2009年5月19日 (火)

「田崎真珠!」→「ソラトブマチ」

みさいる。
悪くない!
古いフランス映画調。
ファンタジーっぽいけど、ファンタジーじゃない。
「スウィングガールズ」で惚れ込んだ"みさいる"の表情演技はないけれど。
マニュの描く絵を通して、みさいるの美貌をうまく活かしていますし、私の好きなセリフのない演技部分はなかなかです。
それに、こういう小品はいいですね。
最近ないのが残念ですが、映画館で高い配収を取ったり、TVで高視聴率を取ったりするのは難しいのでしょう。
でもネットなら可能かも。
ちょっと可能性を感じました。

http://www.tvon.jp/content.php?id=62

そして、もっと長嶋美紗を見たくなりました。

ところで、みさいる、あなたのblogには、「感想を聞かせてほしい」とありましたが、コメント欄がないので、コメント出来ないのですが。

あなたの性格は、この作品の"ソラ"に近いのでしょうか?

ま、それはないか。

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2009年5月18日 (月)

「天使と悪魔」苦戦中

ロン・ハワード、トム・ハンクスのマネーメイキング・コンビの新作「天使と悪魔」が主要国で先週末に一斉に公開されたようです。
週末3日間の配収は各国で1位を取ったようで、USも1位ですが、4800万ドルで、2位の「スタートレック」(2週目)の4300万ドルを突き放せなかったようです。
ここのところの1位は、先々週が「ウルヴァリン/X-MEN ZERO」の8700万ドル、先週が「スタートレック」の7250万ドルですから、苦戦といっていいでしょう。
「ウルヴァリン/X-MEN ZERO」はやや失速気味で、「スタートレック」は善戦中といったところ。
両者は2億ドル台には届くのでしょうが、「天使と悪魔」は厳しそうです。
まあ、あくまで公開前の期待に対してですが。
取りあえず、私は5月29日、日本封切りの「スタートレック」には行きます。
「バットマン」、「ジェイムズ・ボンド」に続くシリーズのリセット作品で、今回はJ・J・エイブラムズの製作・監督で、予告編を見たところ派手なスペクタクルシーンあり、人間ドラマありで期待できそうです。
しかし、J・J・エイブラムズは相変わらず宣伝上手。
予告編を彼が監督はしていないでしょうが、盛り上げてくれます。
今から楽しみです。

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2007年10月13日 (土)

車にも色々ありますね

一昨日に、二週続けての京都日帰りで、今回の帰りは京都・名古屋間は立ってました。
そのせいか疲労が酷かったです。

それは兎も角、今日は「リターナー」を見てまして、メイキングに山崎監督と鈴木杏のコメンタリがあるのを初めて気付きました。
それで見てみました。
なかなか面白かったのですが、特に車の話が良かった。
この映画では、計三台の車を破壊しています。
クレーンで吊って落としたのです。
最初は国産車二台をクレーンで吊ってから、火を付けて落としてます。
車はぺしゃんこです。
ついで、BMWを地上で燃やして、火を消してから、クレーンで吊って、燃えている地上に落としてます。
これが原形のまま。
山崎監督曰く
「BMWって固いんだよね」

私の知り合いが言ってました「命を預けるにはドイツ車だよ」。
確かに頑丈そうですね。

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2007年8月22日 (水)

40カラットのダイアモンド

久々に映画のお話しです。
といっても、私は見たことがない作品ですが。
「帰ってきた時効警察」の中で、オダギリ・ジョーが「年を取ればそれだけ経験が増えて、楽しいことがたくさんある」という趣旨の台詞を言っていたのですが、その時ふっと頭に浮かびました。

「40という年齢にこだわっているが、ダイヤモンドを見てごらんよ。1年が1カラットの輝きをもたらすとすれば、そう、君は40カラットのダイヤモンドなんだよ」

「エーゲ海の旅情(原題"40 CARATS")」の中の台詞です。
20歳近く年下の男性にプロポーズされた女性が悩んでいるときに、別れた元夫が言う言葉です(ジーン・ケリーが演じていた・・・・・・そうです)。

この台詞は、映画紹介で読んだだけなのですが、妙に心に残っているのです。

チャールズ皇太子が、カミーラ・パーカー・ボウルズさんと長年愛人関係にありましたが、カミーラさんはダイアナ元妃と比べれば、ずっと年上ですし、ちょっときつめの顔の方です。
でも、教養に溢れた素敵な女性だそうで、会う人を魅了するとか。
お二人の結婚が報じられたときも、あの台詞が浮かびました。
まあ、お二人は年齢が近いので、映画とはシチュエーションは違いますが。

「経験とは年数ではなく、一つの事象から多くのことを学ぶことの積み重ねだ」

というのが、持論の私にしては、本来そぐわない言葉なんですが、

一つ一つの経験が1カラットの輝きをもたらす

と置き換えればぴったりでしょうか。
そして、若くして多くを学び輝いている人も、いずれ年齢を重ねるわけで、それでも輝きを失わず、かえって輝きを増すとしたら、素敵なことだと思います。

で、まあ、時々思い出す台詞なわけです。
経験という意味では、「猟奇的な彼女」を見たときに思ったのですが、彼女は若くして辛い経験をしています。
それが彼女を奇行に走らせているのですが、ふと思ったのです。
彼女がそれを輝きに変えられたら素晴らしいと。

それは兎も角、外国映画を見ると、これを日本映画にしたらキャスティングはどうなるだろう、などと想像することがあります。
「猟奇的な彼女」の場合、どうでしょう。
主人公キョヌは、平岡祐太が一押しですね。
ああいう役は似合います。
では彼女は。
これが難しい。
普通に見ると美しく優しそうなのに、一瞬で様相が変わる、こういう役のできる女優をなかなか思いつかないんです。
まあ、上野樹里なら、そこそこいけるでしょうが、彼女は美人系じゃないので。
仲間由紀恵が妥当ですが、年齢の問題から設定を変える必要がありますし、彼女の年齢であの性格はまずいでしょう。
面白いのは、やはり栗山千明でしょう。
美人で、優しい表情もいけるし、一瞬で雰囲気が変わりますし。
考えてみれば、「バトルロワイヤル」の時の千草貴子役の感じで良いのでしょう。
ただ、彼女が「ぶっ殺すよ」というと、本当に殺しそうなイメージがあるのが問題ですが。

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2007年8月 8日 (水)

アフィリエイト

先日来、ここの右肩に「アマゾン・アソシエイト」のリンクを貼っています。
アフィリエイトというものです。
これを始めた理由は二つあります。
まずは、DVDや書籍のお話しをしているのに、お話しだけでは寂しいなぁ、と思ったのです。
せめて表紙ぐらいは見ていただきたいと。
それと、こちらの方が大きな理由ですが、ここ殺風景ですから。
簡単に彩りを添えて、変化も付けるとなると、一番てっとり早い方法だったんです。
それで、まずは書籍から始めたわけです。
で、今日からDVDなどもと思ったわけです。
何で最初がアウトドア用品なのかは、すぐお話ししますが。
ただ、思惑はずれだったのは、書籍はISBNコードを入力すれば、アマゾンに表紙の表示があると出てくるのですが、書籍以外は出ないんですね。

残念です。

まあ、それは兎も角、「DVD等」の最初のリンクがアウトドア用品である理由ですが。
これは、ヘッドランプまたはヘッドライトと呼ばれるものです。
頭に付ける懐中電灯ですね。
以前お話ししましたが、私は阪神大震災の被災者の端くれなんです。
それ以来、緊急時の避難用品をデイバッグに詰めて、ベッドサイドに置いています。
当然懐中電灯も手許に置いています。
で、被災時を考えると両手は空けておきたいわけです。
それで、口にくわえようと。
昔の映画の影響ですね。
で、小さめのサイズのものを買ってきて、口にくわえてみました(まさか店頭ではくわえられませんから)。
でもねぇ、いくら軽くても、長くくわえているのは辛い。
困った。

月日は流れ、一本の映画に出会いました。
映画の終盤に、主人公が戸外で友人を待つ間、本を読んでいるシーンがありました。
その時、頭にはヘッドランプが。

これだ。

と思って購入を決意しました。
決意したのは良いのですが、機会を逸していて、結局、転居を機に購入しました。

憧れている期間が長いのは、私の特徴でしょうか。
買うのは簡単なのに。
って、すぐ忘れるだけですが。

ちなみに、その映画は「子猫をお願い」で、ヘッドランプを付けていたのは、ペ・ドゥナです。
私が購入した物は、映画の物とは違いますが。
メーカーが分からないし。

なかなか良いんですが、髪で滑りやすいですね。

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2007年7月16日 (月)

色々考えさせられます

サッカー、アジアカップ予選、日本対ベトナムが始まりましたね。
TVがないので、私は見ることができませんが、前半は2対1ですか。
日本は、引き分け以上で1位通過で、それだと移動がないそうです。
ぜひとも1位通過をして欲しいものです。

