2007年9月 3日 (月)

009 少々追加

この作品は構想自体は石ノ森章太郎氏のもので、1編の小説と大量のメモやスケッチがあるようです。
それを元に小野寺氏が残りの部分を執筆しているそうです。
今回の4編は小品ながら減り張りがあって、映像化向きな出来映えです。
特に石ノ森氏の手による「摩天楼の底」は、ハードボイルド・タッチで「マルタの鷹」や「ロング・グッドバイ」を思わせながらも、SF的なアクションに溢れた魅力的な作品です。
002、ジェット・リンクが、9人のサイボーグの中で唯一、私立探偵という荒っぽい職業に就いている点をうまく使っていますし、異形の者であり、旧式のサイボーグ戦士でもある悲哀も十分に感じさせてくれます。
なかなか難しいのは、004、アルベルト・ハインリヒの設定変更です。
元々は東独出身で、ベルリンの壁を越えるときに恋人を失った厭世的な人物だったのですが、21世紀にはその設定が使えないので、やや平凡な設定にならざるをえなかったようです。
むしろ、相思相愛の恋人を失う設定よりも、「ドミノ」のドミノとチョコの関係を膨らませた方が面白かったかもしれません。
「ドミノ」は登場人物の関係が実話に基づいていますが、女性に対して極端に不器用なチョコが、ドミノに好意を寄せますが、行動は毎日手紙を書いてドミノに手渡すだけです(映画には描かれていません)。
ドミノは受け取るものの意味が分からず封を開けることもしません。
結局チョコはバウンティハンターのチームを離れるのですが、もしチームにいるときにドミノが死んでいたら、どの様な反応を見せるか。
その後の性格が、アルベルト・ハインリヒのようになることは、不自然ではないような気がします。
石ノ森氏は存命中にドミノ・ハーヴェイのことを、知ることは出来なかったでしょうから、設定に盛り込むというのは無理な話ですが。

まあ、私の勝手な妄想です。

しかし、009シリーズは30年以上のブランクがありますから、いきなり続編、しかも設定の異なる続編で、しかも小説ですから、商業的にはハンデキャップになりそうです。
何とか完結して欲しいものです。
次は、005、006、007、008それぞれが主役の小説でしょうか。
皆キャラクターが立っているので楽しみです。

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微妙なのですが、考えさせられます

萬画家石ノ森章太郎氏は1998年に亡くなりましたが、昨年12月に遺作が出版されています。
といっても萬画(彼の場合はこう書きます)ではなく小説です。

2012 009 conclusion GOD'S WAR

ライフワークである「サイボーグ009」の完結編として構想されたものです。
まずは三部作の一作目です。
プロローグ、エピローグの他4編の短編小説から構成されています。
短編小説は001、002、003、004のエピソードで、002のエピソードが石ノ森氏の遺作で、他は長男の俳優で劇作家である小野寺丈氏の手によるものです。
石ノ森氏は元々映画志望であり、小説も書きたいという希望を持っていたそうで、この作品は、小説をまず書いてから萬画化する構想だったそうです。
舞台を21世紀にして、メインキャストの背景も、それに合わせて変更しています。
出来としては、まあまずまずでしょうか。
ストーリーに新規性はありませんが、情感溢れる筆致に仕上がっています。

元々「サイボーグ009」は、軍需産業により兵器のプロトタイプとして、拉致され改造された9人と改造した科学者との10人がメインキャストの物語です。
9人はプロトタイプであり、002、003、004は旧式のサイボーグという設定です。
00ナンバーは試作品という意味(多分)で、10までで、一つのシリーズという設定で、まさに実験段階であり、彼らの追っ手は彼らの実験結果から、性能が向上したサイボーグという設定です。
自分たちよりも高性能な相手に、9人のチームワークで立ち向かう(9人というのは野球からの連想らしいです)という話で、彼らは常人よりも部分的に優れた能力は有していても、サイボーグ兵器として優れているわけではありません(敵は追っ手だけではありませんが)。
特徴的なのは、単純なヒーロー、ヒロインではなく、常に劣勢であり、一体誰のために戦っているのかさへ定かではなくなっていく、心の葛藤が描かれるところです。
彼らは追っ手と戦って生き残ったとしても、いわば異形の者としてひっそりと暮らすしかないのですから。

こういうことを考えると、この題材が小説向きだと感じます(萬画との比較という意味ではありません)。
小説は登場人物の心中を文字で描くことが出来ますから、彼らの切なさ辛さをストレートに表現できます。
丁度、平井和正氏の「8マン」の小説化が「サイボーグブルース」になったような関係になり得るでしょう。
そう思うとき、小野寺氏による「サイボーグ009」の完結とは別に、小説版「サイボーグ009」という構想があったら良いと思えます。

ところで、2005年11月に「サイボーグ009」が、ハリウッドで映画製作されるという構想が発表されています。
早ければ2008年公開を目指すというものでした。
その後、何ら追加発表がないので、頓挫したのか、計画が延びているのでしょう。
まあ、代表作としては「サイボーグ009」、「仮面ライダー」、「幻魔大戦」あたりが、ハリウッドの大作にふさわしいでしょう。
「仮面ライダー」はマスクを付けますが、「サイボーグ009」は俳優が素顔で演じられますから、ビッグネームの出演も期待できます。
人種のバランスも双方とも取れていますし。
何か進展があれば嬉しい限りです。

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2007年8月22日 (水)

