が蘇りかけているんですが、ここらのシーンが結構良いんです。
台詞はないんですが、演じる栗山千明の存在感が抜群。
で、後半は莎代里の切ない恋心と、彼女の復活をきっかけに、「黄泉の国から死者が現世に噴出し復活か! 」ということになります。
復活した莎代里には、ある特殊な能力? が備わるんです。
この能力? は、原作ではそんなに感じませんでしたが、映像で見ると変。
また、最後の方は死者が蘇り出すんですが、今死んだ人がすぐ蘇るんで、見てて混乱する。
そう生者も元死者も見分けがつかないんです(実際見分けがつくわけはないんですが)。
こういうところでは、良いお手本があります。
リドリー・スコットは「ブレードランナー」で人間とレプリカント(アンドロイド)の見分けがついかない点に配慮して、レプリカントの眼に光の輪を映したんです。
カメラレンズの上に、電球を円形に並べたんですね。
それが俳優の眼に反射したわけです。
これで観客は見分けがつく。
但し、この点は告知されていたわけではないし、微妙な効果なので、気付く人は気付くという程度でした。
また、映画の世界では実際にレプリカントの眼の中に、光があるわけではないという設定でした(つまり観客にしか見えていない)。

最後は莎代里が身を挺して死者が黄泉の国から出てくるのを防ぐという展開なんですが、どうして防げるのかが今一はっきりしないんです。
これは原作小説も同じです。
恐らく最初に復活した莎代里が、黄泉の国と現世との間の、いわば「扉の鍵」のような役割だったんでしょう。
でも、この手の映画でクライマックスがすっきり流れないのは、見ていて少々辛いかも。
折角の栗山千明の熱演がもったいない。
はっきり言って、この映画は俳優的には、彼女が存在感で抜きんでていましたから。
更に、総てが終って比奈子は都会に戻ることにします。
「過去の因縁だか後悔だかに決着が付いて、新たなスタートを切る」
となれば良いんですが、何かそんな感じじゃない。
まだ引きずられているようで、すっきりしないんです。
こういうラストは小説では良いと思います。
でも映画では、もう一工夫ないと、ただ暗い気分で終ってしまいます。

え~、で、コミック版。
牛山慶子という方が書かれています。
現在絶版です。
私も中古を入手したんです。
この作品は原作小説、映画と題材と設定の多くを一にしますが、設定の一部とストーリー展開が異なっており、クライマックスもラストも独自です。
原作小説や映画の持つ分かりにくい点を修正するとともに、絵的な表現に合ったものにしたように思えます。

まず、ほどよく刈り込んでテンポが良くなった。
で、莎代里の変な能力は出てきません。
最大の違いは、莎代里が善悪二つに分離し戦いを繰り広げるんです。
「巫女の誇りにかけて、愛する者を守る」という感じ。
その時既に、死者は黄泉の国から現世に向かって来る。
悪が勝てば、現世は(元)死者で溢れかえる。
善が勝てば、黄泉の国と現世の間の扉が閉じられる。莎代里も黄泉の国へ戻ることになる。
設定が分かりやすくなり、絵的な表現が活きてきます。

最も異なるのは、原作小説や映画が死に拘ったのに対して、コミック版が生への希望を表現している点です。

印象的なシーン。
「莎代里も・・・成仏したやろ・・・これでもう、俺も彼女に取り憑かれて邪魔される事もないやろ」
「死んだ人間が取り憑いたんじゃないわ! ・・・・・・生きているわたし達が莎代里ちゃんに取り憑いていたのよ!! 」

友の死を受け入れられず、それに拘り続け、人生をゆがめてしまった。
そのことを死んだ友のせいにした。
そのことに気付き、その呪縛から解き放たれたとき、新たな人生のスタートが切れる。
コミック版のメッセージはそういうことだと思います。
このラストは未来を感じさせて清々しい。
メディアミックスの一つの成功例でしょう。
そうメディアの違いによって、表現は変わるもの。

絶版なのが残念です。
高知市役所企画調整課の方々が、ボランティアで方言チェックをされたそうで、殆どの台詞が方言なんで、少し読みにくいですが、余計に味わいがあります。

正直、コミック版の映画化を栗山千明主演で見たかった。
もう遅いか。
栗山千明、育ってしまいました。

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2007年2月22日 (木)

ペ・ドゥナ特集第3弾「子猫をお願い」

ペ・ドゥナはコメディ、シリアス両方をこなします、ハードな役も。
「グエムル」が一応シリアスなので、次もシリアスな作品の話しをしましょう。
代表作にして、俳優の地位を固めた作品といいっていいでしょう。
「子猫をお願い」です。
商業高校の同窓生5人が卒業後二十歳になって、新たな旅立ちに向かうお話しです。
日常的な風景を丹念に描いて行きます。
こういう地味な企画は日本では通らないんだろうな、なんて思いました。
もっとも韓国の方でも、極めて珍しいらしいです。
監督はこれが長編デビュー作の若い女性です。
この作品は爽やかな気持ちにさせてくれますが、奥が深いですね。
ペ・ドゥナの代表作と言って良いと思います。
欧州での評価が特に高いそうです。
分かる気がします。

まず、冒頭が見事です。
唯一の高校生時代のシーンで、メインキャスト各人のポジションを短時間に描きます。
港の埠頭のシーン。
とても仲の良さそうな二人の長身の女の子。
グループの中心なんでしょう。
そこに合流する二人の背の低い女の子、双子ですね。
そして、近づいていく長身の一人の女の子。
ひとしきりふざけあった後、
「写真を撮ろう」
最後の女の子がカメラを構えます。
四人がくっつきます。
双子はちょっとおどけます。
ムードメイカーでしょう。
「こっちの方がいい」
カメラの子が別の場所を指さします。
みんな移動。
「やっぱり、こっちの方がいい」
みんな元の位置に戻ります。
カメラの子はみんなに信頼されているんですね。

そして、現代。
「双子ちゃん」のオンジョ(イ・ウンジュ)とピリュ(イ・ウンシル)。
中国系なんですね。
母親は中国に帰国中。
自作のアクセサリーを売っていて、二人暮らし。自宅はみんなの溜り場。
二人は仲が良い。

中心の二人。
美人のシン・ヘジュ(イ・ヨウォン)は、コネでソウルの証券会社に勤務、両親は離婚、姉と同居するが姉は去っていく、上昇志向が強い。
しかし、日本とは比べもにならない学歴社会の韓国では、高卒では雑用しか回ってこない現実に打ちのめされます。
一番長身のソ・ジヨン(オク・チヨン)は、両親が既になく、祖父母とバラックのような家に暮らしている。
テキスタイルのデザイナー志望。
5人で唯一、夢と(多分)才能を持っているけど、先に進む手段がない。
成績は良くても、経済事情からかPCは苦手、車の運転免許ももっていない。
   実際「持たざる者」という言葉があります。
   端的に言えばPCに馴染める環境にいるかどうかです。
   今やITを抜きにしては語れない時代です。
   しかし、そこに触れるにはお金がかかる。
   USでは社会問題化し、行政が援助しています。
両親がいないことも不利に働く。
立場の違いは二人の間に軋轢を生みます。

カメラの子。
面倒見は良いけど、夢見がちなユ・テヒ(ペ・ドゥナ)。
家族と暮らしている。
実家のサウナを無給で手伝っているニート。
ボランティアで身障者の詩人のタイピストをしています。
5人で日常的に唯一家族が揃っているんですが、そこに自分の存在感を見つけられないんです。
何か、こういう人、たくさんいそう。
5人が集まる時の連絡係、電話で愚痴も聞いてあげる。
ヘジュが近視の矯正手術をするとなれば、呼ばれて付き添い。
ジヨンが心配になると家まで行きます。

そして、ジヨンの家の倒壊と祖父母の死で、ストーリーは急展開します。
ジヨンは絶望し、事情聴取に応じず収監されます。
面会に来たテヒにジヨンは言います。
「行くところがない」

そして、最後。
自分の立場に苦しむヘジュは、都合の良いボーイフレンドのオム・チャニョン(オ・テギョン)を呼びつけます。
いつも邪険にしているのに甘えます。
双子ちゃんはいつもの双子ちゃん。
テヒは家出をします。
家族の集合写真から自分の部分だけくり抜いて。
そして、ジヨンと行動をともにします。

一見何も解決していない終わり方。
でも、引っかかる。
何が?
チャニョンの存在。
途中、浮いたシーンがあったんです。
偶然双子ちゃんが彼を見かけるシーン。
女の子と一緒です。
「予備校の後輩」
彼は言います。
ここで初めて彼が大学生か予備校生だと分かります。

これは5人の物語じゃない。
6人いる。
キーワードは「今を共有できる友人」。
双子ちゃんはお互い支え合っている。
でも、ヘジュンとジヨンは、テヒを頼っていた。
高校時代はそれで良かった。
同じ道を歩んでいたから。
進路が分かれたとき、転機が来た。
双子ちゃんは変わらない。
ヘジュンは漠とした目標を抱え、やはり漠としているであろう目標を持つチャニョンを選んだ。
目標自体を探しているテヒは、総てを失い新たな目標が必要なジヨンを選んだ。

昔の友達はいつまで経っても友達。
それでいい。
   ある作品のワンシーン。
      友達のことで悩む娘が母親に尋ねます。
      「お母さんにも、友達いる?」
      「そりゃいるわよ・・・・・・でも、あつらどうしてるかな?」
      「会ってもいないのに、友達?」
      「そりゃそうよ。今は会えなくても。会ってるときに一杯
      お話ししたから」
でも今を共有できる友達は必要。
映画のラストはそう語っているような気がする。
それを得て5人は飛び立った。

この映画では子猫の存在が意味深です。
ジヨンは元々工場で隠れて飼っていたのでしょうか?
その猫をバースデイ・プレゼントとして、手製のデザイン画を貼付けた箱に入れて送ります。
   ヘジュンがデザイン画に見向きもしないのは、才能への嫉妬?
喜ぶヘジュンですが、「手間がかかる」と後日返してきます。
ジヨンは祖父母が亡くなり。警察に行くときに、子猫をテヒに託します。
テヒは家出をしたときに双子ちゃんに預けます。
子猫は「今を共有できる友人」が欠如している人達を象徴し、最後にそれを持つ者の手に渡ります。

この映画の演出で特筆すべき点を一つあげましょう。
タイプされる文字が重要な役回りを演じるのですが、
携帯電話やタイプライターで打たれる文字が、
風景の中に同化して描かれるんです。。
ただの字幕よりもストーリーに溶け込みます。