ま、それは兎も角、昨日は女優「まつだまどか」さんの誕生日で、二十歳になられたそうです。
おめでとうございます。
「スウィングガールズ」の最年少組で、本仮屋ユイカさん、辰巳奈都子さんともども今年で成人です。
これでメインキャストに十代はいなくなったわけです。
「スウィングガールズ」のように、有望な若手俳優が多数出演する作品が時々あります。
「リンダ リンダ リンダ」も、10代中心でしたが、メインの最年少である香椎由宇さんは既に今年二十歳を迎えられています。
「六番目の小夜子」の主演、鈴木杏さんも今年二十歳になりました。
彼女は撮影当時小学校六年生ですから、一人若かった(幼かった)のです。
これで主要キャストで十代は。玲(鈴木杏)の弟役の伊藤隆大さん(19)だけになりました。
ここら辺の年代は有望な女優が多いのですが、いずれも二十歳を過ぎて、役の幅が広がるでしょうから、楽しみになってきてました。

で、「六番目の小夜子」といえば、昨日堪能しましたが、最近見かけない有望株がいます。
女性的な話し方が特徴的な溝口役(原作では柔道部なのに、TV版は手芸部)の鳥居紀彦さんです。
名子役として有名で、つい二、三年前まで着実に作品に出演していました。
が。
現在は引退して証券会社に勤務されているそうです。
高校時代から株に興味を持っていて、その話ばかりしていたそうで、大学卒業を気に転身されたようです(「ロングラブレター 漂流教室」への出演時は高校生ですから、空き時間は株の話をしていたのでしょうか)。
「六番目の小夜子」の主要キャストは、亡くなった古尾谷雅人さん以外は、若手も含めて現在も活躍されていますので、一人異色な道を歩んでいることになります。
才能を考えると、ちょっと勿体ない気もしますが、まあ人それぞれの選択ですから。
一応、私の仲間ということになるのは、ちょっとだけ嬉しいかも。

話は変わりますが、今日の日経新聞の一面の記事で、日本でも老後のために自己防衛としての投資や保険の見直しをする人が急増しているとか。
こういう話は以前からありましたが、昨今の色々な意味での年金不信が反映されているのでしょう。
USでは三十歳くらいで老後の生活設計を考えるそうですが、日本では殆どの人が考えていないとか。
このご時世では、これからは若い時期から真剣に老後を考える人も増えるのでしょうね。
人生設計は自己責任が普通になっていくのでしょう。
社会に出て生活していると、義務教育かせめて高校教育で、銀行の仕組み、株の仕組み、保険の仕組みくらいは教えるべきだと思えてきます。
現在の代表的な蓄財手段である銀行預金や投資信託は、結局投資と結びついています。
実際には生活に密着している仕組みで、避けて通れないわけですから、基礎的な知識は教えるべきだと思います。
そうそう、そもそも年金の知識も教えていないのではないでしょうか。
もはや国(年金)や会社(退職金)だけに頼っては、老後は過ごせないと感じている人が増えているようですし、試算上もそれを物語っているようです。

俳優稼業は経済的には不安定でしょうから、鳥居紀彦さんは証券会社で株取引の腕を磨いてから、俳優に復帰されたら如何でしょう。
そうしたら楽しみなんですが。

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2007年4月20日 (金)

このカテゴリーでいいのかな?

「FRIENDS」プロジェクト という企画があります。
サイトから一部引用します。

深層的な人気・実力がありながらも、きっかけがなくブレイクしていない女優、女性タレントに主演のチャンスをつかんでもらおうという企画です。実際に友達同士の主演女優二人をメインキャストにすえ、気鋭の監督の指導のもと、様々なストーリーや役に挑戦してきます。
記念すべき第1作として「スウィングガールズ」出演で本格的デビューを果たし、その後もめきめきと実力をつけてきている長嶋美紗さんと関根香菜さんを抜擢しました。
この作品は今後シリーズ化していくことも検討しています。

複数の監督・脚本家による7つの相互関係のないドラマで構成されているようです。
主演は、すべて長嶋美紗と関根香菜、演技修行的な意味合いがあるのでしょう。
これはsell DVDのみで、4月26日発売です。

と、ここまでは、意欲的な新人売り出しプロジェクトという話です。
興味深いのは、このDVDのプロモーションに、主演の両名が参加しないことです。
正確には、参加予定が取りやめになったということです。
お二人は同じ事務所に所属していましたが、3月末付けで契約を解除したそうで、それが参加しない理由だそうです。
別に所属事務所の変更は、珍しいことではないので、当事者以外にはどうでもいい話です。
ただ、主演がプロモーションに参加しないというのは、あまり聞いたことがありません。
通常、映画では、少なくともメインキャストとの契約書に、プロモーションへの参加が明記されていると聞きます。
   ん、欧米の場合はそうですが、日本はどうなんだろう?
   欧米の場合は、俳優がエージェントと契約していても、契約
   の当事者は、あくまで俳優だそうです。
   日本の場合は、俳優に代わって、所属事務所が当事者になる
   のでしょうか?
お二人の元所属事務所とプロジェクトの関係が、分からないので何とも言えませんが、両者の間に契約関係はあるのでしょう。
その契約内容が俳優をプロジェクトに拘束しないものだったということでしょうか。
それとも、契約関係が曖昧だったか。
勿論、俳優の責任ではなく、プロジェクトと元所属事務所の責任でしょう。

まぁ、たんにこういうこともあるんだなぁ、と私が思ったというだけの話です。
私は、長嶋美紗、関根香菜のお二人の演技が好きなので、今後も頑張っていただき、いつか、また拝見させていただきたいと思っています。

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2007年3月30日 (金)

再び「室温」

チクタクさん、再度のコメント、ありがとうございます。
でも、ちょっとオタク入ってますかね。
いや、失礼。

TV番組の1コーナーだと、番組が終って時間が経てば、忘れ去られます。
というか、TV番組自体が従来持っていた宿命ですね。
悲しい話でした、特に俳優含めての制作側にとっては。
今回の作品も、私はリアルタイムで見ていたのではないので、それを取り巻いていたTV番組自体には興味がありません。
それでも、今では、ドラマは鑑賞に堪えるものであれば残ります。
かつては再利用できなかったものが、再利用再鑑賞できるのは良いことですね。
特に近い将来オンデマンドになれば、なおさらでしょう。
こういう良質な作品が、番組を離れて生き残れるようになると良いんですが。

「室温~夜の音楽~」は、TVドラマの脚本としては、良い出来だと思います。
純粋に映像作品として見た場合には、オーバーアクト気味なのと、無理矢理一場ものにしている点で、不自然さを感じます。
知識レベルではなく、見た目そのものが舞台劇の映像化という作品です。
無論、それを狙っているわけで、文句はありませんが。
でも、ちょっと興味はありますね。
純粋に映像劇として制作したらどうなるか。
やはり、ATGばりに、ハードボイルドな表現方法にして欲しいなぁ。
なんて思います。

それは兎も角。
私は、TV番組自体に興味がないんですが、制作側に興味のある人がいる、興味のある原作もの、評価が高い場合のドラマは見ることがあります。
   でも、我慢強いんです。
   以前、ドラマで、古田新太が話題になったとき、彼の5分間の演技
   を見るために、残りの時間のは耐えました。
   それも4話に渡って。
まあ、情報番組や教養番組は興味があれば見ますが。
で、世の中、TV番組を話題にする人が多いんですね。
よく振られるんですが、
「ご免、私、TV見ないんです」
と言って、もっぱら聞き役に回ります。
この間、友達が、
「相変わらずTVは見ないの? 」
と聞くので、
「見ないよ」
と答えたら、
「あ、そう」
と言って、話題を変えてました。
そういえば、あの時、何週間かTVを見てませんでした。
でも、興味が湧いたら見ることはあるんですよ。
TVの設備はあるんですから、レンタルビデオを見るために買いましたから。
もっとも、今ではDVDもプロジェクターかPCで見てますが。

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チクタクさん、補足ありがとうございます

私、「ナイロン100℃が上演」って言ってますね。
これは間違いです。
「青山円形劇場プロデュース公演」です。
メインキャストの内、3人(一人はメインじゃないか)と「たま」が舞台にも出演しています。
ちなみに舞台版の主演は、佐藤アツヒロと中嶋朋子で、中嶋朋子の評価は高かったようです。
パンフレットには、我が師匠(会ったことないけど)「平田オリザ」氏の寄稿が掲載されていたそうです。
で、前回肝心なことを言い忘れました。
この作品は、「演技者。 1stシリーズ Vol.2」というDVDに入っています。
Amasonでは購入できますが、TSUTAYA DISCASのラインナップにはありませんから、チクタクさんご指摘の通り、レンタルは出来ない可能性が高いですね。

ハードボイルドな、
   文芸用語としてです。
   (内容に批判を加えず)客観的で簡潔な描写で記述する手法・文体
   のこと。
   日常的には、「堅ゆで卵」のことですが、ここから転じて文芸用語
   になったらしいんです。
   でも、「堅ゆで卵」が何で?
   意味分からない。
サイコとしか言いようのない作品です。