千里眼とはいかず

TKY株式市場は小反落です。
いまだ信用収縮への警戒心は強いようです。

JPYはやや円安に振れていますが、大きな動きにはなっていません。
円キャリー取引の復活とはいかないようです。
日本でのFX個人投資家は、原則的には円キャリー取引をしているので、まだまだ警戒心が強ういということでしょう。

今一ですね。

さて、今日は久々に書籍の話題でもしましょう。
松岡圭祐氏の千里眼・新シリーズです。
今年に入って、最初の三作が一気に刊行され、その後は中2ヶ月で一冊ずつ刊行されています。
5月には「千里眼の教室」が刊行されました。
いじめ問題と世界史未履修問題を扱っています。
トピカルなネタですが、いつもの世情に先行するテーマではなく、後追いのテーマです。
しかし、特にいじめ問題は出口のないテーマなのですが。
いじめ問題と世界史未履修問題の二つを抱えている高校の生徒達が、独立宣言をするというお話しです。
独立宣言自体は珍しい設定ではないのですが、今風の道具立てを駆使して、現実的な展開を見せます。
高校が一つの経済社会を構成する様は、なかなか読ませます。
この新シリーズは、架空とはいえ割と現実的な展開を見せるのですが、その中でも秀逸でしょう。

そして、7月、最新刊が「千里眼 堕天使のメモリー」です。
ここで、新シリーズも転換期を迎えたようです。
主人公の岬美由紀の過去が徐々に明らかにされます。
この作品は、旧作(特に文庫版)の主要な敵役であるメフィスト・コンサルティングが登場します。
このメフィスト・コンサルティングは、かなり荒唐無稽な存在なのですが、新シリーズになって、やることのスケールは大きいですが、リアリティは出てきたように思います。
まあ、相変わらず、そこまでやるか、という存在ではありますが。

このシリーズは、岬美由紀が永遠の28歳ということで、過去の作品が毎年1年ずつずれ込むことになっています。
作品上28歳の時の話なのですが、1年後には(名文化されていませんが)27歳の時の話として語られるのです。
ですから、あまり続けていると整合性は取れなくなるはずです。
防衛大学校卒で戦闘機パイロットでしたから、その期間は制約条件になってしまいます。
それは兎も角、次回は9月刊行です。
次回作の「千里眼 美由紀の正体」上下巻と、旧シリーズの全面改稿版(クラッシクシリーズと銘打たれています)「千里眼 完全版」、更にサイドストーリー的な「蒼い瞳とニュアージュ 完全版」が刊行されます。

旧シリーズの内容が心理学の世界では古くなってしまったそうなので、順繰りに全面改稿するのでしょうか。
まあ、松岡氏は過去にも「催眠」の全面改稿版を出版したことがありますからね。
というか、旧シリーズは、まずハードカバーで刊行して、大幅加筆して文庫化されていました。
これが、作品の印象がまったく変わってしまうほどの加筆ですから。
とはいへ、あまりやりすぎると信用を失うかも知れませんが。

それより興味深いのは、「蒼い瞳とニュアージュ」が年内に映像化されるという話です。
実は私はこの作品が好きなのです。
他の作品に比べてスケールは小さいのですが、主人公が魅力的です。
岬美由紀は、カタルシスを引き出す、いわば道具として万能に描かれていますが、一ノ瀬恵里香は岬美由紀のスケールダウンとも言えるのですが、弱さや欠点を持ったヒロインなんです。
ヒーローやヒロインに、そういうところがあると、より魅力的になります。

映像的には大きなスケールにはならないので、映画化はしやすいと思っていました。
ただ、「映像化」というのは何でしょうね。
映画でもTVでもなく、DVDでしょうか。

まあ、それはそれとして、主人公の一ノ瀬恵里香を誰が演じるのか。
身長140センチ台半ば、25歳にして10代にしか見えず、渋谷ギャル系ファッションという外見(この登場シーンは圧巻です)。
松岡ファンの間では、矢口真里のイメージが定着しており、また彼女には演じて欲しくないというのも定着しているようです(演じて欲しいという人もいるようですが)。
外見的にはぴったりですが、演技力的に無理だろうと。
読者は矢口ファンではなく、松岡ファンですからね。
それに実は結構難しい役なのです。
そういえば安達祐実を押す声もあるようです。
小柄ならいいんでしょうか。
まあ、演技力は上かな。
少し背が高い(10センチくらい)ですが、貫地谷しほりなら十分でしょうが、NHKの連ドラを撮ってますからね。
彼女で見てみたいものですが。

「映像作品は原作のコピーである必要はない」というのが、私の持論ですが、原作のコピーも見てみたいとは思います。
出来が良ければですが。

ちなみに一ノ瀬恵里香には実在のモデルがいるそうで、外見を矢口真里に似せたわけではないそうです。

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2007年8月 6日 (月)

ネアンデルタール人の生活様式(ただし架空)

カナダ人のハードSF作家であるロバート・J・ソイヤーによる三部作、
ホミニッド-原人
ヒューマン-人類
ハイブリッド-新種
についてお話しします。

極めて良くできた名作ですが、今回は作品自体に関するお話しではありません。

この作品群は通してみると、我々ホモ・サピエンスが生き残った世界と、パラレルワールドであるネアンデルタール人が生き残った世界との交流を描いています。
興味深いのがネアンデルタール人の生活様式です。
勿論創作なんですが。