それにしても、ペ・ドゥナの実力は抜きん出ていました。
圧倒的といっていいでしょう。

あ、そうだ。
ペ・ドゥナが被っていたヘッドランプいいなぁ。
両手が空くから、災害時に便利そう。

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2007年2月21日 (水)

ペ・ドゥナ特集第2弾

さて、スタートです。
まずは最新作、「グエムル」です。

韓国で記録的なヒットを飛ばした映画です。
プロモーションに来日したペ・ドゥナは、
「私の愛している作品の興行成績を前夜祭だけで上回ってしまった」
と複雑な心境だったようです。
日本では「驚異の怪物映画」みたいなプロモーションをしたようですが、これは「家族愛」がテーマですね。
但し「愛さえあれば、すべて解決」という映画ではありません。

2000年の在韓米軍による汚染物質流出事件から発想された作品らしいですね。
プロットは、
在韓米軍の研究所から漢江(ソウルを流れる大きな河)に化学薬品が不法廃棄され、
その影響で、突然変異した生物(「怪物くん」と呼びますね)が生まれ、
怪物くんに娘がさらわれ、
その父親が家族とともに娘を救出しようととする話しを縦糸に、
その怪物が宿しているというウィルスへの対応を横糸にしています。
何かハリウッド映画2本を混ぜたようね感じですね。
メインキャストは、
ガン・ソンホ(「シュリ」、「JSA」などの名優。パパの役)、
ビョン・ヒボン(祖父役)、
パク・ナミル(伯父役)、
ペ・ドゥナ(伯母役)で、韓国ではいずれもスター俳優だそうです。
それとコ・アソン(中学生の娘役)はTVで人気のある人らしいです。
ということで、「韓国版オールキャストの怪物映画なのか?」というところが問題です。それから「グエムル」というのは「怪物」という漢字のハングル読みだそうです。
ですから日本でも当初は映画のタイトルは「怪物」と紹介されていました。
英語タイトルは"The Host"です。

この映画を見て、
「よくこれを作ったなぁ」
と思いました。

これは順を追ってお話ししないと分かりづらいと思います。

まず構図です。
悪役は突然変異の怪物ですが、その他に米軍と韓国の政府側の人間(ま、役人といえばいいかな)が悪役というか、かなり揶揄されています。
大きい出来事は米軍担当で、小さなところは韓国の役人担当ですかね。
反米的というより、いかにもUSがやりそうな行動をなぞっている感じかな。

対する娘救出隊は、
漢江の近くの公園の売店の店主(祖父)と、
その息子(パパ。髪が黄色い長男)、
次男の大卒で就職難で無職(伯父)、
長女でアーチェリーのトップ選手(伯母)という一般民間人です。
パパが主人公ですね。
生活能力なし、子供みたいな判断力だが、中学生の娘あり、妻は娘が生まれてすぐ逃げたそうです。
皆さん韓国の民間人ですから、徴兵制度があり、男性は銃が撃てます。
また伯父は学生運動をしていたので、火炎瓶作りがうまいんです。
伯母は足が遅くて、やや動作が鈍いアスリートです。まあ何か武器が必要なのでアーチェリー選手に設定したのでしょう(ペ・ドゥナは3ヶ月間特訓したそうです)。

で、この怪物くん、会社が左前になって投身自殺をした社長さんを食べちゃったらしく、人間の肉に味をしめたようです。
それで陸に上がります。
ここでハリウッド映画なら、まずは全貌は見せずに、徐々にサスペンスを盛り上げるところ。
でも、こちらは最初から全身を晒して、ティラノサウルスばりの猛突進。
人間食べまくり。
凄い迫力。
期待できそうと思いました。

ここはネタバレ。
さて、この怪物くん、お腹が一杯になると、食料を貯蔵するらしく、人間をくわえていきます。
それで運良く娘はさらわれるだけで済みます。

取りあえず娘は死んだ思われます。
遺影を前に四人が集まります。
ここは号泣大会。
役人さん傍若無人、でも何か間抜けな人も。
変な演出だなぁ。
更にそこにいた人はウィルス感染の恐れあり、ということで全員隔離。
ま、結局娘からは携帯電話で連絡があり、怪物くんにさらわれたことが判明。
でも役人さん、信じない。
仕方がないので、家族で脱走、自力で娘を捜すことに。
傭兵を頼むお金もなければ、つてもありませんし。

ここまででもあったんですが、特にこの後の展開が理解できなかったんですね。
緩急を付けるのは当然として、緩む部分が笑いを取りに行っているようで、浮いて見えるんですね。
話しが進めば進むほど、理解できないシーンが増えていきました。
そのうち不安になりまして。
私はこの映画の見方を間違えているのかもしれないと。
これはまずい。

で、映画の中盤過ぎ。
色々あって、自由に動けるのが叔母だけになる。
伯母さん、かっこよく疾走。
ペ・ドゥナの走りは綺麗です。
怪物くんと一騎打ちの模様です。
やっと本番か。
シガニー・ウィーバーばりかな。
シガニーより背は低いけど。
でも実はペ・ドゥナは171センチ、東洋人にしては大きい。
シガニーより軽いけど。
モデル出身でスタイルはいいけど、細い。
突進してくる怪物くんに、アーチェリーを構える。
ここはやはり眼だな。
片眼を射抜いて、横っ飛びで逃げる・・・・・・あれ。

ここネタバレ。
一撃で吹っ飛んだ伯母さん。

ここで気付きました。
それまでの分からなかったシーンがフラッシュバックし、理解できました。
これは「シュルク」だ。

「シュルク」というのはドリームワークス製作のフルCGアニメです。
ただ、製作陣は元ディズニー系の会社にいた人達です。
彼らが「お姫様と妖怪の話し」という、いかにも昔のディズニーという題材で製作したものです。
但し、展開の振りははディズニー的なんですが、落ちは「ディズニーじゃあ全体あり得ない」というものに終始します。
そしてラストシーンが・・・・・・ディズニーをあざ笑ってるんでしょうか?
オスカーの長編アニメ部門をディズニー系のピクシーの作品「モンスター・インク」を抑えて受賞しました。

本作は「いかにもハリウッド映画」という題材を使って、振りはハリウッド的、落ちはすべて裏切ったんです。
冒頭のシーン、いきなり全貌を現わした怪物くん、あれは「この映画はハリウッド調じゃない」という合図だったんだ。

当初一番違和感があったシーン。
脱走して売店の倉庫に逃げ込む四人。
パパを莫迦にする伯父、伯母を祖父が諭します。
「おまえら、パパ(長男)は昔からああじゃなかったんだ」

ハリウッドならどうしようもないパパが、途中から超人的な活躍を見せたりします。
実はグータラになったのには訳があったんだ。

祖父の話しが続きます・・・・・・パパは昔から同じだったんですね。
伯父、伯母は何度も聞いた話なんでしょう・・・・・・寝てます。

この設定上の毒、好きですね、意図が分かると。
一見笑いのシーンに見えたところは、パパの性格描写の部分と役人への揶揄だったんです。

跳んでクライマックス。
は、やりすぎかな。
倉庫シーンの前に戻ります。
脱走の手助けを頼んだ、いかにもまずそうな一団がいまして。
足下を見ているのか、約束と状況が違うと値上げ交渉。
結局クレジットカードまで取られる。
ところが、この連中、実は良い仕事をしてるんですね。
ちゃんと状況に応じたものを手配している。
闇の世界では正当な値段だったのかも。
かと思うと、役人は賄賂の要求。
やれやれ。
事態は把握しましょうね。

で、クライマックス。
米軍が最新のガスで怪物くんを攻撃。
一度は弱る怪物くん。
そこにメインの三人(祖父はいない)プラス伯父に「ついて来た人」(そうとしか言いようがない)。
そして怪物くん、復活。
三人のヒーロー、ヒロイン的な活躍が描かれます・・・・・・一見。
でも、よ~く見ると。
ポイントは、「ついて来た人」ですか。
最後はパパが渾身の力。

ということなんですが、何か昔の仇討ちみいに思えました。
戦闘能力のない子供の仇討ちをヒーローが助っ人する。
あとはとどめを刺すだけ。
「ぼうず、今だ! 」
「父の仇! 」
懐に飛び込んで、脇差しで一突き。

ここネタバレ。
米軍の兵器で怪物くん、弱ってます。
最後の力を振り絞って、怪物くん戦います。
結局、「ついて来た人」と伯父、伯母の連係で、怪物くんは体の内側まで炎に包まれます。
   しかし、アクションもこなすペ・ドゥナ(伯母)、颯爽と
   している。
   たしかに格好良い。
体中炎に包まれている怪物くん、漢江を目指します。
そこへパパ登場、渾身の力で串刺しにします。
ん~、でも米軍の兵器で放っておいても死ぬみたいですよ。
ガスを吸った人は血を吐いて絶命したみたいだし。
ま、怪物くんが最後の莫迦力を発揮してたから、とどめは刺すべきですが。

たしかに一般人としては良くやった。

何か、そんな感じがしました。
よ~く見ないと分からないんですが。

で、最後のハリウッドへの裏切り。
残念ながら、これしかないですね。
ハリウッドなら絶対やらない・・・・・・。
リアルといえば、リアルか。
救いは新たな希望の芽かな。
でも、あのパパで大丈夫なんだろうか。
髪の色が変わったのは、前よりしっかりしたという演出かな。

この映画はハリウッド映画どっぷり浸かっている人には面白いかも。
「先が読めた。裏切られた」の連続ですから。
ニューヨーク・タイムズに好評だったというのは分かる気がします。

しかし、伯母役、ペ・ドゥナである必要があったのかな?
演技力が必要とされる役ではあると思いますが。
他のメインキャストは持ち味が十分出ていました。
珍しく情けない役のソン・ガンホも良かったし。

調べてみると2006年の興行成績は世界で50位台だったそうです。
ただ日本ではあまりヒットしなかったそうです。
好き嫌いが分かれたとか。
まあ普通の怪物映画としてプロモーションしたせいでしょう。
キネマ旬報ベストテンの外国映画部門では3位だったとか。
玄人受けはするんでしょうかね。

私的には良い映画に出会えて満足です。
解釈に悩んだ分だけ達成感があります。
途中で意図に気付いたし。
二度目に見たときは、何度も笑いそうになりました。
え~違った意味で。
そして、感動的でもありました。

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2007年2月20日 (火)