それにしても、昨日の指圧、効いたので、少し楽になりましたが、まだ足りない(60分じゃなく、90分か120分にすべきだったかな)。
やはり、もっと短サイクルでケアすべきですね。
首が痛い。
PCに向かっている時間が長いですから、職業病ですか。

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2007年3月29日 (木)

室温~夜の音楽~

加護亜依が所属事務所を解雇されました(ファンサイト、早くも次々廃さされているようですね)。
○ャニーズもそうですが、若手歌手の不祥事が散見されます。
まあ、不祥事というか、注意不足というか。
ストレスの多い仕事ですから、昔からアイドルのその手の話しはありましたが、皆密室での話しという形の噂話でした。
少なくとも人目に付く可能性があるところは避けないと。
自分だけでなく、周囲に多大な迷惑を掛けるのですから。
それに、こういった不祥事で、周りにサポートする立場の大人がいて、誰も気にとめないというのも、理解に苦しみます。

以前、音楽家の方の話しで、著名な音楽家になる方法というので、先生の選択は、かなり酷い人(通常なら教師失格級)が良いとおっしゃってました。
これは、著名なクラッシックの音楽家を何人か調べたところ、その人達の先生が皆そうだったという話しで、半分冗談でしたが、ある種の事実も示してします。
つまり、すべては本人次第。
先生が不親切、不躾、感情的だからと潰れるような人ならやっていけない。
そういう才能と強さが必要だと。
更に言うなら、才能がある人は、ある程度の人数はいるでしょう。
でも、それで食べていける人数には限りがある。
大事に育てなければ育たない人達を切り捨てても、自ら強く育っていく人達だけで、その席は埋まる。
そういうことなんでしょう。

彼らを放置した身近にいた大人達、そういうことですか?

さて、そんな○ャニーズも独り立ちするような人達は立派なものです。
うまいとか何とかより、そのプロ根性に拍手をおくりたい。
彼らの仕事の仕方(掛け持ちなど)には賛成できませんが、それは事務所のお話し。
その中で、少なくても寝ないでも役作りをして、台詞を入れてくる努力。
必死に演じる姿。

かって、CX(フジTV)の深夜枠に、人気演劇を○ャニーズ事務所所属タレントなどが演じる「少年タイヤ」という番組(ある番組の1コーナー)があったそうです。
演劇好きのチクタクさんご推奨のものを、DVDで見ました。

2002年2月末~3月中旬までの毎週、6回計114分。
ケラ(ケラリーノ・サンドロヴィッチ(日本人です))作の舞台劇「室温~夜の音楽~」です。
もとは、ケラの劇団「ナイロン100℃」が上演したもので、舞台で演じた内田紳一郎、村岡希美、二瓶鮫一らが脇を固め。
V6というか、トニセンの長野博、坂本昌行、井ノ原快彦が出演、共演に「ともさかりえ」を迎えてのTVドラマ化です。
TVドラマといっても、与えられた時間は本番収録含めても、僅か6日間。
収録は2日間(ほぼ睡眠時間なし)というハードなものです(まあ、ほぼ虐めですね)。
舞台劇そのままに、一場もので、舞台と違うのは常時6台のカメラを使い、随所にカット割りが入るところです。

凄い物語です。
何の救いもない。
ちょっと変わってるけど、日常的な風景から、徐々に徐々に非日常になり、異常になっていく。
そこで描かれる色々なタイプの人間達。
設定、ストーリーテーリング、構成、展開とも見事、ケラって凄い劇作家だったんですね。
俳優陣では、「ともさかりえ」が凄すぎ。
   彼女、名前が全部平仮名なんで、分かりやすくするために括弧
   付けしますね。
最初の方のきれた演技、ラストのまるで体を乗っ取られたかのような演技。
俳優って、凄いと思わせてくれる瞬間なんです、これが。
後日、お話ししますが、感情は充分に高めながらも(あふれ出る涙をぬぐいもせずに)、自分の中にない言葉を違和感なく話せるのが、俳優なんですね。
こういうのは一般人には出来ませんから。
「ともさかりえ」って、ここまで良い役者だったんだ。
それから、トニセンの三人、結構やる。
うまいなぁ~と思うところ、頑張ってるなぁと思うところ、たくさんあって楽しませて貰いました。

舞台劇の映像化の宿命は、映像劇に比べて台詞が多いことです。
だから舞台劇を映像化すると、絵がビジーになります。
この作品もそうです。
でも、それで、魅力が落ちるわけではありません。
見た印象がそうなるだけです。
もう少し詳しく話しましょうか。
この作品は極度の長回し(1カット十数分のもあったらしい)ですが、やはりカット割りになります。
つまり一場ものといっても場面の切り替えが起きます。
そして、観客の視点の違い。
舞台では客席からの定点からの視点になりますから、観客は第三者、目撃者です。
映像劇の場合はカメラを通した視点を観客の視点とします。
従って、第三者の視点のときもあれば、登場人物の視点のときもあります。
視点の切り替えが起こせるわけですし、感情移入が容易になります。
更にカメラを通じて撮影すること自体がメッセージ。
人物を全身で捉える場合と、バストアップで捉える場合では、意味が違います。
更に登場人物が何かを見た。
見たものが映される。
こうして、無機物をただ映すだけでも、それがメッセージになります。
台詞が少なくてもメッセージは伝わります。
むしろ多すぎる台詞は絵をビジーに感じさせます。
   テーマによりますよ。
   無口な法廷劇は逆効果。
それが映像の特徴。
私が映像に拘る理由はそこにあります。
表現方法の多様さですね。

最後に「たま」の劇中歌、これが効果的です。
物語の伏線としても使われていて、計算され尽くしています。

いいものを見ました。

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2007年3月24日 (土)

映画音楽、それから脱線

ちょっと音楽の話しをしましょうか。
実は私、普段は聞かないんです。
矢口史靖監督と同じですね。
いえ、映画好きで、映画に関係する場合に聞く点が。

劇伴の場合、場面を盛り上げたり、感情表現をするために使われます。
それ以外にもいわいる音楽映画の場合は、音楽自体がメッセージになります。
例えば、「スウィングガールズ」の場合は、音楽の楽しさや、演奏者の変身ぶりがテーマですから、音楽の使い方としては本来ベタなはずですが、こういうことを普通はあまりしないので新鮮でした。
というのは、こういう場合、青春映画として、登場人物の成長が重視されるのが一般的で、それは描かれているけど、軽くというか、まあ音楽にむしろ重点が置かれているのが特徴ですね。
でも、ミッキー吉野の控えめな劇伴は、ラストの盛り上がりに向けて効果的だったなぁ。
心理描写というより、山形の風景に合ってました。

「リンダ リンダ リンダ(済みません、以降「リンダ~」で)」は、ジェイムズ・イハの劇伴、感動的でした。
こちらは心理描写ですね。
   「六番目の小夜子」でも、cobaが劇伴で巧みな心理描写を
   してました。
この映画の場合は、歌詞があるので、登場人物と被る点もいいですね。

でも、「スウィングガールズ」も「リンダ~」も、演奏といえども演技。
見てると演じてますね。
演奏しながら演じるのって難しいんでしょうね。
そういえば、「スウィングガールズ」の楽器指導の方、三人の対談を読んだんです。
例の音楽室のヘタな演奏、音楽祭前の唯一の全員でのワンコーラスの演奏シーン。
あれは、下手に聞こえるように曲(「A列車で行こう」)をアレンジしたんだそうです。
ま、それは当然ですが、演奏者の演奏自体を下手にしなきゃいけない。
実際は演奏出来るわけですから(まあ、貫地谷しほりは素のままだそうですが)。
で、このときだけ、初心者状態に戻ったそうです。
演奏の上手な人は、音程を外すとか、テンポを外すことはできても、演奏の仕方自体を下手にすることは出来ないんだそうです。
   そういえば、以前、谷啓氏が、「トロンボーンを始めたときは、
   スライドをどの位置に持って行っても、音程が変わらなかった」
   と言って、実演しようとしたんですが、どうしても音程が変わ
   ってしまうんです
楽器指導の方が「役者って、音でも演技するんだ、と思って驚いた」そうです。
「リンダ~」の場合、関根史織はプロですが、前田亜季と香椎由宇は初心者同然。
ただ、元々演奏できる設定ですから、ヘタに聞こえるようにアレンジすれば良かったんでしょうね。
ただ、ペ・ドゥナは、実際はちゃんと歌えるのに、下手に歌わなきゃいけない。
   まさか、下手な状態でクランクインはしないでしょう。
   撮影期間は僅か一ヶ月ですから、下手なまま終るかもしれない。
   それじゃチキンランだ。
歌うこと自体が演技なんですね。
しかも、そもそも彼女にとっては外国語。
最初、うまく発音できないし、歌の早さについて行けない。
発音が出来てくる、早さについて行く。
そして、感情が乗ってくる。
役者って、凄いというか怖いというか。