設定として、
高度に管理された世界で、実質的にはプライバシーがなく、
子供の誕生は管理され、生まれる年が決められていて、
夫婦は同性間と異性間の二種類が併存し、
成人の男女が原則別々の地区で暮らし(月四日間だけ同居)、
子供は成人するまで母親と暮らす
というものです。
夫婦の同性間と異性間の二種類の併存とは、例えば男性の場合、男性のパートナーと女性のパートナーがいるということです。
第三作「ハイブリッド-新種」の中で、ホモ・サピエンスの女性(主人公)とネアンデルタールの女性が話しているシーンを、表現を簡潔にして引用します。

「ホモ・サピエンスの社会では、夫婦となった男女は常時同居するんです」
「それって、ストレスがたまらない? 」

男性にして既婚者のソイヤーの本音の裏返しか、世の男女の本音の裏返しかは分かりませんが、ある日経新聞の記事を思い出します。
それは、妻の夫への不満、夫の妻への不満というものです。
前者で多いものに「夫が話を聞いてくれない」というものがあり、後者には「妻がうるさい」というものがあります。
実際、巷によくある話です。
その他にも様々な不満はあるのですが、記事はこの点、つまり夫婦間の会話が少ない点を色々ステレオタイプ的に解釈していました。
女性は話すこと自体が重要で、男性は仕事をしているので結論のある論理的な話を好むとか。
女性も働いているし、論理的に話しますがね。

そもそも、人間の生態は、太古の頃から脈々と続いていますから、現代社会の状況だけを捉えて解釈することには無理があるでしょう。
私は、男女が常時同居するのが本能的に自然であるなら、一方の嫌がることを一方が好むというのは、極めて不自然で不合理なことだと思いました。
おそらく本来は、何らかの理由で、一定の条件下では(または一定の条件下以外では)、男女は別々に暮らすようにプログラミングされているのでしょう。
そう解釈すれば、この男女間の意識のズレは納得できます。

人間は群れの動物ですが、食料調達手段としては、農耕は比較的新しいもので、最初は狩猟だったはずです。
草をむしって食べるとか、昆虫を捕まえて食べるのから始まって、群れの人口増加に伴って、男性が集団で大型の動物を狩るようになったはずです。
そうすると、男性は狩のために家を空けて、何日も獲物を求めることになったでしょう。
狩が終ると、何日も家を空けた夫を待っていた妻は、マシンガントーク。
最初の内は良いですが、段々苦痛になってくる夫。
「そうだ狩に行こう」

まあ、確信はありませんし、根拠も薄弱ですが。

ソイヤーの三部作は、夫婦の生活様式の一つの形態、夫婦円満のための一つの形態を膨らませたものなのかもしれません。

独身の私には、どうでもいいのですが、知的好奇心には駆られます。

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ちょっとしたご紹介

以前「いま、会いに行きます」と、その再小説化「ずっと、ずっと、あなたのそばに」についてお話ししました。
これらの作品で、原作者の分身である「タックン」が、大好きな作家(私の大好きな作家でもあります)カート・ヴォネガットの、初期の作品「タイタンの妖女」が紹介されています。
また、カットバックの名手ヴォネガットに敬意を表してか、「ずっと、ずっと、あなたのそばに」はカットバック手法が使われています。
先頃、カート・ヴォネガット氏が鬼籍に入られたことでもあり、
「タイタンの妖女」
とカットバックの名作である
「スローターハウス5」
のリンクを
「ずっと、ずっと、あなたのそばに」
とともに付けさせていただきました。

カート・ヴォネガット氏の優しさに溢れた作品に、一人でも多くの方が触れられることを願っています。

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2007年4月15日 (日)

セイビング・ザ・サン

本書「セイビング・ザ・サン」は、英国人ジャーナリストによる、長銀崩壊から新生銀行誕生を経て、その上場までを描いています。
「小説風ノンフィクション」という、ストーリー仕立てで現実の出来事と実在の人物を描く手法が使われています(欧米では一般的らしく、他にもこういった作品が日本で翻訳出版されています)。
アプローチはインタビューと事象の解釈を積み重ねたもので、100人以上へのインタビューを行っており、その詳細も巻末に記されています。
視点としては中立的で、あまり偏りは感じられません。
それは、ジャーナリストとしての執筆である点だけでなく、US式の手法をベースに日本的な手法を融合させた新生銀行のやり方を全面的に評価しているわけはないからかもしれません。
   筆者は巻末で、日本には北欧型の資本主義がモデルとなるの
   では、と述べています。
   北欧型といえば、一般には福祉国家型資本主義ということに
   なるのでしょうが、それとは違うことを言っている気がします。
どちらかというと、意見の相違は意見の相違として描き、それぞれの意見を合理的に解釈しようとしているようです。
   これは、私自身が、自分の意見をまとめる前提として行うことと
   同じですから、作者のスタンスには好感が持てました。
この手の作品では格段に論理的で読みやすく、考えさせられます。
まあ、関係者へのインタビューの解釈については、読者個々の考え方によって様々でしょうが、戦後の経済政策の推移は、なかなか面白いです。
インタビュー部分を外して、資料から拾ったと思われる部分を見ていくと、戦後の経済成長とバブル崩壊までの流れが分かりやすく書かれています。
概ね既知の情報でしたが、戦後の戦時経済を応用した金融の仕組みの存在などは、一般的には忘れ去られるかもしれませんから、コンパクトにまとまっているのは貴重です。
一読の価値はある作品です。