「リンダ リンダ リンダ」補足

「リンダ リンダ リンダ」のところで、作品の意図について話してませんでしたね。
その部分をお話ししましょう(ということは補足じゃないな。ま、いいか)。

この映画は「人と人との交流」ということを描いているのでしょう。

韓国からの留学生ソン(ペ・ドゥナ)は、学園祭で韓国を紹介する展示を一人で切り盛りしている。
担任の先生が後押ししてくれている。
遊び相手は小さな少女。
一緒にマンガを読んでいる。
別にいじめられている訳ではなさそう。
男の子に告白されたりもしている。
   話したこともない人だけど。
   ソンは記憶すらしていない人だけど。
でも、お客さんなんでしょうね。
所詮。

ソンはバンドに加わって生き生きしていく。
バンド仲間は、それまでの「ソンさん」という呼び方から、徐々に親しみを持った呼び方に変わっていく。
日本でも仲間を得ることが出来た。
それでも仲間といるときと、一人の時では少しキャラクターが違うみたいだけど。

学園祭の時、ソンの展示に人の姿はない。
ま、ソンもいないけど。
立ちつくす担任の先生。

体育館では、ソンの歌う「リンダ リンダ リンダ」に熱狂する生徒達。
そんなに大人数じゃない。
でも、徐々に人は増えていく。

この場面は一見不自然です。
生徒達が盛り上がっている理由が直接的には描かれていないからです。
ソンの歌が始まると、何故熱狂的な雰囲気になったのか。
それはソンが歌っているから。

学校に来て、真面目に勉強して、真面目に当番をこなし、控えめで、目立たない生徒。
意思の疎通も十分にはできない。
存在していても、存在感が薄い、一時のお客さん。
それまでのシーンでのソンは、そんな存在に描かれています(バンドのメンバー以外には)。
そのソンが生身の人間であることをメッセージソングを歌うことで表現します。
それが周囲には新鮮なのでしょう。
周囲も実は接し方が分からなかったのかも。

一方、反目しているような二人、香椎由宇と三村恭代が演じます。
でも、体育館の演奏直前、実は二人は分かり合っているという姿が描かれます。
そこには二人の蓄積があるから。

知識を得ることは大事、それがなければ分かり合えない。
でも知識だけでは駄目。
人と人とは交流しなければ分かり合えない。
交流の仕方は様々でも。
そう映画はいいたいのでしょう。

最後は誰もいない校庭の風景で終る。
バンドのメンバーは、一時の宴を終えて旅立ったんでしょうね。
高校三年生ですから。

この映画のノベライズを入手しました。
まだ読んでませんけどね。
さて、私の読みは当たるのでしょうか?
ま、当たらなくても、映画の解釈は見ている側が決めるもの。

この映画最大の収穫は、ペ・ドゥナという女優に巡り会えたことですね。
ペ・ドゥナは、
1979年生まれ、現在27歳。
映画では小柄な印象を受けますが、身長は171センチだそうです。
母親は名の通った舞台女優のようです。
本人は母親とは無関係にスカウトされ、カタログや雑誌のモデルから、TVタレント、CMタレントを経て、TV女優として有名になり、映画に進出したようです。
2000年くらいから韓国映画はその品質から高い評価を受けるようになりました(現在はやや翳りが見えていますが)。
それを支えた俳優の一人といえるようで、多くの話題作に出演しています。

今のところ映画館で出演作を見たことがないのが残念です。
もっとも、私はDVDをプロジェクタで見ていまして。
ビジネス用なので解像度は高いんです。
光度が弱いので映画館の映像のようになりますが。
大体横2.1メートルくらいの映像にして。
それを3.5メートルくらい離れた距離で見ています。
ですから、そこそこの迫力で鑑賞することができます。
サウンドが2.1チャンネルというのが、少し惜しいですが。

ということで(ん? どういうことでだ?)、女優特集第二弾は「ペ・ドゥナ」です。
彼女の出演作はネタになるんです。

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上野樹里特集補足

上野樹里特集と謳いながら、出演作品自体のお話しばかりしてきました。
で、今回は上野樹里のお話をしましょう。

あまりいないタイプの女優なのでしょう。
一つの鋳型にはまらない、色々な役をこなしています。
   「金田一少年の事件簿」は驚きました。
   後半だけ見たのですが、最初「ともさかりえ」かと思いました。
   色々な役が出来るとはいへ、ああいう役もやるんだ。
   確かにうまいんですが、ああいう役はちょっと・・・・・・。
   貫地谷しほりだったら、もっと独自性を打ち出せたような気
   がしましたね。
日本では女優が主演だけでやっていくのは難しいでしょうから、準主演や脇役も演じていますが、役によってかなり異なる面を見せてくれます。
それにも関わらず、どんな役でも「上野樹里らしい」と言われてしまう。
どこか上野樹里独自のカラーがあるんでしょう。
もっとも本人は、
鈴木友子(「スウィンガガールズ」)、
野田恵(「のだめカンタービレ」)
で、本人そのものといわれているのが嫌らしいですが。
   しかし、「友子」と「のだめ」はかなり違うキャラクタだと
   思いますが。
   「見ていると面白いけど、近くにいたら迷惑」という点では
   同じかな。
いずれにせよ、主演級の俳優なら存在感や独自性といった個性が、演技力以上に必要でしょう。
そういう意味では、現在では希有な存在なのでしょう。
周囲の俳優やスタッフの受けがいいのもプラスでしょうね。
複数の役が並行して出来ないという「なりきり型」らしいですから、映画主体で活動して、多くの面白い作品に出ていただきたいですね。
最近はちょっと出演作の公開が続きすぎかな。

え~と、引き続き女優特集を続けます。
鈴木杏、貫地谷しほり、本仮屋ユイカ、松田まどか
なども取り上げたいところですが、今のところ出演映画の数が少ないので、作品を触れる中で話題にしたいと思います。
   四人とも子役出身なので、端役時代も入れれば、結構な数の
   映画に出演しているのでしょうが。
それに女優特集とはいへ、特徴的な作品に同じ女優が多く出演しているので、特集になっているというものですから。

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2007年2月19日 (月)

上野樹里特集第5弾

上野樹里特集、とりあえずのラストです。
今回は「スウィングガールズ」、初主演作です。
私が上野樹里を意識した最初の作品でもあります。
また、私が日本映画を少し本格的に見ようと思ったきっかけの作品でもあります。
   若手監督の技量とセンスに惚れ込んだとも言えるんでしょうね。

初めて見たときの感想は、「よくこれを作ったなぁ」でした。
数人のバンドの話しでも大変なのに、17人のビッグバンドですかね。
しかも演奏は吹き替えなし。
やりきった俳優陣も凄いですが、これを作ろうと思ったこと、そしてやりきったことに対して製作陣の勇気には驚きました。

映画の特徴は、ラストシーンのカタルシスに向かって突き進む、シャープなコメディといったところでしょうか。
コネタ満載ですが、メインプロットに無駄がないのが特徴です。
まず、メインの五人、上野樹里、貫地谷しほり、本仮屋ユイカ、豊島由佳梨、平岡祐太のキャラクター造形の巧みさから引き出される部分が大きい。
上野が引っかき回し、後の四人が引きづられていきます。
そして本仮屋が抜け出して修正。
パターンとしてはこれ一本とも言えます。
   しかし、上野、貫地谷、本仮屋の3人はうまいですね。
   みんな現実離れした役なんですが、リアルな存在感が出ている。
   何かこの世代の女優ってアタリが多いですね。
   それと初芝居の豊島の怪演。
   監督のコメントで「豊島は芝居のオーディションでは冴え
   なかった」って、そりゃそうだ、その時が本当の初芝居で
   しょう。

次に繰り返しの無さや説明的シーンの無さ。
これが映画をシャープにしています。
ラストの音楽祭までの間で、スィングガールズ全体で演奏したシーンは3回だけ、しかもすべて不完全か部分的。
練習で苦労したということを表しているのは、五人がジャズ感覚を掴むところまでを除けば、貫地谷がトランペットのハイトーンを練習しているシーンだけ。
貫地谷の演技を通して、実はガールズ個々が必死に練習していることを伝えています。
こういういわば記号的な演出は良いです。

そして、全体を通して語られる上野演じる友子の成長。
目標もやる気もない友子がジャズに目覚めて、自覚ある行動を取っていく様。
終盤オオボケをするのは別として。
同じような境遇の他の16人の成長もちらちらと表現されている。
創作物はすべてを描くのではなく8割描いて、あとは受手の想像力にゆだねる。
この点に成功した作品だと思います。

最後のカタルシスのシーンは、あくまで素人の演奏ですが、よく頑張ったと思います。
1度で音が消えてしまうコンサートではないですし、まして映画ですから演奏しながら演技をしなくてはいけない。
演出としては、かなり難しい映画でしょう。
演奏し終ってステージの上で台詞が一切なく終るというのは、おそらく初めての映画でしょう。
こういう演出をする勇気には素直に脱帽します。
   その後「リンダ リンダ リンダ」も演奏が役者の最後のシーン
   ですが、映像としては学校の風景で終りました。

この映画のテーマは、
普段ぱっとしない人達が楽器を持つと変身するという姿を通して、
「目標のない人も何かやってみようよ。楽しいことに努力すると輝けるよ」
ということなのでしょう。

で、ストーリー上の設定としては、幾つか無理はしています。
私の友人に高校時代に吹奏楽部でトロンボーンを吹いていたクスくんがいます。
彼は吹奏楽と並行で、有志とジャズバンドを組んでいたという「リアル・スウィングガールズ」な人です。
彼とDVDを一緒に見てまして、現実的ではない設定を教えてくれました(彼はそれを含めて楽しんでました)。
その最初が冒頭で、
「これはありえないよ」
でした。

「中村、弁当まだか? これじゃ演奏続けられねぇず」

クスくんは実際に高校野球の応援演奏の経験もあるそうですが、
「演奏の合間で物をたべることは絶対にない」
のだそうです。
演奏の感覚が変わるとかいう話しだったと思います。
脚本を書いた矢口監督は、私と同じで元々音楽に興味がないですし、平和的に吹奏楽部を病院送りにする方法も限られてますからね。

え~私の一番好きなシーンを紹介します。
最初の音楽室のシーンです。
平岡祐太演じる拓雄の高速「猫踏んじゃった」のあとですね。
野球部員役の福士誠治(彼は良かった)が入ってきて、
「何か、かっこいい」
の貫地谷の台詞と表情、それに続くハデクループの表情が良い。
特に中央の長嶋美紗の目を丸く大きく見開いた表情。
この短いシーンだけで、貫地谷演じる良江の性格が伝わってきます。
折角絵があるんですから、こういう台詞のないシーンでの説明を有効に使って頂きたい。
   しかし、長嶋美紗は演技が初めて(ガールズでCMも含めて
   演技経験が全くないとう人は4人だったはず)。
   当時はアマチュアでキーボードとボーカルをやっていたん
   じゃなかったかな。
   色々な楽器が出来るらしいですが、この映画ではトランペット
   の演奏を支えていたはず。
   今は女優になりましたね。