でも、ブルーハーツっていいですね。
歌詞が。

どぶねずみ、みたいに、美しくなりたい
写真には、写らない、美しさが、あるから

格好悪くても、必死で生きている人って、感じですね。

僕の右手を知りませんか? 行方不明になりました
・・・・・・見たことも、ないような、ギターの弾き方で

既に故人ですが、実在した義手のギタリストをモチーフにした歌ですね。
ここでいっている右手は、聞き手によって違うんでしょう。
夢かもしれないし、希望かもしれないし、自信かもしれない。
または何かに煮詰まったとか。
それを必死で取り戻そうとあがく姿。
それを義手のギタリストの演奏している姿に重ねたんでしょうね。

終らない歌を歌おう、クソッタレの世界のため
終らない歌を歌おう、すべてのクズどものために

絶望的といえば、絶望的な世界で、それに流されている人々も含めて人間が愛おしい。
人に誤解されたり、苦しかったり、それでも前向きに生きる。
いつか分かり合うために。
そんな感じかな。

何か、深いなぁ。

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2007年3月18日 (日)

全面ネタバレ第2弾

さて、時間がなくて、映画関係の話題をさぼってました。
   ちなみに、「さぼる」の語源は「サボタージュ」。
   「サボタージュ」の語源は「サボ」。
   「サボ」とは主に昔の労働者が履いていた木靴。
   産業革命時に労働者が待遇改善を要求して、機械に木靴を投げ
   込んで壊したんだそうです。
で、全面ネタバレ第2弾。
「リンダ リンダ リンダ」です。
良くできた映画です。

冒頭。
素人女優の独白。
デジカメでの文化祭記録です。
これは中盤にも出てきて、パーティションの役割を果たします。
もっともらしいことを言ってますが、よ~く聞くと何言ってるか意味が分からない。
難しい言葉を使いたがるお年頃感。
でも、途中出てくる文化祭紹介も、このデジカメ・タッチ。
文化祭の雰囲気を表すのに、よくも凝ったセットと大量のエキストラを使ったもんです。贅沢なシーンですが、ストーリーには貢献していないかなぁ。

で、長回しの登場人物紹介シーン。
幾つもの教室。
大勢のエキストラ。
いいシーンです。
メインキャストは、映画初出演はセリフあり、ここは良い。
知られた俳優は顔見せ。
これは・・・・・・やりすぎかな・・・・・・気持ちは分かりますが、わかりにくすぎ。

ペ・ドゥナ登場。
先生役の藤井かほりとの絡み。
長身のドゥナに対抗するように、長身の藤井かほり。
先生の方が小さいと、ドゥナの孤独感が出にくい。
ナイス・キャスティング。
勿論、良い女優ですよ。

そして、前田亜季と「電気ブラン」の絡み。
前田亜季が良い。
普通っぽい。
女子高生っぽい。
ここら辺一手に引き受けてこなしてます。

その後の香椎由宇メインのシーン群。
バンドの中心メンバーだけど、リーダーシップがあるんだか、ただの我儘娘なのか、っていうところが良く出てます。

そして、問題のシーン、
「この前の道。最初に通った人がボーカル」
って、そういう映画だったんですか。
と思わせて、三村恭代登場。
前田亜季にボーカル復帰を頼まれて、ちょっと嬉しそう。
でも、香椎、
「ブルーハーツ嫌ならいい」
と拒絶。
二人の睨み合いが良い。
香椎の強い目に負けない三村の目。
おいおい頑張ってるなぁ。
「チルソクの夏」からは想像できない。
   香椎の目に勝てるのは栗山千明くらいでしょうに。
   もっとも香椎と栗山が睨み合ったら、ホラーかバイオレンス映画
   になるけど。
そこに、引きでドゥナ登場、
「ソンさん、バンドやらない? 」
「ハイ」
「ボーカルでいいよね? 」
「ハイ」
って、おいおい。
・・・・・・
「ダメ! 絶対無理」
映画のトーン決定。
忘れられないシーンです。

と、このままいったら、全部紹介することになってしまう。
要は、この映画、作りもいいけど、いいシーンが多いんです。
私、普通は映画全体のつくりに目が行って、特別好きなシーンっていうのは少ないんです。
でも、この映画は印象的なシーンが多いんです。
それを幾つか紹介しましょう。

前田亜季が自宅でドラムの練習。
洗い髪にジャージ、大きなメガネ。
ジャージ姿だと○○体型・・・・・・はどうでも良いとして。
同級生から電話。
ぶっきらぼうな返事の仕方。
そりゃ家だもん。
で、どうも意識している子。
固定電話を取ると、コード一杯に引っ張って身を隠す。
こりゃ、声も口調も変わるな。
メガネも取るか・・・・・・取らなかった。
良し。
昔の日本映画ならやりそうなんです。
でも、やったらやりすぎ。
このシーン、ごく普通の光景です。
どこの家でもありそうな。
でもね。
第三者的に見ると、妙に可笑しい。
この映画の笑いのトーンが良く出ている。

次にペ・ドゥナ。
カラオケ屋さんのシーン。
「飲み物をオーダしないと歌えない」
「それ、おかしいよ」
「そう、まぁ、そうなんですけど・・・・・・」
店員も考えてみれば、おかしいことに気付く。
固定概念は第三者から見れば奇妙なんです。
そして、ドゥナの歌。
曲に乗れない。
日本語が遅れる。
感情が乗っていない。。
日本人歌手が歌う英語歌詞も、ネイティブが聞くとそう聞こえるんでしょうか。
いつのまにか、コリア語で"Can you cereblate"
確かにうまくはないけど、日本語歌詞よりはるかにうまい。
生き生きしている。
感情が乗っているのが分かる。
ネイティブの強さか。

他にも、いつも最後尾を歩いていたドゥナが、クライマックスに向かうに従って、先頭を歩くようになる。
有名な「パンツ見えてる」のシーン、
とか、まあ他にもあるんですが、こんなところで。

さて、疑問に思った点もあげましょう。
まずは、ドゥナが初めて「リンダ リンダ」を聞くシーン。
自分では気付かないけど泣いてる。
いいシーンです・・・・・・が。
あれ、初めて聞いた時は泣けないでしょう。
何度か聞けば、ドゥナの心境に近いでしょうから分かるけど。
実際のペ・ドゥナは初めて聞いたとき大爆笑だったそうです(彼女、元々日本語が少し分かるからでしょう)
それとも何度も聞いているという設定なのかな?

それと、手の内を晒している点ですね。
最後の演奏は三曲、
リンダ リンダ、
僕の右手、
終らない歌
の予定です。
結果から言えば、遅刻して「僕の右手」は歌われない。
だから、練習シーンの多くは「僕の右手」。
ドゥナの上達を示すシーンは「僕の右手」をワンコーラス。
「終らない歌」は触りだけ。
理解できる演出です。
でも、「リンダ リンダ」、歌いすぎ、鼻歌は良いけど。
印象が薄れました。
最後の盛り上がりに水を差したかも。
ん、盛り上がり?

最後のコンサート、ドゥナ達が遅れているのに、誰もあせらない。
あせらないのに、繋ぎで歌う人が出てくる。何で?
ここ、湯川潮音が面白い。
緊張して、山崎優子に、小声で、
「お酒」
「え? 」
「お酒」
って、一気のみ?
清純なイメージ崩れる。
歌声は清純だけど。
これが代表的だけど、最後の方、妙なギャグが幾つか出てくる。
不自然とまでは言えないんですけど。

結局、監督は最後の歌を盛り上げる気がないのか。
ないんでしょうね。
終盤やたらベタな演出をたたみ込んだのに、最後の最後を盛り上げない。
そうはいっても、歌を聞いてるメインキャストの表情を、順番に撮っている絵を見ると、これはこれで良いのかもしれないと思わせる。
でも、分かりにくい演出だなぁ。

この映画は、元々「ブルハサウルス17」という企画で、複雑な家庭環境で、かつ留年して孤立している少女(映画では山崎優子が演じている役に相当)と陸上に情熱を傾けている少女(香椎の役に相当)の友情の物語を縦糸に、他のバンドメンバーの様々な事情が絡む起伏にとんだストーリーだったそうです。
で、全編ブルーハーツの曲だらけ。
ただ、最初の脚本は製作費がかかりすぎるなど、多くの障害にぶつかったそうです。
それで、脚本を一旦白紙に戻し、孤立する少女を留学生に置き換えて、ストーリーをシンプルに作り直したのだそうです。
留学生をメインにするのは極めて難しく、大冒険だったと思います。
出ずっぱりですから、日本人俳優を使うとボロが出るし、
   実際、舞台では失敗しやすいそうです。
   例えば、韓国の方はご飯とスープはスプーンで、副菜は箸で
   食べます。
   でも、日本人俳優だとセリフを言いながらの場合、うっかり
   箸でご飯を食べてしまうそうです。
   この映画は海外配給が製作の条件になっているので、日本人が
   気付かなければ良いとはいかないんです。
韓国の女優を使うと言葉が聞き取れない可能性が出ますから。
良い女優に巡り会えて良かったとしか、言いようがないのかもしれません。