長銀のオークションについて、私が知らなかった部分を含んでいる話がありました。
一つは長銀の買い手の候補ですが、当初邦銀を想定していたそうですが、全部断られたそうです。
   まあ、自分たちの不良債権の額も分からない状況ですからね。
それで、残った選択肢は外資ですが、銀行に買い手はなく、全部ファンド(銀行系ファンドを含む)となったそうです。
次に、プット条項に関する部分です。
   プット条項とは、言わば債権のクーリングオフです。
   長銀の不良債権は詳細には調査されていないので、後日明らか
   になった場合、新銀行は設立後三年間は、国に債権を返却でき
   るというものです。
   実際の適用については揉めたようです。
これは政府が言い出したもので、欧米で一般的なロス・シェアリングという手法が、既存の法律になじまないので、無理やりひねり出したもののようです。
   考えたのは委託を受けたゴールドマンサックスでしょう。
ロス・シェアリングは、不良債権を新銀行と国が折半するのですが、プット条項は局面によっては、国が大損します。
これで、リップルウッドを除いた外資は逃げました。
他の外資は日本でビジネスをしているため、自社の評判を落とすようなことはしたくなかったのです。
それで、半ばダミー状態で、日本の信託銀行が担ぎ出されました。
そこの申請内容は凄いです。
行間から本音が滲み出ています。
まず、プット条項は拒否。
買収しろといわれればしますが、当行に潰れろということですね。
   ここも不良債権に苦しんでましたから。

そういえば、バブル経済の崩壊は、連続した政策ミスが原因という見方が通説ですが、責任を取った人はいるのでしょうか。

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2007年4月 8日 (日)

千里眼 ミッドタウンタワーの迷宮

一昨日、4月6日は私の会社から転職する人の送別会をしました。
打合せに時々使っている渋谷のお店で食事をした後、何故かカラオケに。
私は酷い頭痛になって死んでました。
お酒は飲んでませんよ。
ずっとPCに向かっているせいでしょうか。
まあ、元々首が悪いので、頭痛になりやすいんです。
昨日は頭痛が続いて、ダウンしてました。
今日は頭痛が直って、午後から書店巡りをしました。
結局2冊購入しました。
先週末Amasonでも2冊発注しています。
また、書籍代がかかりそうです。

で、本題です。
角川版「千里眼」シリーズ第四弾「ミッドタウンタワーの迷宮」です。
奇数月は「千里眼の月」だそうで、1月の一挙3作の続編です。
新シリーズは旧シリーズよりも、一作の分量が少ないのですが、その分スピーディーな展開になっています。
冒頭から強烈なシーンで、読者を引き込む千里眼節も健在です。
二転三転する展開、濃密なプロットの絡み合いなど、読みごたえ充分です。
恒例の派手なアクションシーンもあるんですが、メンプロットが中国のカードゲームとそのいかさまという、地味な心理戦というのは、このシリーズとしては新基軸です。
更に、相変わらず、先の読めないストーリーで楽しませてくれます。
こういう作品を量産できる作者の才能には脱帽です。
ただ、個性的なメインキャストの設定がなかなか良いんですが、私が慎重な性格なせいか、一部のキャラクターの不用意さには、いらいらさせられますね。ストーリー上、仕方ないですし、実際そういう人もいるんですがね。

ところで、タイトルにもなっており、ストーリーの重要な舞台である、ミッドタウンタワーは東京港区の防衛庁跡地に新築され、今年3月30日にオープンした、東京ミッドタウンの中にある都内一の高さのビルで、実在の場所です。
舞台設定に凝るのも作者らしいです。
まあ、肩の凝らないエンターテインメントとして楽しめる作品といえます。

とはいへ、興味深いのは、主人公岬美由紀の孤独感です。
人の感情が読めるが上に、周囲と間に出来る溝。
自分の能力の副産物に悩むわけです。
実際に人の考えが読めると鬱陶しいでしょうね。
岬の場合は、読みたくないときには、読まないように、ある程度調整できるという設定ですが、それが出来ないと人間関係の維持に困るでしょうね。
私は欲しくないですね、そういう能力は。
通常の生活では、あまり必要でもないし。

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2007年3月31日 (土)

「ライブドア監査人の告白」

「ライブドア監査人の告白」という本を読みました。
これは、LD幹部が逮捕された時点での監査人の著作です。
LDの監査に関与していたのは、1年間だけなので、例の事件当時に監査をしていた人ではありません。
ただ、この人は監査法人の代表社員(出資者兼経営者)でしたので、元々ある程度の情報を持っていたり、後日知りうる立場にいた人なので、貴重な証言と言えます。
但し、一審結審前の著書ですから、判決に対してのコメントはありません。
私が知りたかったのは、
何の罪状で訴追されたか、
上場廃止に追い込まれた原因は何か
でした。
訴追は、「有価証券報告書の虚偽記載」のようで、風説の流布ではないようです。
上場廃止に追い込まれた原因については、直接触れられていません(上場廃止前の著作なんでしょう)。
が、その理由は、まあ推測できました。