DVDにはコメンタリがあります。
本作には2つありまして。
監督と武田佑子アナウンサーは両方出演です。
「巻き込まれる人々」が、貫地谷、本仮屋、豊島。
何か先生と高校生みたいな感じで面白かったですね。
ちょっとまだ役の感じが残ってましたし。
「巻き込む人々」が、上野と平岡。
こちらは・・・・・・何というか、友子と拓雄が標準語で話してました。
で、拓雄が無口。
友子大暴走。
何で人生相談してるの?
コメンタリで泣くな!
もはや崩壊か?
そこへ武田祐子が上回る大暴走・・・・・・なんですが、それで上野の手綱を締めました。
アナウンサーって大したものです。

え~と最後に。
この映画は多くの大物俳優が脇を固めて成立していると思います。
その甲斐あってか?
無名の若手が17人も世に出ることが出来たわけです。
   ま、中にはそれなりにキャリアのある若手女優も混じってますが。
これからガールズのメンバーがどう育っていくのか。
見ていくのも面白いでしょう。
上野樹里、貫地谷しほり、本仮屋ユイカ、平岡祐太に加えて松田まどか、中村知世も活躍しています。
   実は当時は「松田まどか」が映画主演経験もある、映画関係者
   と日本映画ファンには最も知られた存在でした。
   この映画では小さな役でしたが。
少し前まで○AWSONに行くと豊島由佳梨の歌が、ずっと流れていたのが面白かった。
   豊島はアマチュアだかセミプロだかのシンガーソングライター
   です。
   メジャーレーベルではないですがCDデビューしたばかりのはず
   です。

とうことで、上野樹里特集(いつの間にか)も一旦終了です。
次は別の女優特集をしたいと思います。
現在あと3人を予定しています。
私が将来に渡って活躍すると思っている女優です。
ただ、ある程度の本数の映画出演経験者に絞られますが。

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2007年2月18日 (日)

上野樹里特集第4弾

ということで、「ジョゼと虎と魚たち」、通称「ジョゼ虎」です。
田辺聖子の短編小説の映画化作品。
これは上野樹里としては、撮影順では2作目、公開順では多分最初の映画でしょう。
主演は池脇千鶴と妻夫木聡、監督が犬童一心です。
特に池脇千鶴と上野樹里の好演が印象に残る作品です。
池脇演ずるジョゼは成熟した面と極めて幼い面を併せ持つ不思議な人。
すべての知識は、祖母が拾ってきた雑多な本から得たものなので、詳しい分野は凄く詳しいけれど、ひどくバランスを欠いている(学校教育は免除されており、拾って来た教科書で高校三年生レベルまで独習)。
まず目にすることの出来ない人物像を池脇は演じきります。

原作はジョゼ(池脇千鶴)と恒夫(妻夫木聡)の車での旅行(映画では中盤にあたります)に、過去がカットバックで挿入される形式で、完成度が高く、中身の濃い作品です。
映画はその原作を活かしながら、内容を膨らませていますが、その膨らませた部分のキーを握る役を上野樹里が演じています。
上野演ずる大学生の香苗は、未来に希望を持って、それに邁進していきます。
しかし、激情から自ら未来を潰し、失意の日々をお送ります。
はたして、そこから脱却できるのか。
心理状態が大きく変わっていく役を説得力ある形で演じます。
あとで上野の実年齢を知った人は、かなり驚いたようです。

映画を見終わって感じることは二点ありました。
「重いものを背負った人間の強さ」と、「ややバランスに欠けると思われる演出」です。
これは、この作品を見た大部分の人が思うようです。

バランスを欠いた演出とは、妻夫木のベッドシーンです。
江口徳子(今は江口のり子)、上野樹里、池脇千鶴とのシーンがありますが、江口と池脇はヌードですが、上野樹里は肌すら見せません。
ストーリー展開からいえば、江口(恒夫の性格描写に重要)と池脇(ジョゼの心理描写に重要)とのシーンは必要でした。
上野の場合、たんに妻夫木とそういう関係になった、ということを示せば良いだけなので、あれで問題はないのですが、映画のトーンという観点からは不統一感があります。
そうなった理由は、22歳の役を演じている、上野の実年齢が17歳になったばかりだったからです(18歳未満のヌードシーンは使えない)。
当時の上野はまったくの無名でしたから、映画を見た人は大分首をひねったようです。

さて、本題の「重いものを背負った人間の強さ」です。
ジョゼは足が不自由で、殆ど外出もしないのですが、その原因は脳性のマヒで、徐々に全身を蝕んでいき、最後には心臓も停止するという宿命にあります。
そのため幼い頃から施設で育ち、施設を出た後は祖母と二人暮らしです。
ジョゼには親の記憶があまりないのですが、彼女の人生は家族に囲まれたものです。
彼女にとって施設で一緒に暮らした子供達は家族なのです。
だからジョゼは彼女の認識の中では、第三者を知らず、友情とも恋愛とも無縁でした。
そんなジョゼが恒夫と出会い恋に落ちます。
しかし、ジョゼはいずれ別れが来ると確信していました。
ジョゼにとって恋を経験できたことは大きな財産なのでしょう。

上野は妻夫木の大学の同級生で途中から恋人になる役(香苗)です。
福祉に関連する仕事に就きたいと思っており、恒夫を介してジョゼと知り合います。
しかし、ジョゼと恒夫の関係を知って逆上します。
そして、ジョゼに屈辱的で、差別的な言葉を浴びせます。
   ここは良いシーンでした。
   ずっとお嬢さんぽくて、優しかった香苗が鬼のようになる。
   迎えるジョゼはどこか醒めてる。
   上野と池脇の演技のぶつかり合いが凄い。
これによって、香苗は目標を失います。
障害者に対し差別的な言葉を浴びせてしまった自分を許せないのでしょう。

妻夫木扮する恒夫は、江口演ずるノリコとの体だけの関係に満足し、特に目標のない大学生活を送っていました。
ジョゼとの出会いで彼の心境は大きく変化していったように思えます。
紆余曲折の末、ジョゼと同居しますが、今一歩踏み込めないポジションにいます。
そして、恒夫はジョゼのもとを去ります。
彼はそれを「逃げた」と表現します。
遠からぬ将来、緩やかに死を迎えるジョゼを見ていく勇気がなかったのでしょう。
そういう勇気を持てる人がどれくらいいるものなのか・・・・・・。

ここはネタバレ。
恒夫はジョゼのもとを去って、すぐ香苗と落ち合います。
   コメンタリで、このシーンについて、池脇が少し不満げです。
   「男って、そういうもんだよ」by 妻夫木
   おいおい自分をもとに全体を語るな。
が、そこで恒夫は座り込んで号泣します。
香苗はそれをただ呆然と見おろします。

ラストシーン
まず恒夫と香苗のシーン。
二人とも弱々しく、頼りなく、彼らの未来に何が待つのか。
そこに希望を見いだすことが出来ません。
かわって、ジョゼのシーン。
電動車椅子で颯爽と街を行く。
依然と変わらぬ生活を続ける。

本当の強さとは何か。
この映画はそれを問い掛けているように思います。
ジョゼは現状のままなら、そう長くは生きることができないでしょう。
恒夫や香苗は、何らかのアクシデントなりがなければ、それなりの期間を生きていくでしょう。
でも、二人に残された時間は何年間なのか?
知る術はないのです。
もしかしたら、そのアクシンデントは明日起こるかもしれない。
そこにジョゼとの差があるのか?
寿命を意識せざる得ない立場のジョゼは、その日その日を必死で生きて行く。
かつて、遠からず死が待っていることを知りながら、押入の中で本を読みあさって、知識を吸収していた時と同じように。

印象的なシーンをもう一つあげましょう。
ジョゼから一旦は距離を置いた恒夫がジョゼと再会します。
その時はおばあさんが亡くなっていて、ジョゼは小さなアパートに一人暮らしでした。
ジョゼは言います。
「同じアパートの男が、胸を触らせてくれたら、ゴミ出しをしてくれるというので、触らせた」(関西弁で)
恒夫は驚きます。
「何でそんなことをしたんだ」(関西弁で)
ジョゼは泣きながら答えます。
「週に何日かは市役所の福祉課の人が来てくれる。でもそれはいつも午後。一人じゃゴミが出せない」(関西弁で)

頭を殴られたようなショックを受けました。
私たちの環境は優しさに欠けるのでしょうか?
いえ、想像力に欠けるのでしょうね。

今までも出だしで、作品の世界観を表現し、見る者を引き込むことの重要さを語ってきました。
この映画のそういったシーンを思い返してみます。
坂道を疾走する乳母車。
それを必死で食い止める恒夫。
乳母車の中に、たんに若いのか幼いのか分からないような一人の女の子。

原作では普通の車椅子に乗っていた設定ですが、映画では意表を突く設定で、見る者を作品世界に一瞬にして引き込みました。

最後にコメンタリのお話しを。
監督、池脇、妻夫木が話しをしています。
池脇と妻夫木のベッドシーンでのこと。
「私、整形したい」by 池脇
「え~~」by 監督&妻夫木
「やめろよ」by 妻夫木
「だって、いつも、胸、バーンって出したい」by 池脇
「胸か」by 妻夫木

池脇さん、あなた以外は顔のことかと驚きましたよ。

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2007年2月17日 (土)

「亀は意外と速く泳ぐ」番外編

え~と。
一応DVDの紹介の場合、対象がDVDなので、コメンタリ、メイキング、予告編も対象に含まれるのでしょう。
映画は「本編が命」なので補足的にしか扱いませんが。

で、「亀は意外に速く泳ぐ」ですが、実はコメンタリを見ていなかったので、昨日見ました。
監督がコメントしています。
それで、あの映画のスパイは、やはり「草」がモチーフだそうです。
スパイ募集は代々木界隈の都市伝説だとか。
あ、でもスパイの公募は実際あるんですよね。
何年か前に、英国で新聞での募集があって話題になりました。
   確かMI-5(国内諜報、今はテロ対策が主流らしい。ジェイムズ・
   ボンドはMI-6)だったかな。
またwebサイトでの募集は、MI-5でもMI-6でも、今は行われているらしいですね。
   あ、ちなみに"MI"とは、"Mission:Impossible"の略・・・・・・
   ではなくて、"Millitary Intelligence"の略です。
   "Mission:Impossible"は、多分英国の"MI"にかけて付けたんで
   しょう。
それと、実際の亀は早く泳げるわけではないらしいです。
予行編の亀はモーターを付けて泳がせたらしい。
モーターに合わせて必死で泳ぐらしいですが。
これって動物虐待?