なお「スウィングガールズ」の大ヒットの後に登場したため、その亜流企画と思っている向きもあるようです。
この映画の企画は2002年の第1回日本映画エンジェル大賞(要は映画ファンドの企画募集)の受賞作で、企画のスタート時期は、「スウィングガールズ」とほぼ同時期です。
映画化が遅れたのは、脚本を一旦白紙に戻すなど、製作準備が難航したためのようです。

さて、次は女優特集第3弾、行きますか。

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2007年2月21日 (水)

プロモーション

「グエムル」を見て「シュルク」を連想したとお話ししました。
ところで、「グエムル」は日本においてプロモーションの失敗が指摘されましたが、「シュルク」の場合を考えてみましょう。
「シュルク」はいわば「ロマンティックなお伽噺」として宣伝されました。
「ロマンティックなお伽噺」である点には誰も依存はないでしょう。
ただ、
アニメ、
ロマンティックなお伽噺、
お姫様と妖怪
と来て、観客がディズニー的なストーリーを予想した(期待した)のも事実でしょう。
プロモーションと映画の内容にズレがあったとすれば、ディズニー的なものを期待させた点だけです。
「シュレク」はストーリー全体で言えば、極めてディズニー的です。
異なる点は、
展開に伴う小ネタがあまりにディズニー的でない、
結末がディズニーではありえない
ところでしょう。

ここはネタバレします。
美しいお姫様が魔法で醜い姿に変えられ、醜い妖怪シュレクと旅をします。
最後に魔法が解けます。
お姫様は元の美しい姿に戻りません。
お姫様の心がそれを望まなかったからです。
シュレクは、醜く、下品ですが、心の優しい妖怪です。
お姫様は、そのシュルクとともに生きることを選択したんです。

このラストシーンは、ディズニー的ではありませんが、映画が言いたいことを端的に表現しています。
「シュレク」は、ディズニー的なものを分かりやすい表現で裏切っていますから、観客に先入観を持たせることが、ミスリードにならないのでしょう。

「グエムル」の場合、「未体験の怪物」というのを強調したため、「怪物映画」という先入観を与えてしまった気がします。
「怪物映画」というだけでは、よほど強烈なインパクトが必要です。
それこそ、見たこともない映像が目白押しでもなければ、観客を魅了することは困難でしょう。
でも、それは、映像表現がかなり追求されてきている現在では、そうそうできるものではないですからね。
しかも肝心の映画は、そこを狙っているわけではないし。
結局、映画の本質を表現しないプロモーションでは、結果的に興行的成功を得ることが難しくなるでしょう。
客寄せのための多少のズレは許容範囲でしょうが。

そういえば、プロモーションの失敗が不評を呼んだ典型例があります。
私が興味を持っている女優、CKこと栗山千明の実質的デビュー作「死国」です。
   CKとは一部の栗山千明ファンサイトでの彼女の略称です。
   CKは子役出身なので、「死国」以前にも端役程度では、多数の
   映画出演があります。
この作品は坂東眞砂子の同名小説の映画化です。
   この人、最近、「子猫殺し」という妙な話題で物議を醸しま
   したが。
原作は、死者と生者の関係と死者の復活を四国の土俗的風習と絡めて描いた作品です。
映画は当時のホラー・ブームに便乗する形で、「リング2」との併映で、ホラー映画としてプロモーションされました。
予告映像や原作のカバーの差し替えも、着物姿の栗山千明の不気味な映像や写真でした。
   こういうのはCK、得意中の得意ですから(あ、これが最初か)。
それで、観客は先入観ありまくり。
むしろ洗脳されてる。
で、結果。
「全然怖くない」
当たり前だ。
原作も映画もホラーじゃないんだから。
ある方の感想です。
「ホラー映画かと思ったら違うんですね。若くして死んだ女の子の純愛の物語なんですね。そう思って見たら、切なくて良いお話しでした」
その通りなんですね。
でも、大多数は気付かないんです。
そりゃ、見る前に洗脳されてますもん。
「何これ? 」
になりますよ。

この当時は、ホラー映画に便乗した無茶なプロモーションが散見され、批判を浴びていました。
他にも「震える舌」という作品がそうでした。
あの、怖いことは怖いんですよ。
実際ホラーっぽく撮ってるし。
「エクソシスト」ばりのシーンもあって。
   もっとも、今「エクソシスト」を見ても怖くないけど。
でも、これ、破傷風の話しなんですが。
いくら怖いシーンがあっても。
ホラー映画だと思ったら闘病生活の映画。

こういう見当違いのプロモーションを何故するんでしょう?
「この映画じゃ、長期的なアタリを期待できない」
と判断して、公開直後だけ集客しようという意図でしょうか?

何か折角、良いところもある作品が、プロモーションで潰されるのは虚しいです。
あ、でも、多くのプロモーションはちゃんとしてますよ。
変なのは極一部です。

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2007年2月13日 (火)

訂正

済みません。
「笑う大天使」は上野樹里の最新映画ではありませんね。
っていうか、2006年は出演作が5本もありますね。
たまたま公開時期が近くなっただけでしょうが。
TVドラマも結構出演していたようですし、露出しすぎかな。
それとも今は顔を売るときか。
なりきり型なので、掛け持ちができないのに・・・・・・よく働いてます。

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2007年2月 3日 (土)

キューブ再び

「M:I:Ⅲ」は、あの程度の紹介で良いと思いますが、「キューブ・ゼロ」は、もう少しご紹介しましょう。
キュープ・シリーズの基本設定は、既にお話ししましたので、ここでは割愛。

第一作「キューブ」は、兎に角登場人物の心理的恐怖をを描き、見ている方にも、それを追体験させようとします。
何故キューブが存在し、何を意図しているのかは、全く謎のままストーリーは展開します。
謎が謎のまま進展しないという設定は、非常にミステリアスかつ恐怖を感じるものです。
起きていることが現実なのか、幻想なのかさえ分からない状態ですから。
他者が何を考え、何をするかは予測できない場合がありますから、この設定自体はリアリティがないとは言えないし、効果的です。

第二作「キューブ2」は、基本的にはセルフリメイクですが、最後に外の世界が描かれ、キューブが幻想ではないことが明かされます。
また、ある秘密を握っている人間から、秘密を奪うのにキューブが使われます。
この設定はリアリティがあって良かったと思います。
   まあ、キューブみたいなとんでもないものを作る連中ですから、
   自白剤くらい使うだろうという考えもあるでしょうね。
   ただ、実際の自白剤は理性の働きを弱め、嘘をつきにくい
   状態にするもの(酩酊と同じ作用)で、嘘はつきにくくても
   妄想の入り込む余地があって、信頼性には欠けるそうです。
   その割に、投与された方は廃人になる危険性があります。
   自白を迫る方としては、割に合わないものらしいです。

第三作「キューブ・ゼロ」は、キューブの謎を描きます。
仕組みを描くという意味で。
でも、何の目的なのかは分かりません。
ネタバレを防ぐ意味で違うシュチエーションで考えてみましょう。
仮に某国がテロリストに悩まされているとします。
テロの内容は残酷なもので、政府関係者はテロリストを苦しめながら処刑したいと思っているとします。
じゃあキューブみたいな大がかりで金のかかる設備を作って処刑しよう!
となるか?
コストかかりすぎ。
作るのにかかるし、運営費も莫迦にならない。
いっそ拷問でもしたほうが、同じ効果で安上がり。
新兵器の実験台にするならまだしも(映画で描かれているのは新兵器にはほど遠い)。

そう、キューブには存在意義がないんですよね。
特に日常的に運用されている理由が。
ある目的のためで、それがコストに見合うのなら、キューブの存在意義はあるんです。
そうう意味では、二作目を単独の映画としてみれば、その設定は当りだったんです。

第一作「キューブ」は、それに触れず、謎は謎のままだったので、リアリティがあったんです(キューブがリアルなのかヴァーチャルなのかを含めて)。

USの映画監督にして俳優のレナード・"スポック"・ニモイの言葉があります。

「2001年宇宙の旅」は、謎だらけの映画でヒットした。
「2010年」は、その謎を明かして失敗した。

ニモイが言っているのは興行的な失敗です。
「2010年」は作品としては悪くありません。
「キューブ・ゼロ」も『キューブは元々何に使うために作ったんだろう』とは思いますが、キューブの一つの使い方を示していますから、出来の悪い作品ではありません。

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2007年2月 2日 (金)