本来は、粉飾疑惑のある、今話題の証券会社と比較したいところですが、そちらの情報が少ないので、過去の粉飾決算を行った会社との比較でお話ししましょう。

その前に、まず、上場廃止になる理由ですが、
有価証券取引書等に「虚偽記載」があり、その影響が重大な場合、
監査報告書等で「不適正意見」、「意見差控」となり、その影響が重大な場合
ということになります。
まあ、それで一般に、粉飾決算をすると上場廃止になる可能性がある、と言われます。
実際は、今回の証券会社の例もあるように、ケース・バイ・ケースです。
   それにしても証券会社に対する東証の説明は分かりにくかった。
   説明責任を果たしていない気がします。
   もっとも、「ちゃんと説明したけど、記事にならなかった」という
   可能性もありますが。

で、実態論的な話しをすると、企業の存続が困難と判断されると、上場廃止になると考えて良いと思います。
実は、債務超過になると、翌年の決算で解消されなければ上場廃止になります。
債務超過の会社は、存続が危ういですから、分かりやすいですね。
これが、一つの解明の鍵でしょう。
では、粉飾決算をした会社はどうか。
過去の例ですと、大きな粉飾決算が行われる理由は、資金調達をしたいけど、業績が悪くて、資金状況も悪いためできない、というものです。
そこで、業績を誤魔化して、新たな資金調達(例えば、銀行からの借入)を可能にする条件を整えようとするのです。
で、行われるのは、架空取引の計上です。
つまり、実態がない売上をあげるわけです。
例えば、出荷していないのに売上をあげる。
出荷はしているけど、翌期になったら返品させる。
何のサービスもしてないのに、売上をあげる。
と、いったようなことです。
これらは、そもそも架空ですから、入金することもなく、従って会社の資金繰りは何ら改善されません。
ですから、この架空取引がなければ、例えば銀行も融資してくれないわけです。
そうすると、会社は存続が危うくなりますから、潰れそうな会社の株式を流通させるわけにはいかないので、上場廃止になるわけです。
まあ、「虚偽記載」で上場廃止になった事例は少ないんですがね。
ですから、ここでクローズアップされるのが、「虚偽記載」を正した場合の、「会社の存続可能性」なんですね。

私の疑問は、LDの場合、利益は兎も角、お金はありましたから、会社の存続自体は問題がなかったんです。
なのに何故、上場廃止になったか?
勿論、「本業でちゃんと稼いでいなければ、いずれは破綻するだろう」という考え方は分かりますが、上場企業には赤字企業は結構ありますし、それで上場廃止されては、株主の立つ瀬はないでしょう。

で、前提として、LDの粉飾に関して、内容を少しお話しします。
大きく2種類あるんですが、いずれも会計処理の問題です。
まずは、単独決算の問題。
次の期に子会社になることが決まっている会社との、実態のない取引の計上である。
書類を作って、web関係のコンサルティングとシステム構築の仕事をした体裁を作ったものである。
実態はありませんから、LDは取引がないのに入金したわけですね。
もう一つは連結決算の問題です。
この会社の所有者は、実質LD傘下の投資事業組合なので、本来連結決算の対象とすべきである。
従って、この会社との取引は連結決算上は内部取引扱いで、売上も利益も出してはいけなった。
この二つを合わせると、
子会社との取引だから、売上にはならない。
その会社からの入金は、たんなる資金の移動だということです。
これを検察は「預金の売上への付け替え」と言っていますね。
で、これを是正した場合、売上も利益も、公表した損益計算書よりも少なくなります。
およそ53億円だったかな。
ですから「虚偽記載」という主張ですね。
でも、お金自体はあるんですね。
検察の言う通り、会計処理(要は仕訳)は変ですが、子会社のお金が親会社に渡っただけで、増えも減りもしていません。
LDって、お金だけは持ってました(1000億は超えるらしい)から、倒産する心配はないんです。
粉飾した額も、過去事例の70分の1とかですし、追徴金を払っても、お金が残ります。

東証のあげた上場廃止理由は、以下の通りです。
経常損失を計上すべきところを多額の経常利益を意図的かつ組織的に計上した。
これは、その金額において重大であり、
投資者の投資判断にとって重要な情報を故意に偽った点で悪質であり、
これを組織的に行った点で
上場会社としての適格性を強く疑わざるを得ないものである。

後日、経営陣の逮捕も理由に挙げています。

ということは、
損失を利益と偽った、
組織的犯罪と立証された
場合に、上場廃止と読めます。
つまりは、内部統制(社内の不正や間違いのチェック機能)や取締役会の監視機能が、機能していないと「立証された」会社は、適格性に欠けるということでしょうか。
だとすると、理由としては分かりますが、過去の粉飾の事例でも、
損失を利益だと偽って、
経営者が不正を主導したと「立証された」
ものもあり、有罪判決を受けていたと記憶しています。

ここで、今回の某証券会社の場合と比較してみましょう。
このケースは、仕組みは概ねLDと同様の方法での、連結決算からの子会社はずしによる利益の創出ですが、元々経常黒字で黒字を大幅に水増しした(180億円)ものです。
水増しした理由は、新規社債発行(500億円)のためだったようです。

東証の発表した上場維持の理由は、以下の通りです。
赤字を黒字と偽る粉飾目的ではない。
過去の例に比べて、水増し額が多くはない。
組織的、意図的とはいえない。
日興の役員の不正への関与は否定できない状況にあるが、組織的・意図的に行われたとまではいえない