ところで、このblogで扱っている話題は、映画関係と投資関係が多いのですが、映画関係の方がアクセス数が圧倒的に多いですね。
上野樹里特集のアクセス数が多いので、映画というより、上野ネタのせいでしょうか。

ということで、明日以降、また特集をやりましょうかね。
上野ネタもストックが少ないので、それが終ったら、次は他の女優の特集にしましょうか。
映画女優が対象になるので(TVは殆ど見ないので)、知名度が余りなかったり、かなりマニアックな内容になるかもしれませんが。
あ、私の感想は既にマニアックというか独特なのかな。

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2007年2月15日 (木)

書籍:「笑う大天使」

「笑う大天使」の原作と映画のノベライズを読みました。
気に入った映画については読むことにしているんです。

ノベライズは、映画との相違点が若干有りますが、映画を補強する役割は十分に果たしているでしょう。

原作は中編といって良い長さです。
主人公3人の出会いから令嬢誘拐事件の顛末までが描かれています。
更に3人それぞれを主役とした3編の短編があります。
短編はいずれも中編のサイドストーリーとなっています。
   しかし、名言格言の引用が多い。
   また、他の漫画のセリフの引用も。
中編のプロットはそのまま映画に使われていますし、短編の中からもエピソードが使われています。
最後は「アメリカン・グラフィティ」的な終わり方で、「人生の一部を切り取ったんですよ」という感じが良いですね。
原作は、全体的に3人の友情が色濃く出ていて、映画と比べると、ほのぼのとしたテイストになっています。
   この雰囲気は良いですね。
   何か人生の中の一時の煌めき、そんな感じがします。
   しかし、コロボックルとオスカルとケンシロウの友情って、
   シュールだ。
   しかも、いずれも架空とはいへ、コロボックルは人名じゃないし。
   オスカルはまだしも、ケンシロウっていう綽名の女子高生って。
で、映画の方がファンタジー色が強いですね。
これは表現媒体の違いによるものでしょう。
メディアミックスは、色々楽しめていいですね。
そうそう、史緒(ふみお、映画では上野樹里が好演)は映画と違って標準語ですね。
映画の関西弁は史緒を際だたせる意味で有効だったと思います。
   「ベルサイユのバラ」の引用が関西弁になったのはご愛敬
   ですね・・・・・「文句があるなら、ベルサイユにこんかい」って、
   ベルサイユじゃなければ言いそうですね。

以前は話題にしませんでしたが、重要なキャラクターである「ダミアン」(黒い犬、映画ではCG。現場では監督が代役したとか)の設定も異なるんですね。
映画では「聖ミカエル学園の主」でしたが、原作では「ちょっと(大分?)変わった野良犬なんですね。
聖ミカエル学園の生徒から食べ物を巻き上げる野良犬って・・・・・・本当にいたら、ただじゃ済まないでしょうけどね。
もっとも、映画の学園に住み着いて、構内を自由に闊歩している犬っていうのも五十歩百歩か。
ま、いずれにせよ良い味出してます。

これでの一つの作品世界を満喫しました。

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2007年2月14日 (水)

あらためて上野樹里特集第3弾

今日もFXのチャートを見ながら昼食。
依然仕掛けづらい展開。

ところで、今日は「春一番」が吹くらしい。
南では、もう吹いているとか。
日本海の低気圧の影響で全国的に大雨ですか。
午後から仕事場(ここ)でワークショップなのに。
参加者可哀想。
書籍も○マゾンから届いたし、仕事体制ですね。

というそんな中。
行きます。
上野樹里特集? 第3弾。
「亀は意外と速く泳ぐ」
え~、本作はカルト・ムービーといっていいんでしょう。
一部に熱狂的ファンがいるようです。
劇場でもロングランをしました。
   ロングランの場合、劇場が移ってしまうので、私は見逃して
   しまいました。
メインプロットは23歳、夫が海外に単身赴任中の専業主婦、片倉スズメ(上野樹里)がひょんなことから、某国のスパイになり個性的なスパイ仲間と交流する話しです。
サブストーリーとして、片倉スズメと幼馴染みの扇谷クジャク(蒼井優)の交流が描かれます。
ただね。
意味上は逆なんですよね。
または等価。

スズメは平凡な主婦、存在感なし。
というか、もしかしたら、周りには見えていないのかも? というレベル。
   透明人間か!
   ちなみに「本当に透明人間になったら」という考察があります
   (たしか漫画家のジョージ秋山氏かな)。
   どうなるか? 命取りです。
   人間は無意識に危険を避けます。
   例えば、道を歩いていると、(渋谷がいいかな、分かりやすい)
   人にぶつかりそうなことは、日常茶飯事というより、一瞬一瞬
   がそうです。
   でも、ぶつかりそうな両者は無意識に相手を避けます。
   そうなんですよ、自分が透明だと、相手が避けてくれませんから。
   これって、渋谷じゃなくても、自分の日常を振り返ると、まず無理。
   だって、少なくとも後ろは見えないでしょう。
   気付いたら引かれてる。
   そんな人生。
   万が一、透明人間になったら、兎に角、周囲に自分の存在を
   アピールするしかないんです。
一方、クジャクは破天荒。
なのか?
一見そう見えるけど。
やってることは全部小さい。
   借金踏み倒しは面白い。
   でも、私の場合人生投げるほどの借金するのは大変。
   あ、やりたい訳じゃないですよ。
   簡単に借金できる額なら、稼いだ方が安全だという現実のこと。
現実逃避の夢見がちな人ってだけかな。
それで緩いネタが延々続きます。
これが気持ちいいんだな。

で、ここネタバレ。
実は落ちは二人のネタ。

ただね、私にいわせれば、二人とも「計画性」という言葉が辞書にない。
よ~く探せ、載ってるから。
「行き当たりばったり」に生きてる。

そして「行き当たりばったり」ですが。
スズメはひょんなことから某国のスパイになります。
で、妙な訓練を受けます。
そりゃ銃の撃ち方とかもありますが、スパイは目立っちゃいけないと、普通に暮らす訓練が大半です。
   スパイといえば「ジェイムズ・ボンド」ですよね。
   原作者のイアン・フレミングは英国の空軍情報部にいた人
   (現場担当じゃないけど)で、スパイのことに詳しいらし
   いのですが、「あんなスパイはいない」って、自分で書い
   といて。
   ボンドって、凄く目立つことを日常的にする人なんですが
   (レストランに行くと、厨房に押しかけて、コックに指示
   したりする)、あんなことをすると、すぐに命はないとか。
   一方、「ミクロの決死圏」という映画がありますが、ノベ
   ライズを何とアイザック・アシモフが書いています。
   その中で主人公の設定が、小説を抜け出したようなスパイ
   らしいスパイ、それで「あんなスパイらしいスパイはいない」
   ということで、生きながらえているとか。
   明らかなボンドものへの当てつけですね。
普通に暮らす。
目立たず暮らす。
いつもやってきたこと。
でも、それがミッションだと思うとワクワクする。
それに、あれ、これってどうするのが普通なんだろう?
いつもどうしていたっけ?

同じことをするのでも、見方を変えると新鮮。
もっというと、目的意識を持つことでモチベートされる。
見ている側にも実感の伴う話しです。

という、しっかりしたテーマを持った作品です。

が。
やはり本題は「ぬる~いコメディ」ですよ。
何か低温温泉に浸かってる感じ。
爆笑一切なし。
クスッだけ。
脇役陣は達者揃い。
岩松了、ふせえり、松重豊、村松利史がスパイ仲間。
何で狭い地域に集中してるんだ? という野暮はいわずに。
彼らもそれぞれに努力して目立たず生活している。
しかも十年以上ミッションがない。
いわいる「草」ですね。
   時代劇に出てくるスパイです。
   ある場所に潜伏して、普通の人として暮らして、指令を待つ
   んですね。
   でも、指令は一生こないかもしれない。

ここネタバレ
そこそこの味のラーメン屋に扮したのが松重豊。
わざと美味しいラーメンを作らないんです(何故かスズメだけがファン)。
最後に自分のために美味しいラーメンを作って、村松利史と食べるのですが、これが絶品らしい。
大柄で飄々とした松重豊が、良い味出してます。
最後にスズメに「そこそこなラーメン」のレシピを渡すところも良い。
まあ唯一のファンだったからね。
スズメが自分で作って食べるシーンは、ほのぼのかつちょっとしんみりで、良い。
   平仮名ばかりって、読みづらいでしょう?
   だから。
リフレイン。
「ほのぼの」かつ「しんみり」で、良い。
   日本語って難しいよなぁ。
あと、公園で蟻! に餌をあげ続けている老婆、しかも少なくとも7年間。

で、あの落ち。
でも結構現実的かも(ここ、伏せ字の必要ないな)。

緋田康人、温水洋一 。
公安警察に嶋田久作、伊武雅刀 。
スズメの父親に岡本信人。
   辞書にない名前が多い!
   変換効率悪すぎ。
これだけの役者が嘲笑発止、ぶつかり合うんですよ。
でもゆる~い。
で、ギャグが痛くない。
役者を貶めるようなものがない。
   私はうまい役者のぶつかり合いが大好きでして。
   たとえ映画が酷くても許せるんです。
   例えば、
   「OUT」とか。
   いいもの見たって。
   あ、この映画は酷くないですよ。

全編ゆる~いんですが、ちゃんと構成はあって(当たり前か)、しっかりストーリーが進んでいくのが、何かかえっておかしいんですよね。
映画が終らなくなるので、無理矢理進めた感も「なきにしもあらず」ですが・・・・・・。
いや、それは冗談です。
ゆる~いスパイと「対比」というか「ぶつける」ために、硬い公安警察を出したんでしょう。
この公安警察、硬いんですが、何かずれてる。
しかも緩いといえば緩い。
こういう役は嶋田久作、伊武雅刀はうまい。
重厚な演技なんですが、何か緩い。

でも、見終わって思いましたけど、この映画は上野樹里じゃないときつかったかも。
ヘタに演じすぎると、典型的なオーバーアクトになりそう。
言い換えるとドタバタ喜劇っぽくなりやすい話しではあるんです。
それをきわめて自然体で、でもどっかずれてる、っていうのがいいんですね。

監督・脚本は三木聡。
「俺に芸術を求めるな。小ネタしか作れない」
って・・・・・・いい。

ところで、上野ネタのストックはあと二作。
特集は続くのか?