今週平日の諸々

じゃあ、最近見たDVDについてお話ししましょう。

まず、「キューブ・ゼロ」から。
キューブ・シリーズ三作目にして完結編。
なのに「ゼロ」とは?
「キューブ」はカナダで製作された低予算映画で、アイデアだけで見事な作品に仕上げられていました。
何せ、場所は立方体の何もない部屋だけ。
ハッチが壁面に一つずつ計六つ。
ハッチを抜けても、また同じような部屋があるだけ。
   って、もしかしてセットは一つ?
時々、トラップが出てきて登場人物が殺されて行く。
数人の登場人物には記憶がないが、何らかの特徴的な能力を持っている者もいる。
そしてあてもないまま、外部への出口を探し求めるというお話し。
描かれるのは極限状態の人間の心理状態のみ。
斬新でした。
二作目は一作目のセルフリメイク。
三作目は、このキューブを管理している側とキューブ内部が描かれるという新機軸で、キューブの謎も明かされます。
で、何故「ゼロ」か?
実はラストシーンが一作目に繋がっています。
演じている俳優は別人ですが、身体的特徴から意図が分かるようになっています。
感想は・・・・・・一作目は偉大だった。
レンタルできるはずです。
お薦めします。
三作目も面白いことは面白いのですが。

次は「M:I:Ⅲ」です。
オリジナルのTVシリーズは60年代と80年代に製作されたものです。
特に60年代版は斬新で、知力を尽くして奇想天外だがリアリティを感じさせるアイデアと見事なチームワークで、不可能と思える任務を遂行していくエージェント達の物語でした。
このバージョンの特徴は、登場人物には背景がないことです。
   途中から参加した俳優の弁では、キャラクター設定が
   「変装の名人」だけだったそうです。
   これってキャラクターじゃなくて、職業ないし特技でしょう。
   しばらく演じていると飽きるそうです・・・・・・そりゃそうだ。
ミッションのシーンしかなくて、私生活も性格も分からない。
しかもアクションシーンは殆どない・・・・・・もしかして皆無。
つまり、アイデアのみ。
しかも、これが面白い(ちなみに再放送をよく見ていたんです。深夜に)。

映画版はアクション映画になってしまい、オリジナル版とは別物になっています。
   でも一作目のオープニングの寸劇は良かった。
   TV版のテイストそのもので。
   せめて冒頭にああいうのを毎回入れて欲しい。
それでも本作は、チームプレーが前面に出ていて、本来のMIらしい感じでした。
ただ全体的にはイーサン(トム・クルーズ)のラブストーリーという、まったくもってMIらしくない話しです。
これでカタルシスがあれば、まあアクション映画としては良いとは思いますが、少々(かなり)不十分ですね。
題材は良いし、人間を描くというのも良いんですが、詰め切れなかった感じですか。
配役が良いだけに、ちょっと勿体なかったかな。
でも、決して悪い出来ではないですよ。
見て損をしたと思うような出来では全然ありません。

まぁ、結論から言えば、TVドラマを見るくらいなら、この二作を見た方が楽しめますね。

但し、見てつまらないと思ったとしても、当局は一切関知しないので、そのつもりで。

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2007年2月 1日 (木)

パッチギ! から少し脱線

Aさん。
コメント、ありがとうございます。
実はノベライズは既に読みました。
ただ、あの記事は以前に未読の状態で書いたものです。
同じテーマがあまり連続するのも良くないと思い、時差を付けてupしたのです。

ノベライズを開いたとき、チェドキの一人称で始まっていたので、
「どうやら私の推測は当たりだった」
と安堵しました。

映画を見た後に在日コリアンの歴史を調べ直して、あやふやだった知識を補強しましたので、ノベライズに書かれていた登場人物の背景には納得のいく部分も多かったのですが、(プロットと関係がないので当然かもしれませんが)不十分と感じた点もありました。
映画やノベライズの趣旨から離れてしまいますが、その点について少し記述しましょう。

まず、在日コリアンは日本に帰化しない場合、「朝鮮籍」のままか「韓国籍」を選択することになります(北朝鮮とは国交がないため「北朝鮮籍」は取れないのです)。
ところで在日コリアン一世の出身地域は大部分(殆どといって良いでしょう)が、現在の韓国の領土だそうです。
つまり、出身地域と国籍は無関係です(日本に来たのは南北分断前ですから)。
更に帰国船で帰還した在日コリアンの95%の出身地域は、韓国の領土だそうです。
朝鮮戦争休戦後、北朝鮮が国費で帰国事業を始めます(主体は北朝鮮と日本の赤十字)。帰還後の生活と職業の保証を謳って募集したようです。
在日コリアンは就職にも困っていた人が多かったので、この募集に飛びついた人も多かったということのようです。
   当然ですが、自費で韓国や北朝鮮に移り住むことは、朝鮮戦争
   時代を除けば、常に可能でしたし、可能です。
一方、日本政府は在日コリアンに「韓国籍」の取得を奨励し、韓国にも帰国事業実施を求めました。
しかし、朝鮮戦争で経済的に疲弊していた韓国は人口の増加を嫌って、帰国事業を行わなかったそうです。
   日本が帰国事業に協力的だったのは、当時在日コリアンに
   生活保護者が相当数いて、税政を圧迫していたからだそうです。
これを韓国の棄民政策と捉えている在日コリアンや日本人も相当数いるようです。
他方、韓国にせよ北朝鮮にせよ、国内での在日コリアンへの風当たりは、かなり厳しいもののようです。
   在日コリアンのプロ野球選手が、韓国のプロ野球に渡って、
   日常的にも制度的にも差別を受け、「私の国は日本海なのか」
   と洩らしたという話しがあります。
これは在日コリアン一世の8割程度が、自発的に来日している(勿論、日本側が募集したのですが)ことと関係があるのでしょう。

母国を離れて長い年月が過ぎ、世代も変わろうとしている在日コリアンの方々にとって、今から朝鮮半島で生活基盤を築くことは現実的ではないでしょう。
   というより、朝鮮戦争によって、時間が経過した時点で、それは
   困難になっていたのでしょう。
私は日本人として、在日コリアンの方々とともに、出口の見いだせない問題に直面しているように思えます。
民族の文化や誇りを捨てろという権利は誰にもないのですから、我々日本人は国内で他民族/外国人と共存できる制度を作る必要があるのでしょう。

少し記述するつもりが、長くなってしましましたね。

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박치기 顛末

タイトルは「パッチギ! 」のクレジットされたタイトルです。
何か、この映画で引っ張ってます。

本作は康介とキョンジャ、アンソンと桃子のラブストーリーを縦糸に、日本人と在日コリアンの関係を横糸に紡いだ作品に見えます。
実際、そのように宣伝され、そのように評価もされています。
最初、私もメインプロットを追っていて、同様に感じました。
でも、どうしても引っかかったんですよね。
クライマックスに向かうシーンで。
康介は、親友の葬式を日本人であるという理由で追い出され、鴨川の橋の上で号泣します。
自分ではどうしようもないことで、心が悲しみに満たされているという感じの良いシーンです。
そして、その直後、ラジオの「勝ち抜きフォーク合戦」で、泣きながら「イムジン河」を歌います。
このシーンが分からなかった。
涙の意味は何か。
泣き親友を思っての涙?
現実ならありえるでしょう。
でも創作物のストーリーライン上、橋のシーンで感情を爆発させていて、親友への思いは十分に描いたはず。

そこで気付きました。

これだ!

本作は本質的には「ロミオとジュリエット」でも「ウエストサイドストーリー」でもないと。

本作では日本人と在日コリアンの間にある溝が描かれています。
大人達、特に在日コリアンの年輩者は憎しみを感じています(まあ当然ですが)。
でも、朝鮮高校の生徒達は学校ではハングル、外では日本語、友達との会話は両方が混ざっている。
日常生活は日本化しており、区別はしても憎んでいるわけではなさそう。

で、朝鮮高校の男子生徒の代表として、親友三人組が出てきます。
三年生のアンソンとバンホー、二年生で弟的存在のチェドキ。
学年が違うのに何故かチェドキは、アンソンとバンホーにべったり。
でも、三人は幼なじみというわけではなさそう。
アンソンは母親と妹(キョンジャ)と、いろいろなところで暮らしていたという会話があります。
バンホーの家は廃品回収業を手広くやっているようで、多分ずっと京都にいたのでしょう。
チェドキの背景の説明は殆どなく、母親と二人暮らしで、経済的には貧しそうだというくらい。
バンホーは特に日本人に特別な感情は持っていないようです。
アンソンは憎んでいるわけではないが、反発しているようです。
   彼は優秀なサッカー選手なのですが、朝鮮高校は当時高校の
   公式戦には出場できなかったので、日本人に対する反発があ
   るのも分かるような気がします。
   しかも、1968年当時の朝鮮高校の実力はインターハイに優勝
   できるほどでした。
この二人は危害を加えられない限り、(対応している日本の高校生グループを除けば)日本人という理由で、なんらかの言動にでることはありません(実際アンソンの恋人は日本人ですし)。
チェドキは、映画の途中まで唯一「日本人(ハングルで)」という言葉を投げつけ、暴力的な行動に出ます(この言葉を使う高校生は彼だけです)。
おそらくチェドキも母親と一緒に、いろいろな場所で暮らしてきたのでしょう。
ただ、彼には兄弟がいませんから、寂しい子供時代をおくり、日本人からの差別もあったのでしょう(何故か日本人の大人には気後れする)。
だから彼は日本人に憎しみを持っていたと思います。
その彼が、康介に親友になってくれというまでに変化して行く。
こう考えると、ラストの涙の熱唱(静かですが)の意味が分かります。
「イムジン河」は南北朝鮮の分断の悲しみを歌った歌ですが、康介は人間の心にも「イムジン河」があると言いたかったのでしょう。
これは歌と被って描かれているシーンとも符合します。
たまたま、在日コリアンの問題を取り上げてはいても、人間の心にある、すべての誤解や偏見が心の「イムジン河」だと言いたいのだと思います。
決して描写の多くない康介とチェドキの友情の物語こそ、監督・脚本家の描きたかったことなのでしょう。