つまり、
利益の水増しで、元々経常利益は出ている、
経営者の犯罪は立証できなかった、
組織的・意図的だったとは立証できなかった
ということでしょうね。

大きなポイントは、
元々黒字であること、
組織的関与が立証されないこと
でしょうか。

その他の違いをあげると、以下の通りになります。
まず、LDが「東証1部・2部」上場企業ではなく、「東証マザーズ」上場企業だという点が、過去事例との違いですね。
私は、元上場コンサルティングをしていましたので、両者の上場前の内部統制や取締役会の機能の仕方というか、整備状況の成熟度に差があるのは分かります。
それから、これは前述の証券会社との違いですが、外資系金融グループが買収に名乗りをあげた点ですね。
この差は大きい気がします。

真っ当な買い手が付けば、周囲への影響を考えて、上場維持という選択もあるんでしょうね。
ちゃんとした大企業が買い取って、経営者を送り込んで、内部統制もきちんと整備することができれば、上場していても問題がないということですか。
長銀~新生銀行のパターンですね。
LDには、この手の買い手が付きにくいんでしょうね。
ベンチャーだけに。
ただ、そういう会社と知らずに株を買った投資家や取引先は、たんなる不運で片づけるんでしょうかね。
投資先や取引先の業績悪化で損失を被ったのは、自己責任になります。
企業の犯罪で損失を被れば損害賠償責任を追及することになります。
法的にはそうなりますね。

で、企業の内部統制や取締役会機能の整備状況のチェックは、
上場時に、東証と上場のための証券取引法に準じた監査を行う監査人
によっておこなわれます。
上場後は、会社から委託された監査人によって、毎年チェックされます。
後者は、一審は結審されましたが、民事訴訟はこれからですね。
   監査法人の組織的行為ではなかったので、監査法人は証取法では
   訴追されていません。
   民事訴訟はどうなるんでしょう。
   もうこの法人はなくなりましたが、社員(出資者)は無限責任ですから。
前者は、証取法違反の対象にはならないでしょうが、民事はどうなんでしょう。
   もっとも、こちらも監査法人の方はなくなりましたが。

上場廃止の影響が大きいだけに、何か釈然としません。
まあ、たんにお金がないだけなら、会社更生法の適用を受けて、破産管財人による再建という道に進むんですが、そういう問題じゃないですからね。
でも、上場廃止にならなければ、被害は少なくできるわけで、こういう場合にも、管財人みたいな役割を立てて再建できると良いんですが。
過去に例のないケースなので、対応が想定されていないんでしょうね。
株主って、会社の所有者なのに、こういう場合は無力ですね。

私が昨日買った株の会社は大丈夫だろうか?

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2007年2月 5日 (月)

リセットといえば

思い出しました。
以前、高千穂遥氏の「ダーティペア」シリーズも一旦リセットしました。
といっても、こちらはOVA(アニメ版Vシネマ)の一作で、リセットした設定が用いられたことから、その世界観を引き継いだもので、一作のみ(ダーティペアFLASH、3分冊)の執筆です。
登場人物も、たまたま初代と同姓同名の二人がコードネームを引き継いだというもので、「千里眼」のリセットともアメコミのリセットとも異なります。
そうそうジェームズ・ボンドも見事にリセットしましたね。こちらはアメコミと同じ手法ですね。

で、リセットは一作だけ(これじゃリセットじゃないか)。
2004年以降、以前の設定の続編が執筆されています。
って、最近知った。
読まなきゃ(もしかすると読んでて忘れてるかも)。

まあ、少し紹介しましょう。
ダーティペアは保険調査員なのですが、調査の過程で事件を解決してしまいます。
但し、彼女たちが事件を解決した後は、大損害や大量死が発生します。
100万人単位の死者は当たり前、都市は壊滅、惑星一つ死の星と化す事も珍しくありません。
    こういう点は、明らかに作者のポリシーが出てますね。
   高千穂遥は、冒険活劇は人が大量に死ぬものだと思っている
   らしい。
   ま、はずれてはいないんですがね、その見方も・・・・・・
      でも多すぎ。
   で、印象深かったのは、ある事件解決後、次回作冒頭での
      少年からのファンレターです。
   「お姉さん達のおかげで、悪い人は皆死にました。
    でも、いい人達も皆死にました。
    僕の星を返してください」
   と、まあこんな感じ。
但し、損害自体は起きるべくして起きたもので、彼女たちが責任を問われた事はありません。
強いて言えば、彼女たちが首を突っ込んだからかな。
こういう状態なので、彼女たちのコードネームにして宇宙船の名前「ラブリーエンジェル」を名乗っても、聞いた方には通り名の「ダーティペア」にしか聞こえない。
   彼女たちの組織では、支給している宇宙船の名前がコード
      ネームになる設定。
   それで、宙港に入るときには名乗らざるを得ない。
これは魅力的な設定ですよ。
使いでがある。
ところで、「ダーティペア」にはモデルがいます。
高千穂遥氏が主宰していた「スタジオぬえ」に所属していた、少女漫画家、瑞原芽理(ケイの方、確か"ケイ"というのは本名から取ったんだったかな?)と事務スタッフの由利(ユリ)という、ぬえの名物的な人物です。
言動を小説にそのまま使えるくらい、かなり強烈なキャラクターだったみたいです。
ま、それで使った・・・・・・使わない手はないということですかね。
この二人の声を一度聞いたことがありますが、ぴったりなのに笑ってしまいました。
   高千穂遥が同じ世界を舞台に描いた「クラッシャージョー」
   シリーズのアニメ映画で、劇中に登場する映画が「ダーティ
   ペア」でして、その中に登場するユリとケイの声を本人達が
   当てたんです。
   結構低い声でしたね。
そういえば、本の挿絵は安彦良和(この人は"ぬえ"ではない)が書いていたのですが、モデルの二人に会った後の本の挿絵が段々似てきたとか。
毒気に当てられましたか。