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上野樹里特集第3弾

ん~。
いつから特集になったんだ?
まあ、いいか。

えっと、今日は(もう昨日か)「亀は意外と速く泳ぐ」を見ました。
「スウィングガールズ」の直後の主演作です。
当時18歳で23歳の主婦役。
あまり違和感はないな。
何か、凄い力の抜ける、まったりした小ネタのオンパレードです。

で、この続きは後ほど。

次回は結構きっちり書きます。
   って、この映画でできるかなぁ?

投資とコンサルティングの資料作りで、疲れ果てました。

しかし、忙しい割に、よくDVDを見てますな。
我ながら。

そういえば、今日も忙しいんだ。
ワークショップがあるし。
大量に本も届くんだ。
仕事のためなので、しっかり読んでまとめなきゃ。

今日はDVD、見ることが出来るのか?

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2007年2月13日 (火)

「笑う大天使」・・・・・・ご免、再整理させて

え~、何か前回は内容がグダグダになってしまいました。
で、ちょっと再整理。
本作は川原泉の中編コメディ少女漫画の映画化です。
   ちなみに川原泉は父を早くに亡くし、母と年の離れた兄がい
   るそうで、幼い頃から家事全般をこなした苦労人とか。
   こういうところは、本作の主人公の設定と重なります。
   上野樹里も母親を早くに亡くしているので、重なる部分も
   あるのかな。
元々由緒ある名門お嬢様学校に通学している三人の庶民派が、「ボロ」を出さないよう協力する過程を通して、友情を育むという「まったり」したお話しのようです。
後半、荒唐無稽色が強くなっていったんだそうですが。

こっから、映画の話しに特化。
舞台は日本なんですが、独特の世界観を持ったファンタジックな設定です。
物語の中心は、由緒ある名門お嬢様学校、聖ミカエル学園。
良妻賢母の育成を設立目的とした、まぁ典型的な女子校ですか。
随所に女子校っぽさが出ています。
   私は女子校については不案内(当たり前か)なんですが、
   女子校に通っていた人に言わせると、
   「卒業して振り返ると、少し気持ち悪いエピソードもある」
   というところだそうです。
   例えば、バレンタインデイには、みんなの憧れの先輩(勿論
   女子)にチョコレート殺到とか。
通学しているのは、上品な良家の子女達で、「アークエンジェルの乙女達」と呼ばれているほどの、清楚で、礼儀正しく、親切な人達で「地上に舞い降りた天使」という感じ。
   「アークエンジェル」というのは、校名の「ミカエル」の属する
   天使の階級で、「大天使」と訳されています。
   偉そうな訳ですが、9つある階級の下から2番目。
   でも、まあ「ミカエル」は天使界のスターですかね(旧約
   聖書では)。
   それは兎も角、純正培養に見られる特徴を兼ね備えた人達で
   すね。
ま、それと引き替えに持っていないものも多いんですが。
世間の情報。
世間的な常識。
自意識。
生活力。
学力・・・・・・も怪しそう。
   こういう人って、本当にいるらしいんですね。
   以前聞いた話ですが(又聞きですが)。
   普通の大企業に新卒で入社した人がそうだったようで。
   遅く出社して、早く退社。
   挨拶の言葉は一日中「ごきげんよう」だそうで。
   いや、害はないんだそうです。
   何もしませんから。
   ただいるだけ。
   何か、嫁に行く前に、一回会社勤めをしてみたかったらしくて。
   で、父親のコネで、まあ社会勉強という感じだったみたいです。
   せめて会社の空気を味わいたいとかいうことでしょうか。
   といっても、彼女が空気を変えてしまっているんですけどね。
   まあ、短期間だったみたいですが。
物語は、その中にあって異物といえる庶民派三人(高校二年生)の友情が縦糸に、親子愛が横糸というか、随所に垣間見られ・・・・・・実は・・・・・・という流れ。

私、この映画を見る気は、あまりなかったんですよね。
上野樹里をかってはいたんですが、あまりに荒唐無稽そうだったんで。
でも、またまたクロさんの推薦により見ました。
今のところ、上野樹里の映画では最新ですかね。

結果、小田一生監督、ご免なさい。
いいですよ。
これ。

入り良し。
構成良し。
展開良し。
ラストの感動具合も良し。
それと冬を秋? に変えたCGが見事。
ファンタジックな雰囲気作りに大貢献。
こういう使い方はいいですね。
撮影はハウステンボスで行われたんですが、
   以前一度だけ行ったことがあります。
   正直、欧州(オランダ)の町並みを再現するという考えには
   違和感を持ちました。
   20時間近く移動にかけずに済みますし、日本語は通じますが
   ・・・・・・。
   ただね。
   ちょっとファンタジーものだったり、異世界ものだったりの
   映画の撮影には十二分に使えるなぁ・・・・・・いいなぁ、と思い
   はしました。
2月で、樹木にも芝生にも緑はなし。
全部CGをかぶせまして、
緑豊かな樹木、
青々とした芝生(緑色なのに、何で青々って言うんでしょうね)、
   元々「青」の染料は、葉っぱから取ったからだったかな?
   今の「青」とは色が違ったはず。
美しい花々
を作ったそうです。
俳優は大変ですけどね。
イメージだけで芝居しなければならいので。

ただねぇ・・・・・・盛り込みすぎ。
と、原作ファンの意識しすぎでしょうかね。
TV見たいな寄りのシーンが多いんですよ。
   コミックの場合、一こまが小さいので、絵がTV的になります
   からね。
それと特にアメコミ的なはめ絵は・・・・・・ちょっと。
これがなければ、結構正当な評価を受けることが出来たと思いますが。
こういうシーンの心理的インパクトが残って、折角の感動が薄れるんですけど。

とはいえ、全般的には、なかなかバランスの取れた良い脚本だと思います。
最後の落ちは、ちょっと想像つきませんでしたし。
   兄妹愛落ちかと思ったら・・・・・・。

良かった点をまず上げましょう。
ま、気を取り直して。
何といっても「入り」。
主人公の性格を短く表現したところは見事。
更に学校(聖ミカエル学園)に向かう交通手段が汽車で(ハリポタみたいですが、まあ定番ですね)、引きがアニメ。
これ見せられたら覚悟しますよ。
異世界への誘い。
少々の荒唐無稽は許します。
こういうの大事なんですよ。
観客が騙されてあげるための儀式。

次にメインキャラクターのキャラが立っている点。
主演が上野樹里、ぴったりです。
   ちなみにオーディションで、監督はすぐに上野と決めたらし
   いですが、どうも出遅れたようで(上野は次々に主演映画が
   決まったので)、上野待ちで製作が遅れたそうです。
母一人娘一人で、経済的に恵まれない育ち方をしたのですが、母を楽にさせたくて、成績優秀、スポーツ万能になったという役。
母が亡くなって、お互い存在を知らなかった大金持ちの兄(「伯爵」って)に引き取られて、転校したという設定。
従って性格は庶民的かつ苦労人。
神戸出身の上野のために関西弁にしたのかな?
   これは活きてました。
準主演が平愛梨 。
最近の女優は背が高いので、小柄さ(152センチ)が目を引きます。
成金の娘の設定で、そもそも庶民的。
成績優秀な学級委員で、三年生に可愛がられていて、「コロボックル」と呼ばれている。
   役作りは彼女の妹とか。
   妹さん、メガネに三つ編みで、この役と外見がそっくりだそ
   うで。
   しかも、「今日は何かぶろう」って言って、学校に行くそう
   です。
   かぶるって、帽子じゃありませんよ・・・・・・性格・・・・・・。
   彼女、妹をよ~く観察したそうです・・・・・・って、舞台挨拶で
   ばらしていいのか?
もう一人の準主役が、長身の関めぐみ。
凛々しい感じがよく出てました。
彼女の役は本格的な良家出身・・・・・・なんですが、両親が忙しくて疎遠で、上品に育つ機会がなかったという設定。
一年生のアイドルで「オスカル様」と呼ばれている。

で、「入り」のこの三人の出会いが良かった。
平と関は、周囲に溶け込んでいるんですが、上野を見るときの表情だけが一瞬違うんですね。
関は割と明らかな表情を見せますが、平はかなり微妙な表情の変化しか見せないんですよ。
それでも、予備知識なしに見ても、この二人は周囲と違うと分かるように演出されています。
こういう微妙なのが良いんですよね。

そうそう、三人を繋ぐ重要なアイテム、「チキンラーメン」。
こういう小ネタ、意外に効きます。
   昭和の庶民派グルメって・・・・・・そうなのかな。
   そんなに○○○○かな?
   味、濃くないか?

それから、上野樹里のアクションシーン。
見られるとは思っていなかったので。
かなり頑張ってます(三人ともですが)。
過去に経験はないはず。

CG犬「ダミアン」で、物語をはしょっているのはご愛敬。
ただ本来一応合理的な理由があると思われるころが、説明不足なのは惜しい。
   何故、ダミアンは誘拐された人達の居場所を知っていたか。
   ヒントは「麦チョコ」。
   庶民派グルメって主張だけじゃないでしょう、よ~く見ると。

で、問題のシーン。
アクションのクライマックスなんですが。
いいのかなぁ。
CGスタントマンっていう言葉がありまして。
主に模型の遠景に人を割り付けるためとか、実際の人間では撮影できないシーンなどに、CGで人を作って動かすことです。
これをどこまで使って良いかは判断が難しいらしいんですね。
   以前「バットマン」シリーズの一作で使った(作った)ときも、
   近距離映像(歩いているシーン)についてはカットしたそうです。
   CGで演技をさせると俳優組合からクレームが来る恐れがある
   からだそうです。
   それからすると今回のは・・・・・・。
今は何か明確な見解が出ているのでしょうか。

最後に、映画好きとしては、上品な女子高生の集団といえども、全員が全員善意の塊ってことはないだろうと思ってしまうんですね。
誰が主人公達と敵対するんだろうって、ずっと探してしまう。
   何せ予備知識「ゼロ」ですし。
でも結果・・・・・・性格、曲がってきたかなぁ。

というように、まぁ盛りだくさんです。
作品の良さでもあり、焦点を散漫にもしてるとも・・・・・・。
でも合格点ではあるな。

再整理して、まとまった! ・・・・・・のかなぁ?