ラストシーンで、3、4年後(多分)のメインキャストの姿が描かれています。
これをハッピーエンドだと思っている人の多いのに驚かされます。
確かに幸せそうな人達もいます。
でも、アンソンと桃子は息子を連れて北朝鮮に渡ろうとしています(展開からそうとしか解釈できません)。
キョンジャはずっと「コウちゃん」と呼んでいたのに、康介のハングル読みで呼びかけます。
彼らからすれば、未来にいる我々には、このラストシーンは考えさせられるものだと思うのですが。

最後に。
前言撤回。
本作の脚本は巧妙です。
でも、小説向きで映画向きじゃないかも。

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2007年1月31日 (水)

Get Up!

どうも。
タクさんご推薦の「ゲロッパ! 」をDVDで見ました。
「パッチギ! 」に続いて井筒和幸監督作品です(間で「M:I:Ⅲ」と「キューブ・ゼロ」を見てますが)。
映画のクレジットは"Get Up! "、「パッチギ! 」はクレジットがハングルでした。
本物にこだわっているそうです。
   "! "も実はお好きななんでしょうか。
本作は「パッチギ! 」の前の監督作品になります。
で、見たんですが、
山本太郎が良い、
太田琴音(子役、デビュー作)が良い、
主演の西田敏行、濃すぎるけど良い、
岸部一徳
   一徳。
   一発変換できなかった。
   ATOKに登録しました。
はじめ脇役陣の怪演
   怪演。
   一発変換できなかった。
   ATOKに登録しました。
も良い(特に藤山直美が凄すぎ)。
まあ、ストーリー強引、笑える要素も感動的な要素もまあまあかな。
でも、何か引っかかる。
   またしても「パッチギ! 」パターン(映画がじゃなくて、何か引っかかるのが)。
   あ、「パッチギ! 」の顛末書いてなかった。
   次に書きます。
そして、コメンタリー突入。
プロデューサー、監督(以上「パッチギ! 」と同じ人)、西田敏行、常盤貴子、
そして岸部一徳
   一徳。
   一発変換。
   そういえばクレジットは" And 岸部一徳"でした。

が出演。
何かやたら受けてる。
そういえば、西田敏行(福島出身)以外は関西人(常磐、関西弁爆発寸前)。
関西人受けする笑いなのかなぁ・・・・・・と思いつつ見ていくと、気付きました(「パッチギ! 」より早いぞ、気付くのが)。
そこで、再度鑑賞。
西田敏行の役はヤクザの組長で、組員とか関係者全員がかなり変なんですね。
冒頭は関係者ご一行の話しなので、ある種のパターンというか設定に気付きませんでした。
この映画、西田扮する組長が、段々普段あまり会わない人や初対面の人と絡み始めるのですが、接触した人達が壊れていきます。
   関係者ご一行は、付き合いが長いため、映画の冒頭から壊れてます。
で、組長の影響かと思うと(先に組長、壊れ出すし)壊れた様が凄く面白い。
この組長、向かうところ人が壊れていき、最後は日本中の人が壊れたのか、端に映画が壊れたのか、という展開になります。
   何か悪い菌の保菌者でしょうか。
   この組長。
やぁ、それにしても寺島しのぶの壊れ方は良かった。
名子役、太田琴音(初めての芝居なのに、アドリブをとばしまくったらしい)の壊れ方がまた良い。
徐々に、徐々に壊れていって、最後は性格がかなり変わっている。
   まぁ、組長に感化されたともいえますが。
   鉄火肌の小学生って、なかなか見ることもないし。
映画を見るときの視点で、こうも印象が違うものかと、つくづく思いました。
ていうか、井筒監督の映画の特色でしょうか。

付け加えるべき点を3点。

西田敏行、何ていう服装なんだ、
   いえ、色調が派手とかではないんですが、その服装は目立ち
   すぎだろうというもので。
   孫(太田琴音)に悪趣味扱いされてた。
と思ったのですが、クライマックスのステージシーンにはぴったりの服装。
映画の最初からステージ衣装ですか、井筒監督。

そして、ジェイムズ・ブラウンの物まねのウィリーが良かった。
西田敏行とのショーもなかなか良い。
   この人は、ラスベガスでジェイムズ・ブラウンの物まねをし
   ている人達のひとりで、その中でも最も評価の高い人らしい。
   更に本職の俳優で、時々メジャーな映画にも出演しているそ
   うです。

最後。
この映画は笑って、泣いて、笑って、という作品なんですね。
メインプロットのクライマックスは25年振りの親子(西田、常磐)の再会です。
感動的なシーンに仕上がっています。
確かに娘を思う一途な父親なんです・・・・・・でもね、普段やってることは、策を練って借金踏み倒す、ただの水を「癌に効く」といって売ってる。
ロクデナシなんですよね、まったくの。
これが良いんですけどね。

お薦めですよ。
見方を間違えなければ。

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2007年1月19日 (金)

「パッチギ!」補足

少々頭痛に悩まされています。
頭痛薬を飲んでしのいでいますが、飲み続けるわけにも行かないので(今日は夕方まで我慢しましたが、あきらめて薬を飲みました)、明日は行きつけの指圧に行きます。
僧帽筋(背中の筋肉)から顎や頭の筋肉までが凝りやすいので、それが原因でしょう。

さて、以前「パッチギ!」の話しをしましたが、あの後コメンタリーを見ました(聞きましたかな? )。
プロデューサー、監督とゲストとして監督の助監督を長年していた監督が語っています。おじさん三人のまったりトークという、変わったコメンタリーで面白かったです。

で、コメンタリーで分かったことや、私がネットで調べたことで、事実関係を少し補足します。
この映画のプロデューサーは李という在日の方で、実際に京都の朝鮮高校に通っていたそうです。
映画には李氏の知識が多く使われているそうです。
まず、映画のストーリーはフィクションですが、個々のエピソードの殆どは実話に基づいているそうです。
本当にバスを大勢で転倒させたりしたんですね。
それから事実誤認といわれている2ヶ所について。
まず在日一世の渡航経緯の独白です。
その経緯はかなり理不尽であり、そんなことをしたら統治している方(日本サイド)も困るだろうという内容で、在日の方も誤認と考えている人が多いし、事実と異なると述べている人が多いそうです。
また、調査により渡航自体は自分の意思で決意した人が8割だそうです(美味しいことを言われた人は多いのかも、と想像しますが)。
ただ、映画のセリフは実在の在日一世の方のインタビューから起こしたものだそうで、比率は少ないのでしょうが、事実としてあったことなのでしょう。
そういう事例があったのなら、この方が映画の表現としては効果的ですから、使いたいでしょうね。
   たまたま典型例を取り上げなかったことで誤解を招くという
   ことですが、映画に限りませんが、創作は難しいですね。

もう一つは北朝鮮の歌(「イムジン河」)が、
「発売禁止で放送禁止」
と、ラジオ番組のプロデューサーが言うシーンです。
これは映画の前半の別のシーンで、オダギリ・ジョーが、
「発売禁止ではなく、発売中止でしょう」
と言っているので、プロデューサーの誤解か過剰反応という設定なのかもしれません。
いずれにしても効果優先の演出だとは思います。
ちなみに、「イムジン河」はフォーククルセダーズというグループにより、発売されたのですが、彼らが訳したときに2番の歌詞を一部誤訳したそうです(映画の終盤に主人公が歌う「イムジン河」は誤訳のままです)。
で、発売後に朝鮮総連から誤訳の訂正を求められたようです。
また、真偽は分かりませんが、作詞、作曲が北朝鮮の人だとジャッケットに明記するよう求められたという話しもあります。
いずれにせよ騒ぎになったので、レコード会社が発売を中止したのでしょう。
そのため所有者は少ないようです。
いい曲だし、大きな要求でもないので(あ、詞の入れ替えは大変なのかな? )、応じれば良かったのにと思ってしまいますが。
救いとしては、発売中止にはなってしまいましたが、コンサートでは歌われていたらしいことです。
   明らかに公序良俗に反しない創作物の発表の場は狭めるべき
   ではないでしょう。