今回はオタクっぽい内容になってしまいましたね。
でも、あくまで小説紹介です。
例えアニメの方が有名でも。

何か「あの作品は今」っていうシリーズになりそう。

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2007年2月 4日 (日)

千里眼 新シリーズ

『千里眼 The Start』
『千里眼 ファントム・クォーター』
『千里眼の水晶体』

松岡圭祐氏の「千里眼」新シリーズです。
一挙三冊リリースで、3月に4作目が出版される予定。
オリジナルの「千里眼」シリーズは、9年前から小学館で12冊出版され、最初はハードカバー、文庫化で大幅加筆という希有なシリーズでした。
   実はハードカバーは、基本的には各作品には相互の関連がない
   という設定だそうで、文庫の方は一続きのシリーズという設定
   だそうです。
そして今回、またも希有な試み、角川書店に移籍? してリセットです。
時代背景を現代に置き換えて、旧「千里眼」のエピソードも裏で存在していることにして、新たなストーリーを展開させています。
   ちなみにリセットというのはアメコミではよく行われている
   ようです(映画でも「バットマン」はリセットしましたね)。
   ただ、これには事情がありまして、アメコミの場合は版権を
   原則出版社が持っていまして、人気があれば作家を代えて
   連載を続けるんですね。
   なので、「バットマン」とか「Xメン」など30年、40年続いて
   いるんです。
   そこで時々リセットするわけです。
   ストーリーも行き詰まりますから。
   ただ通常リセットというのは、今までの設定やストーリーは
   なかったことにして、最初から描き直します。
   「千里眼」新シリーズのようなリセット(後述)は、やはり
   希有な存在といえるでしょう。
そもそも「千里眼」シリーズは、
・「スタートレック」のオリジナルシリーズのようなカタルシスを描きたい
・ヒロインは超人的にしたい
ということで執筆されたもので、設定は現実離れしています。

今回リセットに至った経緯は、『千里眼 The Start』に作者が書いています。
元々松岡氏がカウンセラー出身だったので、心理学には明るいので、9年前の通説、通説になりうる学説、そしてフィクションをベースに旧「千里眼」シリーズを執筆したのです。
ところが9年経つと、内容が最新の通説と会わなくなってきたわけです。
まずいことに主人公岬美由紀の得意技まで否定されるは、振り回してきた理論は否定される始末。

まあ、今までは、これはファンタジー色の強いフィクションですよ、で凌いできたわけで、そろそろ限界というところでしょうか。
じゃあ新たな主人公で新シリーズを・・・・・・とはいかないんですね。
岬美由紀ファンが多いという点はおいといても。
派手なアクションもこなす知性派のヒロインですよ。
複数の言語を操るのは良いとして、
細身なのに強靱な体力で、
格闘技に精通していて、
車、バイク、ヘリコプターに戦闘機を乗りこなし、
銃器の扱いにも堪能、
しかも内外の政治事情、軍事機密に詳しい。
こんなヒロインに匹敵するキャラクターはそうそう作れないでしょう。
特に日本人となると元自衛官キャリアでないと、これらを学ぶ機会がない。
結局、基本設定上は代替案がないわけですね。
まあね。
岬美由紀の後輩を登場させる手もあるでしょうが、所詮は二番煎じ。
リセットせざる得ない状況なんでしょうね。

小説、分けてもシリーズものを続けるのは難しいんですね。
救い? は、「ヒロインは年を取ってはいけない」と言い張って、9年12作エピソードを繋いでいるのに、岬美由紀はずっと28歳なので、時代が変わっても、リセットしても28歳。岬美由紀の性格も外見も変化しないんですね。

アイデアがある限り続きそうです。
面白いから良いですが。

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2007年1月15日 (月)

尊敬する作家・・・・・・特異ですが

私の尊敬する作家をご紹介したいと思います。
新井素子というSF作家です。
一般にはエッセイで知られているか、一般小説? の「結婚物語」、「新婚物語」で知られているかもしれません(沢口靖子、陣内孝則主演でTVドラマ化され、アジア圏に輸出されました)。
   「結婚物語」には驚きました。
   自身の体験をもとにした小説なのですが、恋愛小説とか
   のロマンチックな要素はまったくなく、結婚が決まって
   結婚式が終るまでの過程を客観的に描いているのです。
   結婚という人生のマイルストーンのみを正面から取り上
   げた珍しい(おそらく唯一の)作品です。
   しかし、このマイルストーンは並々ならぬ労力がいると
   いうことを知った作品です。
   独身者には為になる作品でした。

それから、現在ではライトノベルの元祖とされています。
「新口語文」、「第2の言文一致運動」と評価もされました。
もっとも、日本語の貧弱化のきっかけになったと批判されてもいますが。
というのは、彼女は口語調で小説を書いているのです。