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笑う大天使(ミカエル)

どうもこのbrog blogのアクセス傾向を見ると、映画ネタにアクセスが多いようです。
結構極端に。
実は以前はメルマガを発行してまして、内容はこのbrogと大差ないんですが。
もう少し自己主張が強いくらいで。
あと口語調ではなかったな。
その時も映画ネタが受けは良かったんですがね。

本作は川原泉の中編コメディ少女漫画の映画化です。
原作は長い人気を誇っていますが、長期連載されたということではないですね。
ジャンルとしては、ファンタジー、青春、友情ですか。

実は私、この映画を見る気は、あまりなかったんですよね。
上野樹里をかってはいたんですが、あまりに荒唐無稽そうだったんで。
でも、またまたクロさんの推薦により見ました。
今のところ、上野樹里の映画では最新ですかね。

結果、小田一生監督、ご免なさい。
いいですよ。
これ。

入り良し。
構成良し。
展開良し。
ラストの感動具合も良し。
何より見事なCG。
冬に撮ったとは思えないですよ。

ただ・・・・・・盛り込みすぎ。
と、原作ファンの意識しすぎでしょうかね。
TV見たいな寄りのシーンが多いんですよ。
   コミックの場合、一こまが小さいので、絵がTV的になります
   からね。
それと特にアメコミ的なはめ絵は・・・・・・ちょっと。
これがなければ、結構正当な評価を受けることが出来たと思いますが。
こういうシーンの心理的インパクトが残って、折角の感動が薄れるんですけど。

ま、気を取り直して。
まず、入り。
主人公の性格を短く表現したところは見事。
更に学校(聖ミカエル学園)に向かう交通手段が汽車で(ハリポタみたいですが、まあ定番ですね)、引きがアニメ。
これ見せられたら覚悟しますよ。
異世界への誘い。
少々の荒唐無稽は許します。
こういうの大事なんですよ。
観客が騙されてあげるための儀式。

周辺説明をしましょう。
舞台は、名門お嬢様学校、聖ミカエル学園というところ。
通っているのは、常識はずれに上品な良家の子女。
兎に角、みんな礼儀正しくて、当りが柔らかくて、親切、それも心の底から。
地上に降りた天使ですね。
それと引き替えに持っていないもの。
世間の情報。
世間的な常識。
自意識。
生活力。
学力・・・・・・も怪しそう。
つまり、頭の中は・・・・・・みたいですね。
   こういう人って、本当にいるらしいんですね。
   以前聞いた話ですが(又聞きですが)。
   普通の大企業に新卒で入社した人がそうだったようで。
   遅く出社して、早く退社。
   挨拶の言葉は一日中「ごきげんよう」だそうで。
   いや、害はないんだそうです。
   何もしませんから。
   ただいるだけ。
   何か、嫁に行く前に、一回会社勤めをしてみたかったらしくて。
   で、父親のコネで、まあ社会勉強という感じだったみたいです。
   せめて会社の空気を味わいたいとかいうことでしょうか。
   といっても、彼女が空気を変えてしまっているんですけどね。
   まあ、短期間だったみたいですが。

そんな中に三人の異端児が出現して、友情を育む話しです。
主演が上野樹里、ぴったりです。
   ちなみにオーディションで、監督がすぐにOKを出したのですが、
   どうも出遅れたらしくて(上野は次々に主演映画が決まった
   ので)、上野待ちで製作が遅れたそうです。
母一人娘一人で、経済的に恵まれない育ち方をしたのですが、母を楽にさせたくて、成績優秀、スポーツ万能になったという役。
母が亡くなって、お互い存在を知らなかった大金持ちの兄に引き取られて、転校したという設定。
従って性格は庶民的。
神戸出身の上野のために関西弁にしたのかな?
準主演が平愛梨 。
最近の女優は背が高いので、小柄さ(152センチ)が目を引きます。
成金の娘の設定で、やはり性格は庶民的。
   役作りは彼女の妹とか。
   妹さん、メガネに三つ編みで、この役と外見がそっくりだそ
   うで。
   しかも、「今日は何かぶろう」って言って、学校に行くそう
   です。
   かぶるって、帽子じゃありませんよ・・・・・・性格・・・・・・。
   彼女、妹をよ~く観察したそうです・・・・・・って、舞台挨拶で
   ばらしていいのか?
もう一人の準主役が、長身の関めぐみ。
凛々しい感じがよく出てました。
彼女の役は本格的な良家出身・・・・・・なんですが、両親が忙しくて疎遠で、上品に育つ機会がなかったという設定。

で、この三人の出会いが良かった。
平と関は、まわりにとけ込んでいるんですが、上野を見るときの表情だけが一瞬違うんですね。
関は割と明らかな表情を見せますが、平はかなり微妙な表情の変化しか見せないんですよ。
それでも、予備知識なしに見ても、この二人はまわりと違うと分かるように演出されています。
こういう微妙なのが良いんですよね。

ストーリー的には色々あって、なかなかバランスの取れた良い脚本だと思います。
最後の落ちは、ちょっと想像つきませんでしたし。

で、ストーリーを彩っている部分の見所。
まずはCGかな。
撮影はハウステンボスで行われたんですが、
   以前一度だけ行ったことがあります。
   正直、欧州(オランダ)の町並みを再現するという考えには
   違和感を持ちました。
   20時間近く移動にかけずに済みますし、日本語は通じますが
   ・・・・・・。
   ただね。
   ちょっとファンタジーものだったり、異世界ものだったりの
   映画の撮影には十二分に使えるなぁ・・・・・・いいなぁ、と思い
   はしました。
撮影は2月で、樹木にも芝生にも緑はなし。
全部CGをかぶせまして、
緑豊かな樹木、
青々とした芝生(緑色なのに、何で青々って言うんでしょうね)、
   元々「青」の染料は、葉っぱから取ったからだったかな?
   今の「青」とは色が違ったはず。
美しい花々
を作ったそうです。
俳優は大変ですけどね。
イメージだけで芝居しなければならいので。

それから、上野樹里のアクションシーン。
見られるとは思っていなかったので。
かなり頑張ってます(三人ともですが)。
過去に経験はないはず。

で、問題のシーン。
アクションのクライマックスなんですが。
いいのかなぁ。
CGスタントマンっていう言葉がありまして。
主に模型の遠景に人を割り付けるためとか、実際の人間では撮影できないシーンなどに、CGで人を作って動かすことです。
これをどこまで使って良いかは判断が難しいらしいんですね。
以前「バットマン」シリーズの一作で使った(作った)ときも、近距離映像についてはカットしたそうです。
CGで演技をさせると俳優組合からクレームが来る恐れがあるからだそうです。
それからすると今回のは・・・・・・。
それとも今は見解が出ているのでしょうか。

といように、まぁ盛りだくさんです。
よかったら見てください。

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2007年2月12日 (月)

「チルソクの夏」・・・・・・再び

え~、前回が実際には映画の中身に触れていなかったので、ちょっと反省。
改めて触れてみます。

映画は二重構造で、最初と最後が2003年がモノクロ、内側が1977年でカラー。
時制が行き来するわけではないので、
   私は行き来する映画好きなんです。
   「スローターハウス5」(マニアックで済みません)
   「イルマーレ」
   「タイタニック」
   なんかかな。
見やすくなっています。
ストーリー展開は素直で、構成もちゃんとしていて、地味ですが良い作品だと思います。
姉妹都市である下関と釜山が、
   下関市は関門海峡に面している港湾都市ですが、海を通れば
   釜山港までは近いのです。
   実は私は山口県出身なので詳しいんです・・・・・・というのは嘘
   です。
   3歳で東京に移ったので、あまり記憶がありません。
隔年で開催地を交代している高校生対象の「関釜陸上競技大会」が縦糸に、下関の四人の女子高生の友情が横糸として描かれています。
サイドストーリー的に下関の高校生通しの恋愛も少し描かれています。
要は遠距離恋愛(文通)が水谷妃里と淳評、間近な恋愛(直接的)が上野樹里と福士誠治(この俳優は注目ですよ)で描いているわけです。
遠距離の方は、再会のためには翌年の競技会への出場資格が必要(当時は高校生が簡単には行き来できなかった。後に時代の変化が描かれる)だが、大学受験の準備もしなくちゃならない。
近距離の方は、直接的があるが故の悩みや、やはり進学による影響が描かれています。何故か遠距離恋愛よりも近距離恋愛に危機感が強かったりする。

下関と釜山、日本とコリアですから、お定まりの偏見が登場します。
釜山側のアン・デホは父親は外交官なので偏見を口にすることはないようですが、母親は自分の伯父が戦争で日本兵に殺されたということで交際(って文通ですけど)に反対し、姑息な手段も使ってきます。
   まあ韓国は当時の日本以上の学歴社会なんですが(今もそう
   らしい)、2年間の兵役があるので、気軽に浪人はできない
   という事情もあり、教育ママ(韓国のは想像を絶する存在ら
   しい)としては勉強以外に興味を持って欲しくないのです。
一方、下関側の遠藤郁子の方は、父親が流し(山本譲二が好演しています)で、飲屋街を流していてるんですが、在日コリアンの経営している店も多く、実のところお世話になっている(カラオケの進出で仕事は激減していきますが)状況です。
でも、朝鮮人嫌いなんですね。
理由がはっきりしないところが日本人らしいのかな。

そういえば、映画では下関の高校生達は、最初大人達が偏見を持っていることを知らなかったように描いています。実際はどうだったんでしょうね。

この映画は1977年当時の流行も描いています。
山口百恵やピンクレディ。
   四人が翌年の下関での競技会のときに、余興でピンクレディ
   をやる(歌うとはいえませんね。振り付ですから)んですが、
   これが痛い。
   制服(夏服)に頭に羽根飾り・・・・・・凄い変、せめて体操服で
   やって欲しい。
   見ている高校生は最初唖然としている(釜山側は当然として
   も、下関側も)。
   あのシーンは演技はいらないような・・・・・・。
   あ、釜山側が当然な理由は、つい最近まで韓国では日本の
   歌は、発売できないし、歌ってもいけなかったんです。
   だからみんなピンクレディを知らないんですね(初めて見た
   ら、衝撃でしょう。あれ)。
ここで、高校生達は親睦を暖めているのに、横槍を入れるのが、
またまた大人なんですね。
まあ、本音と建て前ってやつですか。