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季節に関係なく911

昨日は色々ありました(しました?)が、まずは映画DVDの話し。
クロさんのお薦めで「ユナイ93テッド」。
ノンフィクションドラマというのかドキュメンタリードラマといのか。
「アポロ13」が膨大な記録を整理してドラマチックに演出されたのに対して、数少ない記録から事実と思われる映像を演出したのが本作と言えるのでしょう。
遺族が了解している様子と遺族へのケアの様子が特典に納められています。
こういう作品の場合重要でしょうね。

さて事実と思われる作品にするといっても、映画は監督が演出するもの。
すっきりした演出意図は見られます。
前半は、
・航空管制という膨大なデータ(同時に4200機を運航)をさばくのに必須の巨大システ
 と管制官の職人芸(航空管制官と軍)
・異常事態(ハイジャック機候補が多すぎた)へのシステムの脆弱性
・ユナイテッド93(以下「63便」)乗客乗員の普通の風景
が描かれます。
   以前私は航空会社の仕事に関わるに当たって色々調べました。
   あまり資料が手に入らないので、航空小説やその後書きで結
   構学びました。
   その時読んだ中の一つに航空管制官の仕事が詳しく書かれた
   ものがありました。
   航空管制官はそれぞれ担当を割り振って、各人は担当の機を
   自分のレーダーに補足します。
   レーダー上には各機の機影と型式、便名、高度が表示されます。
   管制官はその2次元の内容を頭の中で、3次元に変換して判断し
   ます。
   それを瞬時に行うため職人芸とならざるえないようです。
   管制官は1度に10機前後をさばくようです。
   ハイジャックが起きるとトレースする管制官が決まりますが、
   彼は他の旅客機の管制も同時に続けます(担当便数は若干減ら
   されます)。
後半は、93便内部をドキュメンタリータッチで描きます。
   テロリストの焦り、不安。
   乗員乗客の不安、助け合い、前向きな姿(ハイジャックされた
   機内や墜落しそうな機内は、一般にかなり静かになるそうです)。
   危機に直面しても意外に冷静で、残してきた家族をまず思いやる
   乗客の姿が印象的です。
   最後にハイジャックされたため、ワールドトレードセンターや
   ペンタゴンへのテロの情報が、乗客の携帯電話の通信から分かる
   ところは犯人側からすれば誤算だったのでしょう。

この映画は派手さが排除されています。
ワールドトレードセンターへの2機目の旅客機の追突は記録映像のようでしたが、
あえて追突の瞬間を捉えた映像は、追突場所の裏側からの映像を使っています。
ハリウッドの大作にありがちな、典型的な悪党や犠牲者やヒーロー、派手な爆破シーンはありません。
俳優陣は無名の人を使ってドキュメンタリータッチを盛り上げています。
中で気になったのが主任管制官ベン・スタイニー役の人で、登場シーンから圧倒的な存在感で、危機的シーンが続く中、毅然とした態度が様になっていました(「アポロ13」のジーン・クランツ(やはり主任管制官)役を彷彿させます)。
何という名前の人か興味を持ったので、エンドロールに注目していました。
"Ben Stiney As Himself"とクレジットされました。
俳優ではなく、ご本人でしたか。
見ていくと管制官や軍関係者の中に本人が混じっているのですね。
本職の素人を使うという手法は映画ではよく使われます(特殊な職業の場合、リアリティを出すためには本職を使うのが有効なようです)が、ストーリー上主役の一人ともいえる役を素人にまかせるとは、少々驚きです。成功したといえるでしょうが。
   素人がよくできるなぁと思ったのですが、彼らのセリフの多
   くは記録から起こされており、演じる方はセリフを与えられ
   なくても、当時のことは憶えているそうです。
そういえばキャビンアテンダント役にも、経験者の俳優を選んだらしいですね。

こういう映画ははじめてみました。
ドキュメタリータッチの映画は多くありますが、ここまで引いた演出で、盛り上がるシーンもラストぐらいというのは。
通常ドキュメンタリーといっても、監督の演出が入るので、何となく演技っぽく見えるのですが、本作の場合は意図的に演習っぽさを排除したのでしょう。
ラストの数分間は、実際は正確には分かっていませんが、異文化の衝突を短い時間で表現できていて、良い出来だと思います。

監督のコメントに面白いものがありました。
要約すると、
「俳優と素人を混ぜて演出したが、段々俳優は演技をやめ、素人が演技をはじめた。その状態が真実を表すのに有効だった」
というようなことです。
誰でも危機に直面すれば、自らを鼓舞し奮い立たせるために、自己演出は行うものでしょうからね。
あの日の現場も同じだったということでしょう。

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2007年1月 8日 (月)

パッチギ!

クロさんのお薦め映画です。
諸般の事情により見ていませんでしたが、年始にDVDで見ました。
2005年公開の作品で、主要映画賞の多くを受賞、キネマ旬報日本映画1位の作品です。
たしかに見せますし、頑張っています。
特に俳優が。
沢尻エリカとオダギリジョーが特に良いが、他の若手俳優の熱演も好感が持てます。

で、途中までこれはリアル・ウエトサイドストーリーなのかと思いました。
ウエトサイドストーリーはニューヨークの不良グループの抗争に、それぞれのグループに関係有る男女の恋愛を絡めた作品(モチーフは「ロミオとジュリエット」)ですが、それを1968年の京都の日本人主体の高校と朝鮮高校の話に置き換えています。
ウエトサイドストーリーは抗争シーンもダンス仕立てですが、本作はミュージカルではないので、ちゃんと? 喧嘩になっています。
でも、見ていくうちに日本映画らしくテーマのてんこ盛りが始まり、一体何が言いたいのかと・・・・・・。
これは脚本が悪いな。
でもこの脚本を演出して、最後まで観客を引っ張っていった井筒和幸の手腕は凄いと思ったのですが・・・・・・エンドロール、井筒監督の脚本ですか(共同脚本ですが)・・・・・・そうですか。

それは兎も角、たしかに見る価値は十分あると思いますし、深刻なテーマも扱いながら、ユーモアもあり(私は一部苦手でしたが)、まったく飽きさせません。
ただね、これが2005年のトップワンの映画といわれると、不作の年だったのかと思ってしまいます。
当然トップテン、それも上位に入って良い映画だとは思いますが。
たしかこの年は山崎貴監督の「ALWAYS 三丁目の夕日」と映画賞の争奪戦が繰り広げられたはずでした。キネ旬では「ALWAYS 三丁目の夕日」は2位でしたね。

評論家受けは良かったのに、映画人が投票する日本アカデミー賞を取れなかったのは、井筒監督の人徳? でしょうか。「ALWAYS 三丁目の夕日」の一人舞台でしたね。

そういえば、公開時にも話題になった事実と異なる歴史認識は2ヶ所で確認できました。
半島から日本に来た経緯と「イムジン河」(北朝鮮の歌)が日本で発禁になった経緯だったんですね。
在日の方にも指摘されていましたから、何か気になっていましたが、すぐ分かりました。
効果を優先するために、ああいう形にしたのでしょうかね。

よろしかったら見てください。

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2007年1月 1日 (月)

オマージュ?

ここのところDVDで映画を見ています。
割とお気に入りに「リターナー」があります。
2002年の作品で、監督が山崎貴、主演は金城武、鈴木杏、敵役が岸谷五朗、助演に樹木希林、高橋昌也と芸達者揃い。俳優陣の頑張りは凄い。
まあ評価はまっぷたつですが。
監督はじめ製作陣が確信犯的にオリジナリティを排除しましたから。
ただ「キルビル」ばりの見方をするとオマージュのオンパレードといえます。
メインプロットは「ターミネーター」の変形。
金城武の服装や振る舞いは「マトリックス」のネオ。
重要な役どころの宇宙人は「ET」みたいな造形で、その役割は「砂の惑星」の超能力者(映像のみで表現されているので分かりにくいでしょう)。
その宇宙人の仲間はモビルスーツ着用で「ガンダム」。
メインプロットの最後は「バック・トゥ・ザ・フューチャー」にあったシーン。
映画のラストは「タイムコップ」の設定の延長線上。

オリジナリティといえるのは、敵がチャイニーズマフィアという点、擬態宇宙船というアイデア、そしてソニックムーバーというアイテムでしょうか。
鈴木杏演じる未来人ミリが持ち込んだ唯一の未来兵器がソニックムーバー。
これは身につけた者の感覚が通常の20倍になるというもので、映画の中では6回しか使えない設定。
でも、いくら感覚が20倍になっても、実際に人間の運動能力はそれについていけないはず(映画の中では筋力の増加という説明はない)。男子100メートル走で9秒2の後半程度が限界といわれていますから、映画に描かれている目にもとまらぬ早さというのは無理。
期待するとしたら「火事場の莫迦力」ということになります。
なんか凄いというかとんでもない秘密兵器です。

まあそれは置くとして、最大の見所は当時14歳の鈴木杏の少年のようなユニセックスな魅力でしょう。
今度「どろろ」が公開されますが、当時の彼女がどろろを演じたら凄かったでしょう。
今回は柴咲コウですが、他に演じられる人が見あたらないのが寂しい限りです。
今の鈴木杏では難しそうだし。
はじけられる若手はいないのでしょうか。

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