デビューは、今はなき「奇想天外」という雑誌の新人コンクールでした。
今から30年前で16歳でした。
当時は、SFの老舗である早川書房の「SFコンテスト」も長らく休止中で、これを逃すといつチャンスがあるか分からない、ということで応募したそうです。
で、選考会での有名な大論争が起きます。
構成力、素質、実力は皆が認めているのですが、アイデアが斬新ではない点と口語調(小松左京は「殴り書き」と表していました)がネックになったようです。
唯一協力に押した星新一対小松左京・筒井康隆の大論争になりました。
入選作はなく、どれを佳作に残すかというところでの論争です。
星新一は彼女を残してくれるなら、あとは何も言わないとまで言っています。
「まあ、星さんがそこまで言うのなら」と佳作に残った経緯があります。
小松も筒井も「破壊するなら、過去の文学を知った上にして欲しい」という考えのようです。
で、実際会ってみると、文学少女ですから(大体森鴎外好きです)、二人とも可愛がっているようです。
ま、SFの大きな賞を過去3回受賞してますし、口語調で。

前振りが長くなりましたが、やはり注文すべきは口語調の文章です。
新井素子は中学1年生で自分独自の文体を作ることを決意したそうです。
そのきっかけは、同級生が小説よりも漫画を選ぶ傾向が強かったから。
その理由が読みやすさにあると知って、読みやすい文体を開発したということです。
実際書いてみると分かりますが、口語調で数十枚も書くのは大変です。
書いている方が混乱してくるのです(私は100枚書いて訳が分からなくなりました)。
正直よく書けると思います。
   そういえば、読者に対して「私の小説で文章を学ぼうとは
   思わないで欲しい。文章を学ぶなら森鴎外を読んで欲しい」
   といっていました。

本当は著作権上問題がありますが、ちょっと抜粋してみます(まずいので書名は書きません。新井さん、あくまであなたの宣伝です。怒らないでね)。

 本来ならここで自己紹介なんてのをする筈なんだけど……俺、森村拓、二十一歳。本当はこれ、兄貴の名前なんだけど、この先ずっとこれで通すつもりだから、たった今から、これが俺の本名。
 ……実はね、俺、ちょっとばかりわけがあって、家出してきたところなんだ。家出ついでに故郷の星--地球からも出てゆく処。あん? たかが家出なのに、地球出て他の星に行くこともないだろうって思う? ま、そりゃそうなんだけどさ。

こういうエピソードがあります。
28年くらい前にラジオ番組で、漫画家のベストテンを選ぶという企画があり、リスナーからの投書を受け付けたのだそうです。
その中に新井素子が入ってしまったんですね。
番組の制作サイドは大慌て。
だって、漫画家じゃないから。
ところが選んだ理由が「あれは文字で書いた漫画だ」と。
で、小説と分かっていて、敢えて投票したのだからと、そのまま放送したそうです。
既に彼女の目的は達成されていたのかもしれません。

ただ、天才的な遅筆で、最近では小説一作に十年くらいかけていますから、新作が読めないんですよね。
困ったものです。

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2007年1月 1日 (月)

あけましておめでとうございます

もう1週間近く実家で過ごしています。
投資と読書にいそしんでいる毎日です。
年末は「仕掛人 梅安」シリーズを読んでいました。
日本には珍しいピカレスクロマン(悪漢小説)で全7巻ですが、作者池波正太郎氏の死去により未完に終わっているのが残念ですが、毒をもって毒を制す、正毒合わせ飲むという世界観は独特なものがあります。
また江戸時代の庶民の食生活が描かれており、一部は試していますがなかなか良い物です。

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2006年12月 3日 (日)

ずっと、ずっと、あなたのそばに

これは、ベストセラー小説であり、ベストセラー映画であり、コミック化もされた「いま、会いにゆきます」の再小説化です。
原作も映画もコミックも男性視点(つまり夫視点)で描かれているのですが、この作品は妻「澪」の視点で書かれています。
作者は若月かおり。デビュー作です。
ストーリーは高校生時代からの知り合いが結婚して、子供を設け、妻は亡くなる。
そして、亡くなった1年後の雨の季節に妻がよみがえり、雨の季節が終ると去っていくというファンタジー。
戻ってきた澪は記憶喪失、原作、映画、コミックは、その設定で書かれています。
しかし、この再小説化版は、戻ってきた澪に記憶があります。
この次はネタバレです。
澪は28歳で亡くなりました。
戻ってきた澪は、交通事故で生死の境をさまよっている21歳の澪です。
原作、映画、コミックで、夫である巧の大好きな作家がカート・ヴォネガット(ノーベル文学賞候補にも再三のぼっているブラックユーモア兼SF作家。私の大好きな作家でもあります)。
作中に登場するのは、代表作の「タイタンの妖女」。
しかし、ヴォネガットの最も特徴的な代表作と言えば「スローターハウス5(屠殺場5号)」、カットバック手法の名作です。
映像のカットバックは、2つの場面を交互に繰り返す手法です。
小説の場合は、テーマに沿って、時間軸を縦横無尽に行き来して、メッセージを伝える手法を指します。
若月かおりは、これに着目して本作を書いたのでしょう。
ただ、この場合、原作の設定では読者が混乱します。
澪の視点で描いた上で、ある期間記憶喪失で、時間軸を縦横無尽に行き来されたら、かなり読みにくくなるはずです。
それで、あえて記憶喪失の設定を捨てたのでしょう。ストーリー展開上は問題ないですから。
でも、この設定変更をあげつらって、酷い原作の改編だと主張する輩が多いのは閉口します。
まあ、カットバックに慣れていないと、読みづらいのでしょうがね。

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