最後に2003年に戻ってからが良いんです。
冒頭にも出てきたんですが、「アン」という名前の110メートル・ハードルの選手が、また登場します。
冒頭には分からなかった(当然)けど、演じているのは淳評。
そしてラストがいい。
モノクロがファンタジーっぽい映像として、活きてきます。
   実は私はこういうのが好き。
   ロマンチストなんです。
   今後・・・・・・良い友人・・・・・・かな。
エンドロールは、この映画で重要な役回りをした曲、「なごり雪」です。
   映画見ていて、いるかさんが、ワン・シーン出てて驚いたんです。
   しかもセリフあり。でも、こういうことですね。
   あ、動物の方じゃなくて、歌手の方ね。
最初ハングルで、後半が日本語で流れてきます。

モノクロを見直した映画でした。

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やはり上野はうまい

昨日、クロさんと仕事の打合せをしました。
馴染みの焼き肉屋に行ったら休業中。
同じビルの3階から2階へ移転とのこと。
改装費がかかるわりにメリットがあるんでしょうか。
2階なら歩いていけますけど、エレベータがあるしなあ。
よく分かりません。
それで中華屋さんに。
狭いテーブルのない店(広い座敷は複数ある)なので、カウンターで食事と打合せ。
話しにくいですねぇ、横並びは。

で、仕事の件はいいとして、映画(DVD)を2作勧められました。
そのうちの1作、「チルソクの夏」を見ました。
かつて実在した「関釜(下関・釜山)陸上競技大会」を中心に、下関の女子高生と釜山の男子高校生の淡い恋心とその女子高生と友達3人の友情を描いた作品です。
「チルソク」とはハングルで「七夕」のこと。
   七夕の起源は中国なので、コリアにも日本にも伝わっている
   のです。
この映画はいろいろ驚かされました。
2003年(映画の中の現在)と1977年が舞台なんですが、2003年の方に谷川真理(マラソン・ランナー)が出演していました。
これがなかなかうまい。なんか自然なんですよ。
谷川の高校時代を上野樹里が演じているのですが、きっちり繋がった感じがしました。
   偶然ですが、谷川は高校時代は800メートル走の平凡な記録
   の選手でした。
それから、陸上競技のシーン。
メインの五人がはまっているんですね。
フォームが綺麗。
何でも監督は陸上競技シーンを重視して、運動能力の高い俳優を選んだとか。
結局、当時無名の五人がキャスティングされたわけです。
主演は水谷妃里(ゆり)で走り高跳び。
   清楚な雰囲気と明るい笑顔が印象的で、存在感もあります。
   背面跳びのフォームが美しい。
   たしか陸上競技の経験はないはずですが、トレーニングを積
   んで、映画の設定と同じ165センチを跳んだとか。
   身長169センチだから、これは立派。
   演技力の面で上野樹里に押されたのが、少々残念ですが。
上野樹里が800メートル走。
   さすがにフォームが綺麗。
   小中学校で100メートル走をやっていたので、当然といえば
   当然ですが。
   本作が映画初出演らしいです。
   公開順では、「ジョゼと虎と魚たち」、「チルソルの夏」、
   「スウィングガールズ」の順だったと記憶していますが、
   撮影(または製作)の順番と公開の順番は、しばしば異なり
   ますからね。
   それは兎も角、やはりうまいですね。
   抜きんでている感じです。
桂亜沙美が走り幅跳び。
   スピード感があります。
   この人も経験者で、小中学校で走り高跳びをやっていたそう
   です。
   ほのぼのとした感じが女の子四人のバランスを取っていた感
   じです。
三村恭代が槍投げ。
   この人には驚きました。
   ファームが綺麗(こればっかりだな)。
   槍投げって難しいんですけどね。
   しかも陸上競技経験はないのに。頑張ったんでしょうね。
   彼女が等身大の幼い表情の女子高生を演じているのもいいなぁ、
   と思ってしまいました。
   「リンダ・リンダ・リンダ」(こちらの方が製作は後)では、
   クールな大人っぽい女子高生役でしたから。
で、水谷の恋人役が淳評(現在は鈴木淳評(じゅんぺい))で走り高跳び。
   この人のフォームも綺麗です。
   まあ、背面跳びは動作としては自然なものなので、ちゃんと
   練習すればフォームは決まるのですが、短時間で持って行っ
   たのは立派でしょう。

何か映画の話しじゃなくなってますね。
陸上競技経験者なので、ついそっちに目が・・・・・・。

えっと映画は切なさ、悲しさ、少しのおかしさ、そして多くの不条理さがあって、考えさせられるシーンもそこここにあり、なかなか見せます。
   少々生々しいというか、リアルな高校生を描いています。
   水谷の珍しい形の恋愛と上野のありがちな恋愛を対比して描い
   ているところも印象的です。
   また、日本の高校生とコリアの高校生の意識の差(コリアの
   人は色々背負ってますかね)も、それ自体はありがちですが、
   二人の未来を暗示させている、うまいシーンでした。
1977年の風俗もきっちり描かれていて、時代の変化がうまく表現されています。
脚本がよく練られているんだと思います。
そして最後が良い。
表現方法としてはよく取られますが、2003年現在をモノクロで、1977年をカラーで描いており、その対比が良い効果を出しています。
何よりモノクロ映像が美しい。高樹澪の凛とした演技も良い。

それから、この映画は「下関フィルムコミッション」が関わった最初の作品だそうです。フィルムコミッションというのは、地域が積極的に映画製作に協力するための組織で、現在はあちこちにあります。

さて、地味な作品ですが、一見の価値有りです。

それにしても、やはり上野樹里は映画が似合う。

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2007年1月20日 (土)

リンダ リンダ リンダ

頭痛対策に指圧に行ってきました。
少し楽になりましたが、いつもの60分ではなく90分にしておくべきでした。
目の奥も痛い。
眼精疲労でしょうか。

さて、「スウィングガールズ」(2004年公開)の影響かどうかは知りませんが、同様にガールズバンドものの「リンダ リンダ リンダ」を借りて見ました。
「パッチギ!」のことを調べていたとき、本作が2005年のキネマ旬報ベストテンの6位だった(1位は「パッチギ!」)ということで思い出しました。
公開時に気が向いたら見ようと思っていた映画だったのです。

ポスターを見ると、センターが香椎由宇と関根史織(本職のベーシスト、初芝居)、左に前田亜季、右にペ・ドゥナの配置なので、香椎由宇主演だと思ってました。
最近の映画は最初に出演者等のクレジットがないので、予備知識がないと誰が主演か分からないのです(良いことかもしれません)。
で、出だしからバンドを引っ張っているのが(我儘っぽくて、意思決定だけともいえますが)香椎由宇なので、すんなり主演香椎由宇で見てました。
ところが、ペ・ドゥナ登場で様変わり、圧倒的存在感、コメディエンヌとして。
韓国からの留学生で、天然ボケ、日本語が流ちょうではないのでアホっぽく見える(私も英語が苦手なので、英語圏の人からそう見られたんだろうなぁ)のですが、コリア語になると少し性格が変わって、しゃんとしているように見える役。
   一部で有名なリアルのだめ(「のだめカンタービレ」の主役
   のだめのモデル)は、普段標準語の敬語(方言隠しといわれ
   る)で丁寧且つシャイらしいのですが、大川弁(ネイティブ)
   になると少し性格が変わるらしい。
主演はペ・ドゥナなんですね。途中で気付きました。
面白い役で、相手の言っていることが分からないと、スマイル&「ハイ」・・・・・・って、日本人か! とつっこみをいれたくなります。
   それとも東アジア人に多い特徴なのでしょうか?
ペ・ドゥナは顔全体での演技はしていないのですが、いかにも大陸系の顔なのに目が大きく、よく動いて心理描写が巧です。
   インタビュー映像や他の作品の写真を見ると、全然大陸系の
   顔には見えないので、多分髪型やメイクのせいなんでしょう。
メインの他の三人は撮影当時18、19歳ですが、ペ・ドゥナは24歳で普段は韓国で年相応の役をやっているようです。でも、高校生に見えます。メイクかカメラか・・・・・・演技力でしょうね。
山下敦弘監督が惚れ込んで、出演交渉したそうです。

相変わらず前置きが長いですが(一応印象に残った出演者は紹介したいので)、本題に入ります。
物語は軽音楽部所属のロックバンドが学園祭のコンサートに参加する話しです。
オリジナル曲を演奏する予定が、ギター担当が指を骨折したため中止。
その近辺のゴタゴタ(らしい)で、キーボード(香椎由宇)とリードボーカル(三村恭代)が喧嘩して、リードボーカル脱退。
それでコピーに変更して「ブルーハーツ」をやることになり、キーボードがギターを担当し、勢いで韓国からの留学生(ペ・ドゥナ)をボーカルに引っ張り込んで三日間の猛特訓の末、演奏。
「スウィングガールズ」とは異なり、コンサートでの演目の練習風景が多く挿入されています。
ギターは苦手なので、最初はヘタで、段々上手になっていきます。
ボーカルはそもそも日本語がやや怪しいのですが、段々発音が良くなっていきます。
とはいえまだまだ怪しい。
ここら辺で心配になってきました。手の内をさらしているので、(多分ラストシーンになる)演奏をどう盛り上げるつもりだろうと。
結果ストレートでした。大きな演出もなく、ただやたら日本語の発音の良いペ・ドゥナの熱唱(大変だったでしょうね。彼女日本語は平仮名が読める程度で、会話は出来ないそうなので)。演奏は本人達のものだそうですが、彼女が一番大変だったのでしょうね。
「スウィングガールズ」では、何にも興味が持てず、若さを持て余していた(または持て余すこともできない)高校生が、ジャズに目覚めてコンサートに出る話しで、彼女達は何かを掴んだんだろうな・・・・・・と思わせます。
一方、本作はボーカルはまったくの素人という設定ですが、他の三人はずっと音楽をやってきた設定で、「学園祭で演奏することに意味などない」と言い放ちます。
勿論四人で苦労して、友情や思い出を育むわけですが・・・・・・言ってみれば、それだけ。
でも、等身大の高校生って、そういうものでしょうね。
リアルといえばリアル。
何も残らないといえば、何も残らない。
でも、爽やかな気持ちにさせてくれます。
特に出だしの演出は好きです。
こういう映画もいいです。

それから指を骨折したギターの子の役は、湯川潮音というシンガーソングライターが演じています。
コンサートに遅れている出演者を待つ間の繋ぎとして歌う設定ですが、圧倒的な声量と美しい歌声、クラッシックの人かと思いましたが、ポピュラー系(ロックらしい)のようです。
インディーズでデビューしていたそうですが、本作公開後メジャーデビューしたそうです。

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